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平家の里と源平の和睦(湯西川)20170611

平家の里と源平の和睦(湯西川)20170611


源平の戦いは皆さんご存知と思います。

1185年、天下を二分にした源平の壇ノ浦の戦いに敗れた平家の落人、平清盛の嫡男である平重盛の六男・平忠実(平忠房改名)は家臣と共に、縁戚の宇都宮朝綱(ともつな)公を頼り、関東へ下りました。その後川治の鶏頂山に隠れしのんで生活しておりました。

一族の婦人が男子を出生したおり、祝事と喜び「鯉のぼり」を上げたところ源氏方の眼にふれ、追われて更に奥地の湯西川(栃木県)に至り永住の地としています。

そして隠れ住むために「鯉のぼりは上げず」「鶏を飼わない」「焚火をしない」という風習が今でも残っていると言われています。

ところが現代になって(199410月)【源平の和議】が成立しています。
鎌倉にある、「源頼朝会」と「全国平家会」手打ちをしたとあり、湯西川「平家の庄」の中に【和議書】が展示されておりました。

平家の落人の里は全国にありますが、ここ湯西川の施設が一番充実しているように思います。

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この項 <完>





by mo-taku3 | 2017-08-13 10:19 | (歴史)全国史 | Comments(2)

Commented by toshi-ohyama at 2017-09-14 10:13
全国に平家の隠里が現存していたということは 源氏の落ち武者狩りは それ程厳しいものではなかったと云うことでしょうか

長州と会津の和解は 未だに会津側が拒否しているという話も聞きます
Commented by mo-taku3 at 2017-10-01 07:18
長州と会津につては不勉強ですみません。
平家については、鎌倉幕府の北条氏も平家ですから、元々の主筋に対する追求も段々行われなくなったのではと思います。
しかし平氏を名乗る一団は追及の手が伸びたのでしょう。現にここの平氏は更に追われて奥に逃げ込んだとありましたから。