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淀城址にある『與杼(よど)神社』とは20160305

淀城址にある『與杼(よど)神社』とは20160305


與杼と書いて“よど”と読む。
歴史は古く、社伝によれば、応和年間(661-664)僧千観内供が、肥前国(佐賀県)河上村の淀大明神を勧請したことに始まると伝えられている。
豊玉姫命・高皇産霊神・速秋津比売命を祀り、古くは、淀姫社、又は水垂社とも呼ばれていた。
当初は水垂町に祀られ、桂川の水上運送の守護神として人々から崇められていたが、明治33年(1900)淀川改修工事のためここに移されたとのこと。
多分に廃城となった淀城の敷地内にあるのはタイミング的に丁度よかったのだろう。
だからここに鎮座したのは新しい。

境内には、本殿、拝殿、神輿倉をはじめ日大神社、長姫社、川上社、豊丸社などの各社殿が建てられている。中でも拝殿は、慶長12年(1607)に建築されたもので、国の重要文化財に指定されている。
毎年10月に行われる例祭は「淀祭」と呼ばれ、多くの人々で賑わう。
(社頭掲示板から抜粋)

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2016-03-05 14:45 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(2)

Commented by toshi-ohyama at 2016-04-05 07:54
慶長12年(1607)というと 関ヶ原の合戦後 
淀君秀頼親子が 彼方此方の神社仏閣を再興し 豊家の莫大な財産をはたいた時期と云うことでしょうか
徳川家康が 淀君をそそのかして乱費を勧めたとの説を読みますが 淀君も大衆の人気を豊家に引き寄せるため積極的に 寄進を続けたのではと考えます
Commented by mo-taku3 at 2016-04-07 10:38
私の調べた限りでは、秀頼親子が介在したと云う痕跡はありませんでした。
資料には「氏子・崇敬者各位の熱烈なご助力」だけ載っておりこの辺りは古くから、桂川の水上運輸の守護神として祀られていたようです。「この地に古くから住んでいた大与等氏の祖神を祀ったものと思われる。」とありました。
この神社の辺りは道標などが幾つか立ち並んでおり、水運だけでなく要路となっていたようです。
私にとっては新たな発見です。