長岡天神前に広がる八条が池と花20170428
京都に平安京ができる前に、桓武天皇は長岡京に遷都しましたが色々な事件・大洪水があり約10年間の都となり、和気清麻呂の建議により平安京が遷都先となりました。
短い期間の都でしたが戦後徐々に長岡天神を中心に現在の長岡京市・向日市・京都市西京区までの地域の遺跡を保存し整備がすすんできています。
JR長岡京市も元は神足(こうたり)といいましたが、昭和47年から長岡京市と改名しています。
長岡天神の前には大きな八条が池が広がり、この池を割るように真ん中には長岡天神の参道がミヤマツツジに囲まれて作られています。
また四季を通じての花が咲き乱れ癒しの場所となっています。
この項 <完>
by mo-taku3 | 2017-04-28 13:48 | (風情)京都・関西 | Comments(2)
都の中を何本も川が流れて居り 水利も良かったのではと思えます
淀川を下れば大阪湾にも便が良いし 良い場所だったのではと思います
藤原氏の都と化した藤原京を引き払う先の都として 永く都であり続けても良かったのではと感じます
疫病や早良親王の祟りさえなければ 京都に写る必要はなかったということでしょうか
京都も長岡もよく似た土地柄です。木材資源と水資源は十分でしたので長岡で問題はなかったと思います。ただ一つ問題はかなりの湿地面積があったぐらいです。
やはり、造長岡宮使・藤原種継暗殺事件をきっかけに話を膨らまして気功がどうのというように場所を変えなければならない後ろめたさが桓武天皇にはあったような気がします。