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出石城址と有子山城跡(山名氏居城)20171022

出石城址と有子山城跡(山名氏居城)20171022



出石城址は、慶長9年(1604)、有子山の麓に小出吉英(こいでよしふさ)が築いた平山城の城跡。江戸時代には出石藩の本城として約260年間利用された。
現在は本丸跡に隅櫓(すみやぐら)が復元されている。その横に延びる157段の石段には37基の鳥居が並ぶ。ここは城山稲荷と呼ばれ、信仰の対象としても親しまれてきた。春には桜の名所として多くの人が訪れる。

また、山名氏の居城だった有子山城址は出石城の後ろにある、有子山に築かれていた。
もともとは北方2kmの此隅山(子盗山)に、但馬国守護職で、室町幕府の侍所長官を務めた四職家の山名氏の本拠が置かれていた。
もともとは北方2kmの此隅山(子盗山)に、但馬国守護職で、室町幕府の侍所長官を務めた四職家の山名氏の本拠が置かれていた。
永禄十二(1569)年、織田信長の将、羽柴秀吉により此隅山城が陥とされ、山名祐豊、氏政父子は城を脱出、天正二(1574)年、新たに有子山城が取り立てられた。
落城した此隅山城を嫌ったことと、「此隅」の音が「子盗」に繋がることから「有子山(ありこやま)」と命名し新城を築いたといわれる。
しかし天正五(1577)年からの織田信長の一次但馬攻略、天正八(1580)年の第二次但馬攻略で羽柴秀吉軍により再度落城、山名氏政は因幡に出奔した。
山名氏と言えば室町幕府の有力守護大名で応仁の乱で西軍の大将になっている家である。



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この項 <完>

by mo-taku3 | 2017-10-22 15:59 | (歴史)関西史 | Comments(2)

Commented by toshi-ohyama at 2017-11-07 09:39
呉座勇一氏の「応仁の乱」が評判になっていて 勉強を始めていますが 畠山 細川 斯波 山名何れも家督争いの連続で訳が分かりません 山名氏も結局京都を手放し 出石に引き上げたということでしょうか 攻めにくそうな山城ですね
Commented by mo-taku3 at 2017-11-07 22:02
この件に関しては私も詳しく知りません。
山名氏は尼子氏と中国の雄を争う位置にいたことは知っています。しかしこの時は尼子氏が優勢でしたのでこの山城なのかなという気がします。
少し興味も出てきましたので調べてみたいと思います。