人気ブログランキング |

聖武天皇と紫香楽宮跡(しがらきぐう)0190910

聖武天皇と紫香楽宮跡(しがらきぐう)0190910



紫香楽宮跡は、松林に覆われた丘陵地に残る、国指定の史跡です。

聖武天皇は奈良の平城京で政治を行っていましたが、天平12740)年10月末に奈良を離れ、年末には奈良の北(木津川市加茂町)とその周辺に新しい都を造り始めました。

恭仁京(くにきょう)の建設が進められている間、恭仁京から甲賀郡紫香楽村に通じる道(恭仁東北道)が開通し、天皇は紫香楽村に離宮を造り、後にこの地を都としています。そして、三つ目の宮である難波宮(今の大阪市森ノ宮周辺)を都にする準備を進め、同年2月末には正式に難波を都とする宣言をしました。

聖武天皇が遷都を考えた理由には色々な説がありますが、有力と思われるのは中国の複数都制があったのではないかということです。恭仁京は物流、難波京は外交・貿易、そして紫香楽宮は仏都(廬舎那仏の建立)ということのようです。

その仏都として造られた『紫香楽宮跡』は、緑の松林に囲まれた緩い坂の参道をたどると、金堂跡があり、背後を囲むように僧坊跡・経堂跡・鐘楼跡・塔院跡などの礎石(そせき)が並び、東大寺とよく似た伽藍配置の寺院跡であることがわかります。この寺院は、聖武天皇が紫香楽宮で大仏造立をはじめた甲賀寺跡だと考えられています。
東西90m・南北110mにわたる広い丘陵地には、建造当時の335個の礎石が残り、はるか天平時代の雅やかな雰囲気が偲ばれます。


e0237645_22051542.jpg


e0237645_22051580.jpg


e0237645_22051632.jpg


e0237645_22051656.jpg


e0237645_22051613.jpg


e0237645_22051601.jpg


e0237645_22061016.jpg


e0237645_22061019.jpg


e0237645_22061164.jpg


e0237645_22061107.jpg











この項 <完>





by mo-taku3 | 2019-09-10 14:30 | (歴史)関西史 | Comments(2)

Commented by toshi-ohyama at 2019-09-15 08:57
恭仁京 難波京は 巡りましたが 紫香楽京は未だ出掛けたことがありません とても良い刺激になり むくむくと訪問したくなりました 藤原広嗣の乱の折に 突然都を離れた聖武天皇の10年間の歩みは 誠に不思議です 何やら伊勢神宮が伊勢の地に落ち着くまでの軌跡に似た行程を辿っているという説を読んだことがあります 可也良く保存されているようで 面白そうですね
Commented by mo-taku3 at 2019-09-15 23:31
仏都として建設した紫香楽宮は詳しいことは若手いませんが、甲賀寺というお寺の礎石は残っています。都としての範囲はもっと広いですが、あまりはっきりとは区画できません。
興味が湧くのは甲賀寺の伽藍配置が東大寺に似ているということです。また行って詳しくみて見たいですね。