若狭「鵜の瀬」(東大寺お水取りの水源)29160811

若狭「鵜の瀬」(東大寺お水取りの水源)29160811


鵜の瀬(うのせ)というのは、前を流れる遠敷川が地下で奈良東大寺の二月堂のお水取りに使う水が二月堂の向いにある「若狭井」で採取されるが、この若狭井と繋がっており、二月堂が行われる3月12日に合わせ3月2日(10日で届くと云われる)に若狭神宮寺のお香水の閼伽水【あかみず】を汲み上げこの鵜の瀬で放水する習わしとなっている。

場所は、福井県小浜市下根来【しもねごり】)

「鵜の瀬」由緒記には次のように書かれている。
「天平の昔若狭の神願寺(神宮寺)から奈良の東大寺にゆかれた印度僧実忠和尚が大仏開眼供養を指導の后天平勝宝四年(七五三)(752年?)に二月堂を創建し修二会【しゅにえ】を始められその二月初日全国の神々を招待され、すべての神々が参列されたのに若狭の遠敷明神(彦姫神)のみは見えず、ようやく二月十二日(旧暦)夜中一時過ぎに参列された.それは川漁に時を忘れて遅参されたので、そのお詫びもかねて若狭より二月堂の本尊へお香水の閼伽水【あかみず】を送る約束をされ、そのとき二月堂の下の地中から白と黒の鵜がとび出てその穴から泉が湧き出たのを若狭井と名付けその水を汲む行事が始まり、それが有名な「お水取り」である.その若狭井の水源がこの鵜の瀬の水中洞穴で、その穴から鵜が奈良までもぐっていったと伝える.この伝説信仰から地元では毎年三月二日夜、この淵へ根来八幡の神人と神宮寺僧が神仏混淆【こんこう】の「お水送り」行事を行う習いがある.」
とある。

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白石神社。

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遠敷川。

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説明板。

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「鵜の瀬公園資料館」お水送りの幟が見える。

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お水送りの様子を和紙人形で再現したもの(鵜の瀬公園資料館)

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「鵜の瀬給水所」として開放されている。
ここの水が市販されているようだ。

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*鵜の瀬と東大寺「若狭井」と結びつけるのに、東大寺初代別当の「良弁僧正」がここの出身ということも関係してくるようだ。
「 その鵜の瀬と100mも離れていない所に奈良市長・大川請則書「良弁和尚生誕の地」と大書された石碑が建っている。
良弁和尚(689~774)は733年金鐘寺(きんしょうじ、現在の東大寺法華堂又は三月堂、不空羂索観音像や天平彫刻の最高峰とされる日光・月光菩薩立像など所蔵)を建立し、大仏造立に尽力し、64才で東大寺初代別当(長官)になった。
また、石山寺(滋賀県大津市)も開創したという。」
ということらしい。

現地にはこんな石碑が建っている。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2016-08-11 16:04 | (歴史)全国史 | Comments(2)

Commented by toshi-ohyama at 2016-09-12 07:54
若狭は良弁の故郷と読んだ記憶があります お水送りは実忠の考案と云われますが 故郷町おこしの原型のような印象を受けます
良弁は渡来人説もあり 実忠も印度僧(ペルシャ人説あり)当時の渡来人の活躍ぶりを感じさせます 
スケールの大きな祭りを生み出したものです 
Commented by mo-taku3 at 2016-09-12 20:36
良弁僧正の石碑も写してきましたので、早速載せてみました。
この石碑は奈良市長・大川請則という方の書ということで、この地の出身という信憑性が出て来ます。
神宮寺が見た目原型をとどめているのは、廃仏稀釈にも大目に見られていたのかもしれませんね。