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京都御苑の「宗像神社」20181115

京都御苑の「宗像神社」20181115



北家藤原氏の祖、藤原冬嗣が795年(延暦14)桓武天皇の許しを得て、平安京の東西両市の守護神として福岡県の宗像神社を勧請したのが創祀とされる。
その後冬嗣の自邸小一条第に移したと伝えられるが、小一条第は花山院家が相続したことから同家が別当となる。
その後、天皇の東京移動にともない公家町だったところは京都御苑となり、邸内社が府社となった。
御神木の楠は樹齢600年とも800年とも言われる。
境内社に、花山稲荷神社・京都観光神社・小将井神社・繁栄稲荷神社・金比羅宮がある。
春と秋には花山稲荷神社・京都観光神社の祭礼があり、芸能関係者が集い神楽舞やヴァイオリン、フルート、津軽三味線などのミニコンサートなど奉納される。
12月の境内では水仙が咲き、34月は彼岸桜・染井吉野・枝垂れ桜・黄桜・山桜(紫宸殿元左近の桜を拝領)と花に囲まれた境内となる。
今の時期は紅葉の木も色づき見頃となっている。



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この項 <完>





by mo-taku3 | 2018-11-15 11:15 | (紹介記事)京都 | Comments(4)

Commented by toshi-ohyama at 2018-11-20 08:40
宗像大社は 朝鮮と日本を結ぶ海路に在り 天照の娘を祀るわけですから 皇室にとっては重要な外戚とも位置付けられます
その割には 皇室の取り扱いはそれ程高い様にも見えません
藤原冬嗣は謀反人でもあり 都から遠ざけられてもおかしくはない筈 今も御所に近く鎮座まします処に何か意味があるように思えてなりません
Commented by mo-taku3 at 2018-12-11 11:14
京都御苑内の宗像神社についてはいくつか調べてみましたが、手掛かりになるようなものは、見つかりませんでした。ただ、藤原冬嗣は謀反人ではないようで、左大臣になった後亡くなっています。死後正一位を賜っています。
この神社は冬嗣が編纂した、六国史の日本後記に載っているそうで、皇室でも大事にされたようです。詳しいことはわかりませんでしたが、藤原氏の意見は皇室の上をいった時代ですから必要と思って、そして地位を高めようとして作ったのかもしれませんね。

コメントが大変遅くなり失礼いたしました。
Commented by toshi-ohyama at 2018-12-13 07:50
最近読んだ関裕二氏の本で ヤマトは 北九州 吉備 越 東海(尾張?)出雲の諸豪族の緩い結束により生まれ 徐々に諸豪族が力を失い ヤマトの集権国家になったのではないかとありました 宗像もその流れの中で御所に祀られているのではと考えますが如何でしょうか
Commented by mo-taku3 at 2018-12-13 10:23
そうかもしれませんね。
藤原氏の力が強くなってきた頃ですから、先祖が作った日本書紀などから、宗像を利用したとも考えられるのではないでしょうか。いわゆる、伊勢信仰の強化というか…。