大石内蔵助祀った京都大石神社20160729
この大石神社は昭和十年赤穂義士大石内蔵助良雄の義挙を顕彰するため大石内蔵助良雄公をご祭神として創建された。
元禄14年(1701)3月、赤穂藩主浅野内匠頭長矩が江戸城内松の廊下において、吉良上野介義央に対し刃傷におよび、内匠頭は即日切腹、御家断絶、領地没収となった。
赤穂浅野藩の城代家老大石内蔵助良雄は城明け渡しの後、同年6月28日、以前からこの付近の田地、屋敷を持っていた親類の進藤源四郎の世話でこの地に移り、神社の近くに居を構えていた。
ここは閑静で人目につきにくく、かつ交通に便利で、事件の善後策を講じるのに何かと便利であり、この地でしばしば同志の会合を開いたという。また、敵の目を欺くため、伏見撞木町、祇園一力亭などで遊興にふけったといわれている。一力には内蔵助の遺品がるという。
はじめは、はやる同志をおさえて、亡主内匠頭の弟大学長広をたてて主家の再興を謀った。
しかし、翌、元禄15年夏、結局再興は許されず、吉良邸討入りに方針を固め、同志は密かに江戸へあつまったが、内蔵助は討ち入り近くまでこの地に留まっていたらしい。
この神社は冒頭にあるように昭和に入ってから建てられているが、敷地は2300坪で稲荷山の東麓に位置し、さくら、もみじ等多く、四季それぞれ美しく山上の緑と調和し、風情がある。
そういえば本殿の右手前に、大きな枝垂桜の木があったのを覚えている。
*境内に「義人社」がある。これは赤穂義士討入りに際し、必要な武器を調達した、「天野屋利兵衛は、男でござる。」 の名ゼリフは有名な天野屋利兵衛を祀ってある。
大阪の豪商であり、「商売の神様」 と言われ、現在も (商売繁盛) の信仰があつい。
この項 <完>
by mo-taku3 | 2016-07-29 17:00 | (寺社)京都の神社・仏閣 | Comments(2)
京都人にとって山科は遁世の地との印象が強いですが 京都まで遊興に耽るため出掛けて行くのも結構大変そうです 醍醐道を登っていくのでしょうね...
現在の勤務先が 浅野内匠頭終焉の地 田村屋敷の一丁先にあります