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明治天皇生誕地と京都御苑20181115

明治天皇生誕地と京都御苑20181115



この写真は昨年11月のものです。
京都御苑の北、「今出川御門」を入ると静かな雰囲気を漂わせる風景はある。元京都御所の一角には見えない、普通の公園といった感じです。
御門を入って200m位で左に行くと、「中山邸跡」という立て札がある、中を覗くと「明治天皇生誕の地」という標識が立っており、また産湯の「祐井(さちのい)」とあります。
明治天皇の母親(中山慶子(側室))は中山家の出で、ここが祐宮(明治天皇)の出生地とのことです。
明治天皇の皇后は九条出身の九条夙子(後の英照皇太后)であったが、子として富貴宮が生まれましたが1歳で早世しています。それで養子女の
祐宮(明治天皇)が後を継いでいます。
この頃はまだ側室が持てる時代だったんでしょうね。今は不便ですね。跡取り問題で苦労してますね?

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この項 <完>





by mo-taku3 | 2019-01-09 19:50 | (歴史)京都史 | Comments(2)

Commented by toshi-ohyama at 2019-01-15 10:11
中山忠能 忠光親子が 天皇の外戚として暗躍したことを 明治維新史の中でどう評価するのか 考えさせられることも多いので 余りよい印象は持ちません
明治政府により神格化され利用された明治天皇には 人間的なエピソードも多く 日清日露の戦役時には 政府の決定に対して異論を唱える等 好印象を持ちます  
Commented by mo-taku3 at 2019-01-19 01:02
明治新政府はおっしゃる通り天皇を無視する・騙す行為がいくつかあるようですね。究極は天皇を行幸と言って東京に連れてきたことでしょう。天皇は帰りたがっていたようですが、公家に移転命令が出てやむなくあきらめたと聞いています。
帝国憲法下での神格化された天皇は、時の権力者に上手く利用されていたと言っていいのではないかと思います。帝国憲法の意味を理解していたのは、昭和天皇だったと思いますね。
そうゆう意味では戦後の退位が妥当だったように思います。
よく聞かれる、民間からもらわれるという言葉は、帝国憲法下での発言でしょうね。