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金前寺(敦賀)と芭蕉の碑20160416

金前寺(敦賀)と芭蕉の碑20160416



福井県敦賀市にある金前寺(こんぜんじ)は奈良時代創建の古刹で、天平6年(736年)に聖武天皇の勅命によって泰澄大師が十一面観世音菩薩座像を刻み、寺を建立して本尊として祀ったことに始まる。
金前寺の名称は、天皇から下賜された金光明経を金櫃に納めて山に埋めたことにちなんで金ヶ崎山・金前寺と名付けられたという説と、本尊の「十一面観音菩薩」が金光を発することから名付けたとも言われている。
また記録には、古くは氣比神宮の奥の院として一帯に伽藍十二坊を有するほど荘厳であり、平安時代の弘仁2年(811年)には弘法大師(空海)が訪れたという記録もある。
中世の南北朝時代には延元元年~2年(13361337年)にわたる金ヶ崎の戦いの本宮となり、南朝方の新田義貞が後醍醐天皇の皇子・恒良親王と尊良親王を奉じて北朝方と戦い、敗走した新田義貞の長男の義顕は当山の観音堂にて尊良親王と共に自害したとされる(親王の慰霊碑あった)。
また、戦国時代にも再び兵乱の舞台となり、織田信長の天筒山攻めの兵火によって堂宇を全焼したものの、本尊の十一面観世音菩薩像は焼失を免れている。
その後、江戸時代の寛文2年(1662年)に打宅宗貞らが現在地に観音堂を再建し、元禄12年(1689年)に俳聖・松尾芭蕉が「月いづこ 鐘は沈る 海の底」と詠み、宝暦11年(1761年)に鐘塚を建立したとされる。
近代以降は、昭和20年(1945年)712日の敦賀空襲によって一切を焼失したが、昭和63年(1988年)に信徒の浄財によって本堂を再建して現在に至る。


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この項 <完>

by mo-taku3 | 2018-08-29 21:46 | (寺社)全国の神社仏閣 | Comments(2)

Commented by toshi-ohyama at 2018-09-17 09:56
若狭も空襲を受けているのですね
NHKの番組で 米軍が日本空襲の候補地リストを詳細に作成しているのを観たことがあります
軍需施設の内容 周辺住民規模まで詳細を網羅した100カ所以上のリストがあり 爆撃効果(対戦能力の破壊 国民に与える影響)を分析しての空襲であり 原爆投下に際してもこのリストが活用されています
特に 広島 長崎は 周囲が山に囲まれており爆撃効果が高まるとの評価を得ていたこと 米軍の戦略性に戦慄した記憶があります
若狭は 十一面観音信仰の盛んな場所であり 信長の襲撃時にはご本尊を土中に埋めて罹災から守ったという逸話が多く残されているようです 太平洋戦争時も随分とご苦労があったのではと推察します

Commented by mo-taku3 at 2018-09-23 23:09
建物を見ただけでは新興宗教かなと見間違う位新しいお寺のように感じました。
しかし、歴史のある古刹であることと結構な歴史を感じてきているようで、空襲されたのは惜しいですね。