青蓮院門跡・知恩院の「三門と黒門」20181002

青蓮院門跡・知恩院の「三門と黒門」20181002



平安神宮から清水寺まで続く「東山観光ストリート」(仮称)のその一部(青蓮院から知恩院)を散策してきた。
青蓮院では名物の年代物の樟が強風にやられたようで、かなり痛めつけられていた。
この樟は大きな根が沢山露出していて、勿論枝も大きく広げていたが、写真のような状態だった。
続けて知恩院に向かった。知恩院の北側に当たる「黒門」から中に入る。ここは徳川政権が京都守護において、有事の際に対応できるよう城構えとなっている。特にこの黒門から北門への道や三門を抜けて御影堂までの急な階段が象徴的である。
しかし、明治維新の下級武士による日本初の「革命」には意味がなかったようです。

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この項 <完>






by mo-taku3 | 2018-10-02 13:50 | (紹介記事)京都 | Comments(2)

Commented by toshi-ohyama at 2018-10-15 09:33
青蓮院の樟は東山魁夷が川端康成に勧められて描いた連作「京洛四季」の中に収められていますね 東山の絵も見事ですが 実物の樟も素晴らしいです 何やら危うそうな様子 心配です
明治維新が応仁の乱の二の舞になって洛中が戦場となっていたら 即ち伏見鳥羽の戦いの形勢が逆転していたら 此の三門も焼け落ちていたかもしれませんね
Commented by mo-taku3 at 2018-10-18 23:39
京都は3回大火に見舞われているそうです。
それでなくても応仁の乱で荒廃は大変なもんだったでしょう。
戊辰戦争の初戦の鳥羽伏見の戦いが京都市内でなくてよかったと思っている京都人は多かったんでしょうね。
青蓮院の樟の木は大好きだったので非常に残念ですが、隣の大木が無事だったのが救いでした。