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大覚寺大沢池畔の「嵯峨天皇御詠歌碑」20160514

大覚寺大沢池畔の「嵯峨天皇御詠歌碑」20160514


大覚寺は室町時代の建武の親政以後南北朝時代に、南朝側の後醍醐天皇が保持続けた系統で、大覚寺がその系統を表すことで「大覚寺統」と呼ばれた天皇の系譜である。
一方この南朝側に対し北朝側は「持明院統」と云われています。
この持明院も現在存在しており、それを示す石碑が建てられています。

さて、前置きはこのくらいとして、久しぶりにこの大覚寺を訪れてみました。
大覚寺と大沢の池は隣接しており、大沢の池は数々の詩にも読まれ、平安初期から嵯峨天皇の御所として崇敬を浴びてきました。

この日は北嵯峨路を回り大覚寺にはいるルートを探しつつ大覚寺の近くに来ましたが、通り抜けの道がわからずウロウロしていたら、丁度地元の人らしい方に出会い尋ねたところ、そ
の方も大覚寺に行かれると云うことで案内をしていただきました。
この方は嵯峨芸術学院の講師の方とのことで大覚寺のことを詳しくご存じでした。
私も大覚寺とは縁があり、話し込んでいるうちに話がはずみ、一時間があっという間でした。

その中で大沢の池の畔にある「嵯峨天皇御詠歌碑」について説明をいただき私のお宝となりました。
その碑は「与海公飲茶送帰山一首」(嵯峨天皇詠)は嵯峨天皇と空海の深い親交をあらわすもので、高野山に戻りゆく空海を何時までも見送っている姿が詠まれています。
ちなみに、このお二人は、橘逸勢と併せて当時「三筆」と云われていました。

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大覚寺派、華道嵯峨御流の家元になっています。
天皇の華道ということで、「華道総司所」といって一見華道全体の総元締めのように見えますが、その理由がわかりました。
やはり、大沢の池の畔に「いけばな発祥地」という石碑がありました。
調べてみますと、嵯峨天皇が大沢の池の菊島(次の写真)の菊をとって活けたのが発祥ということのようです。
池坊が発祥と思っていましたが、華道として体系づけたことでそう言われているようで、真相は仏教が伝来した時に仏様に花をささげる風習も伝わったのではないかというのが自然らしいです。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2016-05-18 13:48 | (歴史)京都史 | Comments(2)

Commented by toshi-ohyama at 2016-06-20 09:01
六角堂にも 池坊のいけばな発祥の地なる碑がありましたね 「華道」と「いけばな」と 微妙に言葉を使い分けている感じがします
日本人はとかく 元祖 本家 発祥等の文字に弱いということでしょうか
Commented by mo-taku3 at 2016-06-21 15:23
いけばなは沢山の流派があってさらに分派があると云う状態です。仏様にささげる花というのはうなずけます。
京都のお寺で奈良以前から続いているところはお寺にちなんだ流派を立てておりそれぞれのお寺のまつり方があるようです。
池坊は新しいブルに入ると思いますし、よく耳にする草月流、小原流・安達式などは明治から昭和にかけてできた現代花というものです。あとよく聞くxx古流というのはお茶席の一輪ざしというのが室町頃からはやったようです。