おかめ塚の由来(千本釈迦堂)20180314
鎌倉時代、名棟梁といわれた長井飛騨守高次という者が、千本釈迦堂の本堂建立の総棟梁になり、采配を振るった。
尼崎の信徒より寄進の四天王の柱の一本を切り誤り、代わりの材木も見つからず高次は思い悩んでいた。それを見かねた妻の阿亀は、斗栱(ときょう、)を施すという古い記録を思い出し夫に伝えた。その結果、本堂は見事に完成した。
高次は、総棟梁が妻の提言で大任を果たしたとなると、親方としての面目は丸潰れになることを案じた。それを知った阿亀は、上棟式の前に自刃する。
上棟式当日、高次は妻を悼み、亡き妻の面を御幣につけ、その冥福と本堂の落成を祈ったという。
また、阿亀の菩提を弔うために、境内に宝筐院塔が立てられ「おかめ塚」と呼ばれた。
おかめの面の付いた上棟御幣は、いまも棟上げの際に屋根裏に置かれる慣わしがある。
3枚の扇子を円にしてあり、中央におかめ面が飾られている。面は阿亀の顔に似せられ、突き出た額、低い鼻、膨らむ頬、おちょぼ口は当時の美人の典型とされていた。










この項 <完>
by mo-taku3 | 2018-03-14 11:00 | (紹介記事)京都 | Comments(2)
とすると 何時頃から美女の基準が変わったのか 興味津々です
おかめの顔は平安中期以前の好まれた顔かもしれませんね。
それにしても本堂の奥に大きな人マスを取っておかめの像とおかめ人形のオンパレードは楽しいです。

