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聖護院「積善院準提堂」20180328

聖護院「積善院準提堂」20180328



聖護院門跡は、1090年(寛治4)白河上皇の熊野参詣の折、増誉僧正が先達を務め、褒美として寺を賜わり、聖体護持の意味で聖護院と名づけた。1788年の内裏炎上の際、仮皇居ともなり、光格天皇遺品の屏風や狩野益信永納等の襖絵百七十面がある。

以来、門跡として明治まで代々皇族や摂関家が門主(住職)を務めた格式高い寺院であり、本山修験宗の総本山。それを証明するかのように、境内は狩野派による豪華絢爛な障壁画に彩られています。

さて、その聖護院の塔頭である積善院は、もと栴(なぎ)ノ坊と号していた。聖護院の一院家で、熊野神社の西北方にあったが、大正初め、この地にあった凖提堂と合併され、積善院凖提堂と称するようになった。

積善院凖提堂の本堂には、寛政年間(1789~1801)光格天皇の勅願により、聖護院宮盈仁(えいにん)親王の開眼になる凖提観世音菩薩と、鎌倉初期のもので智証大師の作風を伝える木造不動明王像(重要文化財)を安置する。

境内西北隅には、もと聖護院の森の西北(現京大病院)の野中にあった石造の崇徳院地蔵をまつる。また、東南隅には、昭和27年、豊竹山城少椽らの発起によって建てられた「お俊伝兵衛恋情塚」がある。

毎年2月23日におこなわれる五大力尊法要は参詣者で賑う。

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この項 <完>





by mo-taku3 | 2018-05-01 12:27 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(3)

Commented by toshi-ohyama at 2018-05-11 09:56
門跡寺院とすると青蓮院と同じような位置付けなのでしょうか 修験道との関連とか調べてみると面白そうなお寺ですね
Commented by mo-taku3 at 2018-05-12 00:40
私も正直ここについては調べて初めて少しわかった程度です。
調べてみると何かあるかもしれません。
Commented by mo-taku3 at 2018-05-12 01:06
こんな情報があります。
「聖護院の開基は園城寺(三井寺)の僧・増誉である。増誉は師である円珍の後を継いで、師が行っていた熊野での大峰修行を行うなど、修験僧として名をはせ、寛治4年(1090)、白河上皇の熊野詣の先達(案内役)を務めた。この功により増誉は初代の熊野三山検校(熊野三山霊場の統括責任者)に任じられ、役行者(修験道の開祖とされる伝説的人物)が創建したとされる常光寺を下賜された。これが聖護院の創建である。寺名は「聖体護持」の意である。
増誉は、熊野三山検校として、また、本山派修験道の管領として、全国の修験者を統括した。」
とあります。ただ、常光寺については詳しくは今のところわかりません。わかれば教えてください。