平氏打倒の先駆け「以仁王」の城興寺20190703
以仁王(もちひとおう)は後白河天皇の第3皇子で、平家打倒の先駆者でありながら、所期の目的を達せず、悲劇的な最期を遂げたことで知られる。
時は平家政権の末期で、後白河法皇が平家打倒の謀議が発覚し、鳥羽殿に幽閉されるといった事態「治承三年の政変」が起こった。以仁王も連座していた疑いをもたれ、所領(ここ城興寺)を没収されたこともあり、自ら全国の源氏に平家打倒の令旨を出して決起を促し、源三位頼政とともに立ったが源氏決起の足並みが揃わず多勢に無勢で失敗に終わっている。平家の圧倒的な力の前に敗走し、南都の寺社勢力を頼ろうと大和国を目指して落ち延びる途中、南山城で討ち取られている。
この項 <完>
by mo-taku3 | 2019-07-03 14:30 | (仏閣)京都のお寺 | Comments(5)
また、頼政側の兵は平家物語では、1,000騎とありましたが50とは何の資料でしょうか?事実がわかれば知りたいですね。
ありがとうございます。