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土佐神社(土佐一宮)と鴨社(高鴨神)とは?20171213

土佐神社(土佐一宮)と鴨社(高鴨神)とは?20171213



四国霊場30番札所である「善楽寺」に参拝した折、隣にこの土佐神社があった。
この神社は古事記にも続日本紀にも登場登場しており、しかも内容が異なる記述となっているミステリアスな神社のように思えてくる。
しかし共通しているのは、鴨社の総本宮である奈良御所市にある「高鴨神社」と深い関係があるようだ。
土佐神社のホームページの由緒には、
「土佐神社の創祀については、明らかでありませんが、境内東北方の礫石と呼ばれる自然石を磐座として祭祀したものと考えられ、古代に遡ると言われています。
延喜の制が布告された平安時代、醍醐天皇の御代には式内大社に列せられ都佐坐神社と称され、特に皇室の崇敬あつく勅使の参向もしばしばあり、朱雀天皇の御代天慶三(940)年には、神階を正一位に進ませられています。
鎌倉時代初頭には神仏習合時代に入り、土佐国総鎮守一宮とされました。当社・神宮寺・善楽寺にて一宮を形成、土佐高賀茂大明神と称えられました。
室町時代には、武門の崇敬あつく、正親天皇の御代元亀元(1570)年には、長宗我部元親が、本殿、幣殿、拝殿を再興、安土桃山時代後陽成天皇の御代、慶長六(1601)年には、山内一豊が封をこの地に享けると共に以前の社領を免許し、二代忠義に至って摂社、末社を始め、鳥居、楼門、鼓楼を増築して、土佐の国最上の祈願所としました。
明治元年、神仏分離令により、永年続いた神仏習合時代が終わり、明治四年には土佐神社と改称、社格を国幣中社に列しました。戦後、昭和二十一(1946)年官国幣社の制度が廃止され、現在では神社本庁の別表神社とされています。」とあります。
ここには載っていないが、雄略天皇の時代葛城氏との確執があったのか、葛城一族と目される鴨氏を土佐に流したのではないかとも思われる。この時鴨氏の一派は大和を追われ、京都・上賀茂に鴨社を建てたのではないかと、勝手に想像してみた。
また御所市に残った鴨族は厳しい環境下にあったように想像する…。
(調査は今後も進めてみたいと思っている。)

祭神は味鋤高彦根神と一言主神とあるが、鴨氏により古来より大和葛城の里にて祀られる神である。

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この項 <完>





by mo-taku3 | 2017-12-13 10:30 | (寺社)全国の神社・仏閣 | Comments(2)

Commented by toshi-ohyama at 2018-01-09 09:06
葛城氏と鴨氏の抗争 高知への配流 ワクワクするような推論有難うございます 大和の一言主神社は昔から気になって居ながら 未だ参拝出来ておりませんが俄然興味がわいてきました 
Commented by mo-taku3 at 2018-01-15 18:59
鴨氏は葛城一族のようですが、葛城氏が雄略天皇との抗争に敗れたあと、鴨氏も影響を受けた結果と思います。
この辺の資料が皆無なので今回の発見はわくわくした感じです。
高鴨神が最初に流されたのは土佐の賀茂社とありますが、その神社が須崎市にありました。ここも調べてみたいところです。
四国は流刑地として扱われていたようですので、お宝があるかもしれません。