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豊臣秀吉の廟所「豊国廟」20190730

豊臣秀吉の廟所「豊国廟20190730



豊国廟は豊臣秀吉の墓所である。豊臣秀吉の死後間も無く作られた豊国廟は、現在の京都市東山区阿弥陀ヶ峰の太閤担といわれる広場のところである。

慶長3年(1598)8月18日、秀吉は63歳で伏見城でなくなりましたが、遺体は、遺命により、ここ阿弥陀ヶ峰(あみだがみね)中腹に葬られ、墳上には祠廟、山麓には社殿が建立された。翌年4月18日、遷宮式が行われ、後陽成天皇から正一位豊国大明神の神階と神号を賜り、以後、毎年盛大な祭礼(豊国祭)が取り行われた。しかし、元和元年(1615)豊臣氏の滅亡と共に、家康の命で廟は破壊されている。
しかし、明治30年(1897)、秀吉の300年忌に際し、廟宇が再建され、墳上には巨大な五輪石塔が建てられている。
京都博物館の南西角に「大仏交番」というのがあります。

調べて見るとこの大仏というのは、京都大仏(方広寺の大仏)の名残を表しているそうで、実はこの京都博物館も含め、現在の方広寺・豊国神社東一面(阿弥陀ヶ峰まで含み)は方広寺・豊国神社の境内だったそうです。広大な土地だったんですね。そして奈良東大寺の大仏よりも大きい大仏・大仏殿が、現在の豊国神社の真後ろあったようで、遺跡跡地の説明がなされています。
山麓の社殿は今は残ってませんが、これも立派だったようです。

さて、現在の廟塔に登るには少々骨が折れる、約600段弱の階段を踏破しなければなりません。

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この項 <完>





by mo-taku3 | 2019-07-30 15:30 | (歴史)京都史 | Comments(2)

Commented by toshi-ohyama at 2019-08-09 07:49
秀吉による京都改造は 都市計画としても膨大な費用をかけて完成させたのだと思います 御土居の構築は作業員にきちんと日当を支払ったと読んだことがあります 徳川政権のようなお手伝い普請ではなく 自費で方広寺・豊国廟を建てたのでしょうから その費用は 想像を絶するものであったはず
それでも 大阪城には膨大な金銀が積まれ 家康が淀殿や秀頼に多くの寺院の普請を勧めるのですから 秀吉が一代で蓄積した金の大きさは 計り知れませんね
Commented by mo-taku3 at 2019-08-10 18:33
秀吉の才能は計り知れませんね。稀有な人間でしょう。本人が健在なら道都にもなることが死んでしまうと組織的・構造的なバランスが崩れてくるのでしょうね。企業も同じですね。
惜しいのは、黒田官兵衛などを遠ざけずもっとうまく使えなかったのかなと思いますが、それも器量でしょうか?