水の神様「福長神社」(京都)20190130
福長神社の駒札には、
「本社は福井(さくいの)神,綱長井(つながいの)神,稲荷神を祭神として祀る。
社名は,福井,綱長井の二神を合祀することによるが,稲荷神も合祀することから「福(ふく)長稲荷(ながいなり)」とも呼ばれた。
福井神と綱長井神は,平安京大内裏内の神祇官西院(さいいん)(現在の大宮竹屋町辺)に祀られていた延喜式内社,宮中の神の座摩巫(いがずりのみかんなぎの)祭神五座(生井神,福井神,綱長井神,波比伎神,阿須波神)のうちの二座である。
現在の地に遷された経緯については,社伝によると天正年間,豊臣秀吉の聚楽第造営,あるいは廃城の際と伝えられるが,天正2年(1574)に織田信長が上杉謙信に贈ったと伝えられる洛中洛外図屏風(狩野永徳筆)には,すでに現在地に福長神社が描かれている。
天明の大火(1788)で焼失した後は小さな祠となったが,明治時代以降も水の神(屋敷内の井戸や泉の神)として地元の人々から篤く信仰されている。京都市」
とありました。祀られている神様は何れも水神のようです。
また、この神社の近くには「富岡鉄斎」邸跡あった。
この項 <完>
by mo-taku3 | 2019-01-30 11:20 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(4)
福井で さくい ですか 読めませんね
改めて地図で聚楽第跡を確認すると 御所を西側から圧迫するような位置に建てられたことが良く判りました
ここを簡単に壊したのは(推測ですが)出すぎたことへの後悔が跡継ぎを考えたときに浮かんできたのではないかと思いますが、如何でしょうか?