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京都ぶらり町歩き(東山その①)20210227

京都ぶらり町歩き(東山その①)20210227



京都の街を皆さんにご紹介方々、カメラでつづってみたいと思います。
第一回目の試みとして、東山周辺をご紹介したいと思います。
今回は、河原町通松原から「八坂の塔」を通り、清水二年坂から四条川端通の「南座」までを①~④回でご紹介します。

さてその京都街歩き(東山その①)は。
河原町松原といってもピンとこないかもしれませんが、四条河原町の周辺は商業の街と言っていいと思います。その四条河原町から4筋下ルと(京都では南行きは〝下ル”といいます)松原通です。豊臣秀吉は、応仁の乱後の荒れた京都の町を「御土居」で囲まれた城壁都市として、新たに区画整理をやり直しました。それ以前のこの松原通は、五条通と言われていたところで、清水寺への参道として大変賑わっていたようです。

河原町松原の交差点には、このような日の丸のついたユニークな街燈があります。ここからスタートです。

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松原通を東に進むと200mほどで鴨川にぶつかり、そこに松原橋が架かっています。この駒札には、五条大橋の所以が架かれています。
余談になりますが、義経と弁慶のお話は平安末期になりますから、当時の話はこの松原橋での逸話になるわけです。松原通には今でもこれにあやかったものがあるようです。


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松原橋から南(下流)を見ると、五条大橋が見えます。


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松原橋から北を見ると、少し川の右手に比叡山が見えます。


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鴨川に架かる松原橋を渡り進む道は、元々清水寺への参道となるわけで、この道を進んでいくと宮川町花街(横を向くときれいに石畳で整理された花街の道にお茶屋さんが並んでいます。)があり、ここを過ぎていく道は色々なお店が続いています。

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そのまま進むと、「愛宕念仏寺元地」の石標があります。以前から気になっていましたが、愛宕念仏寺は、現在、右京区嵯峨鳥居本 という高雄への途中にありますが、ここから移ったということですね。
京都では神社仏閣の移転が、時の権力者によって当たり前のように行われていました。神社仏閣は殆どが皇族・公家・大名・有力武士などの保護や寄進によるものでした。神社の移転はあまりなかったようですが、僧兵など武力を抱えたお寺は、ついつい大きな敷地を占めることになりますので、移転をさせられたり、縮小させられたりしていました。特に大きな影響を受けたのは、明治新政府による「廃仏棄却・上知令」でした。大名の廃藩置県により仏閣の土地の保護者がいなくなり、国有財産となり、また、私有地化した所には納税の義務が生じ、自ら土地を手放す(国への召し上げ、売却)ところが多くなりました。
愛宕念仏寺はどのような状況だったんでしょうね。


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更に進むと、この辺りは「六道の辻」と呼ばれ、古くより鳥辺野の入口に当たり(鳥辺野の入口とはあの世とこの世の境と云われていた。)、葬送地に送られる亡骸の無常所になっていた。そこに「西福寺」というお寺がある。その西福寺の土仏地蔵尊は弘法大師・空海作と言われ、814年(弘仁5年)空海が第52代・嵯峨天皇と檀林皇后の皇子・正良親王(仁明天皇)の病気平癒を祈願したことから、子育地蔵(子安地蔵・子授地蔵)と言われ崇められています。



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西福寺の向かいに、「幽霊子育飴」という飴を売る店がある。幽霊子育飴の由来は、「慶長4年(1599)にある女性が亡くなり埋葬された、その数日後にその土の中から子供の泣き声が聞こえてきたので掘り返してみると、亡くなった女性が生んだ子供であった。丁度そのころ、毎夜飴を買いに来る女性があったが、子供が墓から助けられたあとは買いに来なくなったという。それ以来、この飴は「幽霊子育飴」と呼ばれるようになったという。その時助けられた子どもは8歳で出家し高僧となった。」と伝えられている。


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六原商店街です。近く一体が六波羅探題(六波羅蜜寺に石標がある)を中心平氏一門・一統が住まいしていた。


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「六道珍皇寺」は「六道さん」の名で親しまれ、お盆の精霊迎えに参詣するお寺として知られています(実際凄い人がお参りします)。平安時代以前に建立され、冥府を行き来したと伝えられる「小野篁(たかむら)」所縁(ゆかり)の寺院で、平安京の東の墓所であった鳥辺野に至る道筋にあたり、この地で「野辺の送り」をされたことより、ここが「人の世の無常とはかなさを感じる場所」であったと言われています。高級役人であり、冥界の番人でもあると言われる小野篁が毎夜の冥府通いのため、本堂裏庭にある井戸をその入口に使っていたとあるという、有名な話です。



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以上4回シリーズのその①です。











この項 <完>





by mo-taku3 | 2021-02-27 13:00 | 「京都の観光」道案内 | Comments(2)

Commented by toshi-ohyama at 2021-03-08 09:36
第一回から盛り沢山ですね 松原通りは 道幅が丁度良く歩き易い通りだと思います 日の丸を常時掲げるのには何やら謂れがありそうです 
愛宕念仏寺の移転は 大正11年のことなのですね 秀吉の京都大改装の時の話かと思っていました    
Commented by mo-taku3 at 2021-03-09 09:54
文章が下手なのですが、自分の興味の部分だけでなく少し掘下げて紹介していこうと思い立ちました。
重労働ですが…?