妙顕寺(法華宗唯一勅願寺)20210225
妙顕寺 (みょうけんじ)は、京都市上京区寺の内通に面して、貝足山と号し龍華院ともいう日蓮宗の大本山の一つである。日像上人が日蓮聖人の遺命を受け、京都布教中の日像上人が、後醍醐天皇より寺領を賜り、元享元年(1321)京都における日蓮宗最初の道場として御溝傍今小路に創建したのが妙顕寺のおこりである。
建武元年(1334)には法華宗号と勅願寺の綸旨を受け、法華宗最初の勅願寺として洛中洛外の宗門の第一位を認められ、京都における法華宗の根本をなす寺院となった。その後、備前法華の祖と仰がれる「*大覚」を輩出・功績により、法華宗の発展に大きく寄与することとなり、「**四海唱導」「四条門流」と呼ばれ、四海唱導妙顕寺といわれた。境内には、大覚を称える石標が立っている。
しかし、度々の法難と災禍により寺地も転々とし、秀吉の都市計画で五条大宮の旧地より現寺地に移された。のち、天明8年(1788)焼失したが、天保5年(1834)再建され今日に至っている。
現在、塔頭 が九院ある(久本院、十乘院、泉妙院、法音院、恵命院、善行院、本妙院、實成院、敎法院)。妙顕寺、妙覚寺 、 立本寺 の三寺で「***龍華の三具足(りゅうげのみつぐそく)」と呼ばれている。
寺宝として、紙本墨書後小松天皇宸翰御消息(重要文化財)などがあり、塔頭「泉妙院」には尾形光琳・乾山の墓がある。(*、**、***は後述)
*「大覚」は、近衛経忠の子、あるいは後醍醐天皇の皇子と言われ、初めは真言宗大覚寺の僧であった。1313年(正和2年)京都布教中の日像の説法に共感し、大覚寺の地位を捨てて弟子となり、1342年(康永元年)妙顕寺2世となった。
***龍華の三具足(りゅうげのみつぐそく)とは、
by mo-taku3 | 2021-02-25 13:40 | (仏閣)京都のお寺 | Comments(2)
後醍醐は 真言密教に傾注してと思えば 伊勢を保護したり 夢窓疎石を見出し禅宗を支援したり 矢張り異能の天皇というべきなのでしょうか
東京の鬼子母神は 鬼の爪を抜いた漢字を使用しますが 此方は普通の鬼の字ですね 寧ろ東京が異例なのでしょうか