京都「信長の首洗い井戸」20190907
京都に逓信病院というのがあるが、ここの庭園に「信長の首洗い井戸」というのがある。ここは「本能寺の変」があった頃のその旧本能寺の一部に位置している。
京都逓信病院に入ってそのまま突き抜けると裏側の庭にでる。そしてその庭にある井戸の跡が、「信長の首洗い井戸」と伝えられている。
というのは、ここが阿弥陀寺の清玉上人が信長の首を持ち帰る際に、一旦洗った場所とされている。
阿弥陀寺とは、織田信長・信忠父子の墓があることで有名だが通説をここで少し述べると、
「阿弥陀寺の清玉上人が近江国坂本に創建し、織田信長の帰依を得て今出川大宮(上京区上立売通大宮東入阿弥陀寺町)に移転した。
寺伝によると、玉誉清玉上人は 燃え盛る本能寺に密かに潜入し、織田信長の遺骨と二条御所からは信忠の遺骨を法衣に隠して持ち帰り この寺に埋葬したという。
それにしても、旧本能寺と阿弥陀寺との距離は約1里(4km)ほどあったことから、信憑性を取りざたされてもいる。(後書きあり※)
更に数年後、寺地は現在地(寺町通今出川上る)移り、墓も改葬された。






※ 『蓮臺山由緒略記』(上品蓮台寺)によると、
当時の阿弥陀寺の住職清玉上人は、本能寺の変を聞き、大恩ある織田家の一大事と僧を引き連れ本能寺に駆けつけたが、明智の軍勢が四方を囲み寺内に入れず裏道より辛うじて入った。
しかし、お堂は炎上中、信長はすでに割腹自殺したとのこと、遺言に「光秀に遺骸をわたすな。」とあったが 周囲を敵に囲まれ不可能、しかたなく傍らの竹林で火葬をしていた。
それに出会った清玉上人は、
「自分と信長公とは、格別の間柄であるので火葬は勿論将来の追悼もする。あなた方は自害するより敵と戦ってはどうか」と申し出たところ、
武士たちは大いに喜び敵と切り結んでいるうちに火葬を終え、白骨を法衣に包んで、本能寺の僧徒らが逃げるのに紛れ込み脱出、阿弥陀寺へ持ち帰ったとあります。
この項 <完>
by mo-taku3 | 2019-10-15 10:05 | (紹介記事)京都 | Comments(2)
何か説明の碑は建っているのですか?
ここは旧本能寺の敷地内にあったことは確かなようで、横にある三井家本家があり、色々と語り継がれていたようですが確かな話は確認できなかったようです。
そして、阿弥陀寺に持ち帰った経緯は、写真の後ろに載せた『蓮臺山由緒略記』を読んでみてください。

