京都後白河法皇ゆかりの「法住寺」20170714
法住寺(ほうじゅうじ)は、三十三間堂の東隣にあり、後白河法皇ゆかりの寺として知られる。
後白河天皇法住寺陵が、境内の北、東に隣接しており、明治以前は御陵を守る寺であった。
988年、右大臣・藤原為光の私邸として「法住寺」を造営し、為光没後、寺は子孫によって守られた。
1160年、法住寺殿に新熊野(いまくまの)・新日吉(いまひえ)両社が鎮守社として建立される。
1161年、後白河法皇により東山御所(法住寺御所、七条御所)が造営された。
1183年、木曽義仲が法住寺を襲撃し法住寺御所は焼失した。(法住寺合戦)。上皇は北の門から新日吉神社へ輿で逃亡、以後上皇は六条西洞院の御所、長講堂に移る。
1192年、法皇が亡くなり、焼失した法住寺殿の敷地に法住寺法華堂が建てられ葬られる。
この項 <完>
by mo-taku3 | 2017-07-14 11:05 | (仏閣)京都のお寺 | Comments(2)
ある意味 長い京都の歴史の中で この150年が一番苦しい時代なのではないでしょうか 観光以外に頼る術がない寺院 葬式仏教も急速に衰え 正にポピュリズムに走らざるを得ないお寺を心配します
また、ここが宮内庁所管になったのが明治に入ってからですからあまりいい扱いではなかったように思います。