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京都人の太閤贔屓を背にした「豊国神社」20160824

京都人の太閤贔屓を背にした「豊国神社」20160824


豊臣秀吉は没後、東山阿弥陀ヶ峰に葬られ京都女子大の奥の山に立派に豊国廟として祀られています。
壮麗な豊国社に祀られたが大坂夏の陣後、徳川家康の手で取壊された。
現在の社殿は、明治天皇の命により1880年(明治13)に再建のもの。
日本三大唐門(国宝)のひとつで伏見城の遺構である桃山期の逸品。明治になって金地院を経てここに持ってこられた。
また、境内の宝物館には秀吉遺品を納めた唐櫃(重文)もあります。

自身を「新八幡」として祀るように遺言したといわれ「東山大仏(方広寺)の鎮守」として着工された社は、1599年(慶長4年)4月16日、朝廷から秀吉自身の望みとは相違して「豊国乃大明神(とよくにのだいみょうじん)」の神号が与えられたという。
神号下賜宣命には豊国大明神は兵威を異域に振るう武の神と説明されているところが面白い。
4月18日に遷宮の儀が行われ、社は「豊国神社」と命名された。
4月19日には正一位の神階が与えられた。

豊国神社は先に述べたように、大坂夏の陣後、徳川家康の手で取壊され、明治になって再興されています。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2016-08-24 16:30 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(4)

Commented by toshi-ohyama at 2016-09-13 08:45
京都の都市開発は 御土居に始まり 秀吉によって成し遂げられたものが多いと聞きます しかも労賃が支払われていることもあり 京都の秀吉贔屓は納得するものもあります
秀吉が八幡を目指したというのは初めて知りました 八幡大菩薩は源氏の守り神ですから 秀吉は豊臣家が征夷大将軍としての君臨を目指していたのかもしれません
徳川家康を東照大権現としたのには 豊国大明神を超えるとの思惑が感じられます
Commented by mo-taku3 at 2016-09-16 16:52
ふと思ったのですが、最近小田原城の本丸が改築なってきれいになりましたね。それで小田原城を取り上げたTV番組が3つありました。
その中で小田原城を周囲9km余りにわたり土塁と空堀で取り囲んだ総構えが何度も写っていましたが、ひょっとしたら秀吉の小田原城攻めの際、この総構えを見て京都の御土居のヒントにしたのでは、と勝手に思っています。
家康は京都では人気が全くありませんねぇ。
Commented by toshi-ohyama at 2016-09-18 09:06
秀吉の小田原攻めは天正18年春 御土居は天正19年1月から3月にかけてですから 拓さんの推理は大当たりかもしれませんね
Commented by mo-taku3 at 2016-09-21 00:10
秀吉ならもっと頑丈なのを作るはずですが、土盛りか所が多いということは秀吉らしからぬと思って時間差を見てみたわけです。
わからないのはどこから攻められると思ったのでしょうね?