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北嵯峨「広沢池と児(ちご)神社」20160514

北嵯峨「広沢池と児(ちご)神社」20160514


広沢の池は平安中期から灌漑用水として続いている大きな池です。
毎年のように、この池は用が済んだ頃には水抜きがされ、底が見えるようになります。
この池をテーマとした、平安歌人がたくさんの詩を残しています。

広沢池の南西のほとりにある小さな神社です。
平安時代、ここから広沢池に沿って遍照寺山の方に行ったあたりに遍照寺という大きな寺院がありました。
遍照寺を創建した寛朝大僧正という方の子供が、児神社の祭神なのです。

遍照寺を建立した寛朝大僧正が亡くなった後、その子供が嘆き悲しみのあまり、広沢池に身を沈めたといわれ、これを不憫に思った地元の人が、この子供を祀ったのが神社の始まりとされています。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2016-05-18 13:44 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(2)

Commented by toshi-ohyama at 2016-06-14 09:15
少し不気味な伝説ですね 殉死でも無いようですし 又その子を祭神にして祭るというのも不思議な感覚に思えます 鎮めの為に人柱を埋めるような感覚で子供を沈め 祭神にしたと考えるのは 考えすぎでしょうか 此の池は確か人造湖(溜池)ですから 人柱説は充分成田鵜匠な気がしますが如何ですか?
Commented by mo-taku3 at 2016-06-14 16:38
そうゆう感じは伝わってきません。亡くなった寛朝大僧正(成田山新勝寺を開創)は高名なお坊さんだったようですが、稚児は小さな子供と思いがちですが、ひょっとしたら成人の稚児だっただったかもしれませんね。全くの想像ですが…。
ただ、僧職にも男色はありましたので。
色々調べてみましたが、人柱のような感覚は無いように思いますが。