観光客も少なく静かな「平安神宮」20181002

観光客も少なく静かな「平安神宮」20181002



平安神宮のあるところは「岡崎」といいますが、この平安神宮がここに建てられたのは明治28年に行われた京都万国博覧会に平安京の大極殿の1/8の大きさのものを作ったのがきっかけでした。この大極殿模型が平安神宮の本殿になったわけです。
実は明治に建てられた大きな神社として、「樫原神宮」、「明治神宮」があります。
平安神宮で好評なのは「神苑」です。桜の季節が特に訪れる人が多く、中でもふんだんにちりばめられた、「しだれ桜」は見事と言っていいと思います。神苑には大きな池があり、そこに架かる「泰平閣」は和風の憩いの場所となっています。

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この項 <完>






by mo-taku3 | 2018-10-02 13:16 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(3)

Commented by toshi-ohyama at 2018-10-04 09:24
天皇親政の演出として 神社を創建することを企画したのは いったい誰なのでしょうか
錦旗を思い付いたのは岩倉具視ですから ひょっとすると彼なのかもしれません
樫原神宮が 白木造りで荘厳な神道のイメージを強調しているのに対し 竜宮造りや派手な朱塗りが京都の中心に置かれるのは 実に見事な演出です 
Commented by mo-taku3 at 2018-10-05 18:00
この神社の造営は武士政権の徹底した破壊の一環でしょうね。廃藩置県・廃城令・廃仏棄却、加えて廃刀令などもそうでしょう。公家はイコール藤原一族といっていいと思いますが、念願の政権を得られた新政府は後醍醐天皇の失敗を繰り返さないよう次々と手を打っていったことが今につながったのでしょう。
最近の歴史番組でもやられているように、武士の筆頭である幕府の討伐ができたことが決定的だったのではないかと思います。
京都の朱は大極殿そのものが本殿ですからそのままという感じがします。橿原神宮は何か考えがあったのでしょうか。
Commented by toshi-ohyama at 2018-10-06 06:28
橿原神宮は 神武皇統の正当性を示すため と云えるでしょうね 拓さんの云われる新政府戦略の一環であったという見方がとても納得出来ます