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丹波篠山デカンショ街道の由来とは20151015

丹波篠山デカンショ街道の由来とは20151015


「デカンショ~デカンショ~をで半年暮らす (ヨイヨイ!) 
           後の半年ゃぁ寝て暮らす (ヨ~イ ヨ~イ デッカンショ!)

私も子供の頃からこの歌で親しんできた。
これは旧一高生が学生歌として歌っていたという経歴を持つことから、かけ声の「デカンショ」は、「デカルト」「カント」「ショーペンハウエル」の略であるということを聞いていた。
しかしどうも起源は違うらしい。
デカンショ節(でかんしょぶし)は、兵庫県丹波篠山市を中心に盆踊り歌として歌われる民謡であるが、それを伝え聞いて独自の歌詞を作り学生歌としても広く歌われたようである。

篠山市は京都に近く、丹波黒大豆の産地でもあるため、毎年のようにここに黒豆を買いに行くが、途中「デカンショ街道」というのがあり、デカンショ節とどんな繋がりがあるのか疑問に思っていた。
今年も同じように黒豆を買いに馴染の「小田垣商店」に出かけてみて少しわかりかけてきた。
帰って詳しく調べてみると上記のようにかなり以前から篠山市では盆踊りとして使われてきていることが分かった。

ではなぜ旧制一高の学生歌として伝わったかというと以下のようなエピソードが載っていた。

旧篠山藩主の青山家は、明治維新後は学問を奨励し、篠山に鳳鳴義塾等の私立の中学校を作り、その中の優秀な者を東京に寄宿舎を作り遊学させていたという。
この遊学生は、明治31年(1898年)の夏、宿泊先の江戸屋の二階で郷土の盆踊り歌を大声で歌っていた。それをたまたま階下に宿泊していた旧制一高の水泳部員がこの歌を聞きとめ、すっかり気に入り、篠山出身の若者たちと意気投合した。
それを、東京に戻ってからも歌ったのが始まりで、その後多くの学生や若者の共鳴を受けて愛唱され、全国に広まっようだ。

街角には沢山の歌詞灯篭があり篠山市民の生活に溶け込んでいるようだ。

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*2015年(平成27年)4月24日、文化庁により日本遺産の最初の18件の一つとして「丹波篠山 デカンショ節―民謡に乗せて歌い継ぐふるさとの記憶」が選ばれた。
(現在は篠山市無形文化財となっているとのことである。) 





この項 <完>

by mo-taku3 | 2016-10-15 14:41 | (紹介記事)関西の紹介 | Comments(2)

Commented by toshi-ohyama at 2016-11-16 07:39
改めてデカンショ節の歌詞を味わってみました
丹波杜氏が居ましたね 灘の銘酒は丹波杜氏の作品ですね
宮水や 酒蔵の麹黴を活かす杜氏の存在を忘れてはいけませんね
更には 渋谷区青山 旧青山練兵場は 丹波篠山藩の江戸屋敷跡でした
Commented by mo-taku3 at 2016-11-29 17:43
色々と繋がりますねぇ。
私も知らないことばかりで、現物を目にした時に記憶に入ってくる感じです。
昔から書物を読んでも興味のあるものしか記憶に残りませんがこのように会話をしていると色々と繋がってきた楽しいです。
昔NHKの「秘密の扉」の司会者の高橋圭三が冒頭で述べた言葉を思い出しています。