西国6番札所「壷阪寺(南法華寺)」20180524

西国6番札所「壷阪寺(南法華寺)」20180524



壷阪寺は通称。正式には「壺阪山 南法華寺」で西国三十三所観音霊場第6番札所である。

南に桜の名所吉野山を控え北に万葉のふるさと大和三山奈良盆地を一望におさめる、奈良県高市郡高取町にある、真言宗のお寺である。本尊の「十一面千手観世音菩薩」は眼病に霊験あらたかな観音様、目の観音様として全国各地から毎日多くの参拝者が訪れる。

創建は寺蔵の『南法花寺古老伝』によると、大宝3年(703)年に元興寺(がんごうじ;奈良)の僧、弁基上人がこの山で修行していたところ、愛用の水晶の壺を坂の上の庵に納め、感得した観音像を刻んで祀ったのが始まりといわれる。 境内からは当時の藤原宮の時期の瓦が多数出土している。

平安期には、長谷寺とともに定額寺に列せられ(847年)、平安貴族達の参拝も盛んになった。

一時は山内に三十六堂、六十余坊の大伽藍を配していたが、南北朝時代や戦国時代の戦乱に巻き込まれ、当時庇護を受けていた越智氏の滅亡とともに壷阪寺も衰退していった。

近世の壷阪寺は豊臣秀吉の弟秀長の家来本多利久が高取城主となり、本多氏とその後明治の廃藩置県まで続く藩主植村氏の庇護を受け復興していった。

明治の初め、盲目の夫沢市とその妻お里の夫婦の物語、人形浄瑠璃『壺坂霊験記』が初演され、歌舞伎、講談、浪曲となり壷阪寺の名は大きく世に広まっていった。

戦後は、社会福祉活動に大いに貢献している。

また、境内には多くの石像などが建てられ、置かれ、高低差のある伽藍配置は見事というしかない。

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この項 <完>





by mo-taku3 | 2018-08-18 00:34 | (巡礼)西国三十三ヵ所 | Comments(2)

Commented by toshi-ohyama at 2018-08-20 08:18
大阪の文楽の賑わいは 東京では歌舞伎のようなものでしょうか 十一面千手観音菩薩は 祈り手側の実に欲張りな現世利益信仰の究極の姿のような気がします 眼を開いて此方を見つめるお姿は 願い事を聞いていますよという証 ポピュリズムの神髄のようなお姿と映ります
 
Commented by mo-taku3 at 2018-08-21 14:57
お寺の人気を挙げるには、十一面で、千手菩薩での観音信仰の時流に乗るのが流行だった時期があるのでしょう。山城地区の観音信仰はある時期盛んだったようで、競って仏像を建立していたようです。