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新日吉神宮境内社「樹下社等3宮」20230123

新日吉神宮境内社「樹下社等3宮」20230123



新日吉神社には、境内社として以下の3社が祀られています。
・飛梅天満宮:(祭神)菅原道真、飛梅之霊。永暦元年(1160年)に後白河上皇により創建。
・豊国神社(樹下社):(祭神)豊臣秀吉。天明5年(1785年)に創建。
・秋葉神社/愛宕神社:(祭神)秋葉・迦具土神、愛宕・愛宕大神。永暦元年(1160年)、後白河上皇により創建さてれいます。
豊国神社は、徳川幕府により豊国大明神(豊臣秀吉公)が廃絶されたあと、「樹下社」(このもとのやしろ)として、密かに秀吉公の御霊をお祀りしてきたといいます。
秀吉公は「木下」姓と、「日吉丸」(幼少時代)の名前を名乗っていましたので、「樹下社」「新日吉社」の名前で、徳川幕府の監視の目をくぐってきたと伝えられています。
こんなエピソードが残されています。
「豊国社が廃絶されてから、その御神体は妙法院で密かに祀られていたのですが、江戸時代の中頃からは新日吉社に祀られるようになったようです。しかし、天明5年(1785年)にその御神体を祀るために新たに樹下神(十禅師、鴨玉依姫神)を勧請して樹下社(このもとのやしろ、現在は豊国神社と改称)が創設されています。
これらのことから新日吉社の再建は、実は「豊国神社の復活」ではなかったか、という見方もあります。このような説が生まれる背景には、秀吉の元姓が「木下」(樹下に通ずる)、また幼名が「日吉丸」(日吉社に通ずる)と符合する点があるからです。」
これはいかにもという感じがして、わかりますよね。多分ばれていたんでしょうね、京都での太閤さんの人気は根強く、幕府としては落ち着いてからのことですから、藪をつつくようなことは避けていたんでしょうね。

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この項 <完>





by mo-taku3 | 2023-02-01 15:00 | (神社)京都の神社 | Comments(0)