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豊国神社(京都)の豪華な唐門20190804

豊国神社(京都)の豪華な唐門』20190804



豊臣秀吉は没後、東山阿弥陀ヶ峰に葬られ京都女子大の東奥の山に立派に豊国廟として祀られていた。その山麓には壮麗だった豊国社が建てられ祀られたが、大坂夏の陣後、徳川家康の手で取壊された。
その後、現在の社殿(豊国神社)は、明治天皇の命により1880年(明治13)に再建のものである。

豊国神社の唐門は日本三大唐門の一つで国宝になっている。

この唐門はここに建てられる前は、南禅寺塔頭金地院にあったもので、豊国神社再建にあたって金地院から移築された。元々は伏見城にあった伝わるもので、二条城に移されそれを金地院崇伝が寛永4年(1627)に幕府から譲り受けて金地院にあった。



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この項 <完>





by mo-taku3 | 2019-08-04 16:50 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(2)

Commented by toshi-ohyama at 2019-08-09 08:26
唐門の姿は 往時の伏見城の壮麗さを彷彿させ 秀吉の伏見城が 桃山文化の華麗な造築であったことを想像させ 惹きつけられます
明治政府が 徳川家の象徴でもある金地院から 奪い取ることも誠に政治的であると感じます
Commented by mo-taku3 at 2019-08-10 17:41
盤石の徳川政権を造るのに過去の為政者が不足していた点も含めて徹底していましたね。
明治維新の違うところは、封建制度の崩壊が海外を見習って薦められたことでしょうね。でもちょっと気を許すと西郷のような行動が残っていたのを、大久保はよく踏ん張りましたね。