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京都「本満寺と山中鹿之助」20180915

京都「本満寺と山中鹿之助」20180915



山中鹿之介幸盛(やまなか しかのすけゆきもり)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての山陰地方の大名である尼子氏の重臣である。

優れた武勇の持ち主で「山陰の麒麟児」の異名を取り、尼子十勇士の筆頭にして、何度も尼子家再興のために力を尽くした忠臣である。

願わくば、我に七難八苦を与えたまえ と三日月に祈った逸話は有名であり、戦前の修身(道徳)の授業には必ずと言っていいほど出てくる人物である。
その人物のお墓がここ本満寺にある。今では殆どお参りに来る人もないが、お寺ではきれいに清掃している。


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尼子氏(あまごし)とは、
京極氏の一族で代々出雲守護代を務めた。
京極氏から室町中期に分かれた家であり、京極尼子家とも呼ばれる。
また、山陰地方で活動し、戦国大名となった一族は出雲尼子氏と呼ばれ最盛期には中国八カ国を領域に起き120万石の広大な領土を支配した大大名である。
余談だが、「八つ墓村」は尼子氏の落人を題材にしていると聞いている。












この項 <完>





by mo-taku3 | 2018-09-15 10:18 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(2)

Commented by toshi-ohyama at 2018-09-24 10:55
尼子家再興は 山中鹿之介にとって最大の眼目のはずで 毛利家にとっては 何としても歴史から消し去りたい歴史のはず
墓が残っているだけでも 奇跡的なのかもしれませんね
(逆に 徳川家は 毛利家の評判を落とすために 意識的に残したのかもしれません)
Commented by mo-taku3 at 2018-09-29 17:54
再度ゆっくり調べますが、尼子家が2度つぶれた後最高までの間京都か近江の鴻池氏(姻戚との説あり)の関係商人の所に逼塞していたとありますので、その関係者が建てたことが考えられるのと、秀吉は鹿之助に後ろめたい所もあったと思うので応援したことも考えられます。以下、参考まで!
http://aranishi.hobby-web.net/3web_ara/personal91.htm