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若狭一ノ宮本宮「若狭彦神社」20160811

若狭一ノ宮本宮「若狭神社」20160811


「若狭彦神社」は若狭国一宮である。ここは本宮で上社であり「若狭姫神社」が下社となり併せて若狭一の宮「若狭神社」となる。
御祭神は若狭彦大神(彦火火出見尊)である。
この神社は福井県小浜市にあるが、若狭の国と云えば古代の歴史的には大和との繋がりがあり、天皇の系統が途絶えた時にも継体天皇を招いていることもあった模様である。

さて、上社である若狭彦神社は、和銅7年(714)9月10日、遠敷郡下根来村白石に創建され、元正天皇霊亀元年(715)9月10日、現在地へ遷座したと資料にはある。
また、一説には、小浜市泊の村の裏山に上下両社の神が垂迹(すいしゃく;仏・菩薩(ぼさつ)が人々を救うため、仮に日本の神の姿をとって現れることをいう。)し、のち遠敷へ移られたとして、泊に元宮と称する若狭彦姫神社が今もってある。
古来、若狭彦神社(上社、上宮)を若狭国一宮とし、若狭姫神社(下社、下宮)を二宮とされて来たが、現在は、2社で若狭国一宮・若狭彦神社と称している。
室町以降は、祭祀の中心が下社中心となり、現在の神事もほとんど下社で行われている。
御朱印帳も下社だけで扱っている。

境内入口。境内入口は東向きとなっている。

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一の鳥居をくぐって直ぐ左手に「日本全国パワースポット」の表示がある。

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左右に木々が生い茂る暗い参道の途中には、大杉だけの二之鳥居がある。

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随神門には、左右に四体づつの随神(随身)像が安置されており、祭神に随身した眷属八人を象徴しているようだ。

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ご由緒の説明と社務一切は下社(若狭姫神社)で取り扱う旨が書かれている。

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境内に入ると、四角に囲まれた場所があり、その場所が、昭和四十年に倒壊した拝殿跡だという。

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神門と本殿。

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神門から見た本殿。

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神門の前には、根元から二股に分かれた夫婦杉が聳えている。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2016-08-11 15:00 | (寺社)全国の神社・仏閣 | Comments(2)

Commented by toshi-ohyama at 2016-09-08 09:09
此れだけ立派な社を維持してきた背景には 海上交通の要所としての経済的基盤が確立していたのだろうと推察します
ふと思い出したのが 同じような熱田神宮です
信長が勢力を拡大していった背景には海上交易から得られた莫大な収益があると読みました 同じように若狭を押さえた為政者が居たのでしょうね
Commented by mo-taku3 at 2016-09-10 07:52
実は海上交通にかんして、下社の方で載せかけちゃめたのがあります。弁財船というやつで江戸時代のもののようです。
やはり海上の要衝だったんですね。

下社に追加で載せてみます!