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皇室菩提寺の「御寺(みてら)泉涌寺」20170204

皇室の菩提寺の「御寺(みてら)泉涌寺」20170204


皇室のお寺としてあがめられてきた御寺(みてら)泉涌寺(せんにゅうじ)について、お寺の資料を基に紹介しますが、ここは藤原系の皇族を祀るお寺のように思う。
また、御寺の回りには孝明天皇・明治天皇・後堀河天皇他、沢山の御陵が建てられており、有名な塔頭も並んでいる、あまり類を見ない雰囲気の霊地いった感じである。
「東山三十六峯の一嶺、月輪山の麓にたたずむ泉涌寺。皇室の菩提所として、また諸宗兼学の道場として、壮麗な堂宇が甍を連ね、幽閑脱俗の仙境、清浄無垢の法城となっている。

当寺は天長年間、弘法大師がこの地に草庵を結び、法輪寺と名付けられたことに由来し、後に仙遊寺と改名された。建保6年(1218)に、当寺が開山と仰ぐ月輪大師(がちりんだいし)が宇都宮信房からこの聖地の寄進を受け、宋の法式を取り入れた大伽藍の造営を志し、嘉禄2年(1226)に主要伽藍の完成をみた。その時、寺地の一角から清水が涌き出たことにより泉涌寺と改めた。この泉は今も枯れることなく涌き続けている。
当寺の朝野の尊信篤く、後鳥羽・順徳上皇、後高倉院をはじめ、北条政子、執権北条泰時も月輪大師について受戒するなど、公家・武家両面から深く帰依された。大師入滅後も皇室の当寺に対する御帰依は篤く、仁治3年(1242)正月、四条天皇崩御の際は、当山で御葬儀が営まれ、山稜が当寺に造営された。その後、南北朝~安土桃山時代の諸天皇の、続いて江戸時代に後陽成天皇から孝明天皇に至る歴代天皇・皇后の御葬儀は当山で執り行われ、山稜が境内に設けられて「月輪陵(つきのわのみさぎ)」と名づけられた。こうして当山は皇室の御香華院として、長く篤い信仰を集めることとなる。泉涌寺が「御寺(みてら)」と呼ばれる所以である。
総門内の参道両側をはじめ山内一円には塔頭寺院が建ちならび、奥まった境内には大門、仏殿、舎利殿を配した中心伽藍と天智天皇、光仁天皇そして桓武天皇以降の天皇・皇族方の御尊牌をお祀りする霊明殿と御座所、庫裡などの建物が甍を連ねている。
全山木々に包まれて静かにたたづむ堂宇、玉砂利の境内は、春は新緑、秋は紅葉に色どられて、一種別天地の雰囲気をかもしだす。」


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この項 <完>





by mo-taku3 | 2018-08-18 23:23 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(2)

Commented by toshi-ohyama at 2018-08-24 07:30
泉涌寺は 神道信仰の皇室にとって 不思議なお寺です 東大寺大仏殿建立時に聖武天皇が仏法に帰依することを宣言しているのも同じような不思議 写真にもある参道を下って仏殿に至る路は 比叡山とか幾つか前例もあるようですが 何か意味がある様な気がします 檀家も持たない筈ですし宮内庁が支援することも出来ない筈 とすれば どうやって此れだけの寺域を維持出来ているのか
何時もそれ程観光客も居ませんし 拝観料もなかったように記憶します でも静かで良いお寺ですね
Commented by mo-taku3 at 2018-08-28 10:31
明治前までは皇室や時の権力者の寄進などが主な収益源だった様ですが、廃仏毀釈後は宮内省の管理となった。しかし経営は苦しくなり寺宝流出などもあり、御下賜金に頼ったが、特に経費のかさむ伽藍の補修、維持については企画、所要経費ともすべて宮内省の責任で賄ってきた。
しかし、戦後の新憲法で国家機関(宮内省)が直接神社仏閣に資源を供することが禁止されると檀信徒を持たないため、困難な事態となった。この間、天皇家の私費の下賜が唯一だったようです。
しかし宗教法人解脱会などからの奉納金などがあったが、永続を図るために昭和四十一年三笠宮崇仁親王を総裁に仰ぎ、三井銀行故佐藤喜一郎氏を会長として広く民間篤志のもの糾合して「御寺泉涌寺を護る会」が結成され、現在ではその意志を秋篠宮文仁親王殿下を総裁に、経団連名誉会長の奥田碩(ひろし)氏を会長に、経団連常任顧問の和田龍幸(りゅうこう)氏を副会長兼会長代行とし、開創以来七百五十年の伝統と由緒をもつ、格式の高い御寺 維持のための努力が今も力強く続けられているということでした。