京都「淀城祉」20190225
「淀(よど)」というところは、古くは「与渡津」(淀の港)と呼ばれ、諸国からの貢納物や西日本から都に運ばれる物産の陸揚げを集積する商業地であり、また、河内・摂津や大和から京洛に至る要衝地であった。
安土桃山時代、豊臣秀吉が、側室茶々の産所として築かせた淀城は、宇治川、桂川の合流付近の川中島にあり現在の位置より北へ約500メートルの位置にあったが、豊臣秀次が謀反の疑いを掛けられた際に廃城とされている。
徳川二代秀忠の時代(1625年)、伏見城の廃城とともに淀城が建てられ、上京の折は秀忠・家光や春日局などはここを宿舎としている。春日局の実家である稲葉氏が1756年から幕末まで城主を務めている。
横の神社には稲葉氏が祀られている。
この項 <完>
by mo-taku3 | 2019-02-25 14:45 | (城郭)全国のお城 | Comments(2)
不思議なほどの偶然が全て幕府軍に不利に働いていく 関ケ原同様 負けるはずのない戦を蒔けていく処に歴史の面白さ怖さを感じます
http://ochanokyoto.jp/event/detail.php?eid=173