白川の流れの横の「古川町商店街」20160709

白川の流れの横の「古川町商店街」20160709


知恩院の古門は、白川の祇園白川に向けて流れる東山通りを横切る手前に位置している。
その門につながる白川の橋から上流を眺めると、私の大好きな風景がある。
川の両側には、柳が生い茂って垂れ下がりはるか先には比叡山が眺められる絶好のポジションである。
やはり私と同じように思われる方があると見えて、絵筆をとる姿がよく見かけられる。

それから白川沿いに少し上った所に歴史のある「古川町商店街」がある。
古川町商店街は、古くは東の錦と呼ばれ、栄えたそうで、昔と変わらない、ゆったりとした時間が流れる、レトロな商店街になっています。

e0237645_17331490.jpg


e0237645_17332484.jpg


e0237645_1733393.jpg


e0237645_17335184.jpg


e0237645_1734283.jpg



e0237645_17341481.jpg


e0237645_17344174.jpg






この項 <完>

by mo-taku3 | 2016-07-09 17:30 | Comments(2)

Commented by toshi-ohyama at 2016-09-05 09:28
先頭の写真は 白川が写っているところからすると華頂道でしょうか とすれば 知恩院へのアプローチとしては一番穏やかな道ですね 一澤帆布で買い物をした後歩いたことがありますが 殆ど人通りもなく静かな良い通りだったことを覚えています 白川 古川町商店街 どれも絵になりますね
Commented by mo-taku3 at 2016-09-05 14:59
おっしゃるとおり「華頂道」です。調べて分かりましたが私も初めて知りました。
ここに写っているのは「知恩院古門」とあります。
多分、名のとおり元々の総門ではなかったかと思います。
というのもご存じとは思いますが、元々知恩院の場所は本願寺の跡地のようで、そこのに城構えのお寺を作ったこともあり今の形ができたと思います。
浄土宗を起こした、法然の住房は現在の知恩院勢至堂付近にあり、ここが浄土宗知恩院の発祥とうたっているが実際は、現存の三門、本堂(御影堂)をはじめとする壮大な伽藍が建設されるのは江戸時代に入ってからのことである。
浄土宗徒であった徳川家康は慶長13年(1608年)から知恩院の寺地を拡大し、諸堂の造営を行っっている。
また家康の狙いは二条城とともに京都における徳川家の拠点とするため、徳川家の威勢を誇示規模とし、京都御所を見下ろし朝廷を牽制することといった、政治的な背景もあったと言われている。
同じような目的で造られたものに、黒谷の金戒光明寺があり、実際に幕末の京都守護職会津藩(松平容保)の本陣が置かれていた。