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2011年 11月 04日 ( 1 )

秀吉のお墓は何処に?

秀吉の墓へ


豊臣秀吉はやはり偉大な人間だったことが、豊国廟(秀吉の墓所)のエピソードにも表れています。

京都にある豊国廟に出かけてみました。
気軽に行ったつもりが、大変な目にあった(後述)気がしている。というのは、もっと簡単に行けると思ったからです。
実は、以前直ぐ近くにきましたが、かなり階段を登らなければならないことが分かり、次の機会にと思い引き返してきたことを思い出しました。

まず、豊国廟に入るには、50円で登拝券をいただきますが、この登拝券に簡単な説明が載っていますのでそのまま引用します。

(豊国廟登拝券) 豊国廟は慶長3(1598)年、伏見城にて薨去された太閤豊臣秀吉公の墓所です。御遺骸は遺命によりこの阿弥陀が峯に葬られ、山腹には正一位豊国大明神として秀吉公を祀る壮麗壮大な豊国社が創建されました。しかし、豊臣家滅亡後、徳川幕府の命により、豊国社は廃祀され、御廟も空しく叢に埋もれてしまいました。幕府崩壊後、明治天皇のご沙汰で方広寺大仏殿跡地に神社は再興されました。現在の御廟は明治31年豊太閤三百年祭にあたり、豊国会の手により全国の浄財を集めて造営されたものです。豊国神社社務所

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この説明でもわかる通り、徳川幕府が正一位の秀吉の神社を取り壊すということは、豊臣家というより秀吉自身の偉大なる大きさと、それと同じ位の脅威を家康は感じていたということでしょう。


さて、前置きが長くなりましたが、まず 豊国神社から。

豊国神社の近くにはこのようなところがあります。
まずは、三十三間堂です。

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三十三間堂の向かいには「京都博物館」あります。今、改修工事をやってます。

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京都博物館を出て西へしばらく行くと、こんな標識があります。

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そして、100mほど北へ上ると、豊国神社の正面に出ます。

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そして、境内に入ってみると、参道の先に唐門が見えます。
この唐門は、元々伏見城にあったもので、その後二条城に移築し、明治に入って豊国神社の再建時に二条城からここに移築されたものだそうです。

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豊国神社の沿革が書かれています。

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手水舎には、立派な豊臣家の家紋が彫られておりました。

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唐門から先は入れないが、奥には拝殿がみえます。

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ここの絵馬はやはり秀吉の馬印と同じ、瓢箪の形をしておりました。

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豊国神社は、家康の命によって取り壊され、明治時代になって方広寺の大仏殿の跡に再建されたものですが、現在も、豊国神社の横には方広寺があり、家康が豊臣家を滅ぼすきっかけを与えた、当時の鐘(重要文化財)も存在していますし鐘楼の天井には壁画がきれいに描かれているのが分かります。
また、この鐘は東大寺、知恩院のと並んで日本3大名鐘と言われているそうです。
もう一つ方広寺の入口から北に巨石の石垣が約100mほど現存しています。


さて、再び豊国廟に戻りますが、

豊国廟のすぐ下は、京都女子大があります。
余談ですが、京都女子大は近辺に広大な土地を持ち、幼稚園から大学・大学院までこの地に集中しています。「学校法人 京都女子学園」

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この豊国廟への入口につながる階段下までは、京都駅から赤いバス(Princess Line)が走っています。


私もこのバスに乗ってここまでやってきました。

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バスを下り、早速階段を数十段上がるときれいに整備された公園みたいな敷地があり、その正面にいよいよ豊国廟の入口にあたる「神門」があります。
この門の入口で50円を払い、足を数歩踏み入れるとそそり立つような(ちょっと大げさ?)階段が目に入り、一瞬歩みが止まりました。
何と、この階段は500段を超す長さだったのです。
神門はかなり立派な彫刻が施されていた。

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神門をくぐると直ぐ階段となっています。
ここからは、480段位をゆっくりゆっくり(もう歳なので)のぼっていきました。
途中何度何度も休憩しながら。

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頂上にはもうちょっとです。
頂上には朝9:30頃でしたが、既に先客3名様がおられました。

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この廟の前でしばし談笑して、戻りに入りましたが、膝はがくがくいっていました。



こう見てくると、時代の盛衰がまともに反映されていることが分かりました。
豊国廟は非常に清掃が行き届いておりました。
この廟は豊国神社の管理下にあり、常時門の近くの管理小屋に駐在員がおり、周囲の清掃に精を出しておりました。

この項 <完>

by mo-taku3 | 2011-11-04 00:50 | (歴史)京都史 | Comments(7)