妙覚寺(信長のもうひとつの京やど)20170107
織田信長は入洛は20数回となっているようですが、そのうちお寺の説明書では18回宿所として使用しているとなっており、殆どがこの妙覚寺であり定宿となっていたようです。
しかし亡くなったのは本能寺であり、油断があったのは確かで、また光秀も周到な準備も進めていたのも間違いないでしょう。
当時の本能寺は城構えの広大な境内だったようで今の本能寺とは全く別な場所でもありました。この時跡継ぎの信忠は二条城に居ましたが二条城は今の二条城とは程遠く、脆弱な造りだったようです。圧倒的に本能寺の造りの方がよかったようです。
話はそれましたが、妙覚寺の造りも城構えでしっかりしていたようです。
余談ですが、ここの山門は聚楽第の裏門を移築したそうです。
この項 <完>
by mo-taku3 | 2017-01-07 14:38 | (仏閣)京都のお寺 | Comments(0)