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北野天満宮(京都)20190904

北野天満宮(京都)20190904



北野天満宮の大きな駐車場の一角に「北野大茶湯之碑」とそれに使用した井戸があります。

それは、天正15年(1587年)10月1日,豊臣秀吉が京都北野天満宮の神域と松原において,広く人々を集めて催した開放的な大茶会がの跡でした。

秀吉は宮中などでしばしば茶会を開いたが,中でもこれはとくに盛大で,史上最も有名な茶会でもありました。この年の8月より洛中,奈良,堺などに高札を立てて沙汰を出し,「貧富の別なく,数寄者であればだれでも,手持ちの道具を持参し参加せよ」と呼びかけた。

北野松原で行った大茶会は、境内から松原にかけて1500軒余の数寄屋(すきや),茶屋を建てて客をもてなしたという。

この大茶会は初め10日間の予定であったようだが,肥後の国一揆(くにいっき)が起こり、1日で終わったという残念な結果だったようである。

北野天馬宮では暑さもあり参拝客は少なく、静かでしたが、神社では名物の梅干し(大福梅)が用意されてました。



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この項 <完>





by mo-taku3 | 2019-09-04 10:31 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(2)

Commented by toshi-ohyama at 2019-09-07 19:17
高札には 誰でも参加して構わぬが この機会に来なければ 以後 茶会を開くことを許さないという文言が入っていたと記憶します 参加した時に自慢の茶道具を秀吉に取り上げられるのではと戦々恐々ではなかったかと思ったりします 黙々と茶を点てる利休の様子が幾つかの小説に取り上げられていますね 秀吉と利休の心理戦争の重要な一場面であったかと思います
Commented by mo-taku3 at 2019-09-10 23:59
小説にある状況はよくわかりませんが、歴史文献からはなかなか確証がとれませんでした。晩年になってからの色々な行動はしっかりした後継者を造らなかったことから何事も孤独の中で起伏の激しい結果になっていたようですね。
戦国の中を権謀術数で生き抜いてきたのが急に鄭和になり全てがひれ伏した後、何をすればいいか?ぽっかり穴が開いてしまいますよね。朝鮮遠征などその後の行動を見れば穴が開いていることがわかります。