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2013年 01月 25日 ( 2 )

巨大寺域の『妙心寺』

巨大寺域の『妙心寺』


妙心寺(みょうしんじ)は、京都市右京区花園にある臨済宗妙心寺派大本山の寺院。山号を正法山と称する。
本尊は釈迦如来。開基(創立者)は花園天皇。開山(初代住職)は関山慧玄(無相大師)。
日本にある臨済宗寺院約6,000か寺のうち、約3,500か寺を妙心寺派で占める。
近世に再建された三門、仏殿、法堂(はっとう)などの中心伽藍の周囲には多くの塔頭が建ち並び、一大寺院群を形成している。
平安京範囲内で北西の12町を占め自然も多いため、京都市民からは西の御所と呼ばれ親しまれている。

京都の禅寺は、五山十刹(ござんじっさつ)に代表される、室町幕府の庇護と統制下にあった一派と、それとは一線を画す在野の寺院とがあった。
前者を「禅林」または「叢林(そうりん)」、後者を「林下(りんか)」といった。
妙心寺は、大徳寺とともに、修行を重んじる厳しい禅風を特色とする「林下」の代表的寺院である。
平安京の北西部を占める風光明媚な妙心寺の地には、花園上皇の花園御所(離宮萩原殿)があった。
花園上皇は、建武2年(1335年)法皇となり、花園御所(離宮萩原殿)を禅寺に改めた。
大徳寺開山の宗峰妙超(大燈国師)は、高弟の関山慧玄を推挙した。
その頃、美濃(岐阜県)の伊深(美濃加茂市伊深町)で修行に明け暮れていた関山は、暦応5年/康永元年(1342年)妙心寺を開山した。
妙心寺6世住持の拙堂宗朴(せつどうそうぼく)は、足利氏に反旗をひるがえした大内義弘と関係が深かったため、将軍足利義満の怒りを買い、応永6年(1399年)、義満は妙心寺の寺領を没収し、拙堂宗朴は大内義弘に連座して青蓮院に幽閉の身となった。
更に、妙心寺は応仁の乱(1467-1477年)で伽藍を焼失したが、中興の祖である雪江宗深の尽力により復興。細川家や豊臣家などの有力者の援護を得て、近世には大いに栄えた。

私が見た臨済宗の伽藍配置は、勅使門→三門→仏殿→法堂→方丈が一直線並んでいたが、妙心寺も例外ではなかった。
また、勅使門の右隣には、総門がある。これも例外ではない。

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勅使門。

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総門から見た境内の道。

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三門。

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仏殿。

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法堂。

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大方丈。

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境内は40以上の塔頭があり、全てが整備されている。
暫く歩いてみたが、聞き慣れた大名家の塔頭も見られたが、さすがに広くて疲れた。




この項 <完>

by mo-taku3 | 2013-01-25 17:01 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(0)

梅の開花が間近な『北野天満宮』

梅の開花が間近な『北野天満宮』


北野天満宮(きたのてんまんぐう)は、京都市上京区にある神社。
通称、天神さん・北野さんとも呼ばれる。
福岡県の太宰府天満宮とともに天神信仰の中心で、当社から全国各地に勧請が行われている。
近年は学問の神として多くの受験生らの信仰を集めている。

延喜3年(903年)、菅原道真が無実の罪で配流された大宰府で没した後、都では落雷などの災害が相次いだ。これが道真の祟りだとする噂が広まり、御霊信仰と結びついて恐れられた。
そこで、没後20年目、朝廷は道真の左遷を撤回して官位を復し、正二位を贈った。
天慶5年(942年)、右京七条に住む多治比文子(たじひのあやこ)という少女に託宣があり、5年後にも近江国の神官の幼児である太郎丸に同様の託宣があった。それに基づいて天暦元年6月9日(947年)、現在地の北野の地に朝廷によって道真を祀る社殿が造営された。
後に藤原師輔(時平の甥であるが、父の忠平が菅原氏と縁戚であったと言われる)が自分の屋敷の建物を寄贈して、壮大な社殿に作り直されたと言う。
永延元年(987年)に初めて勅祭が行われ、一条天皇より「北野天満宮天神」の称が贈られた。正暦4年(993年)には正一位・右大臣・太政大臣が追贈された。以降も朝廷から厚い崇敬を受け、二十二社の一社ともなった。
天正15年(1587年)10月1日、境内において豊臣秀吉による北野大茶湯が催行されたことは有名である。境内西側には、秀吉は京の守りのために作らせた史跡「御土居」の遺跡が残されている。
江戸時代の頃には道真の御霊としての性格は薄れ、学問の神として広く信仰されるようになり、寺子屋などで当社の分霊が祀られた。

北野天満宮や菅原道真は、梅および牛との関係が深い。

 東風(こち)吹かばにほひおこせよ梅の花 主なしとて春を忘るな(忘れそ)— 菅原道真, 拾遺和歌集

道真は梅をこよなく愛し、大宰府左遷の際、庭の梅に上記の和歌を詠んだことや、その梅が菅原道真を慕って一晩のうちに大宰府に飛来したという飛梅伝説ができたことから梅が神紋となり、約2万坪の敷地には50種1500本の梅が植えられている。
牛は天満宮において神使(祭神の使者)とされているが、その理由については「道真の出生年は丑年である」「亡くなったのが丑の月の丑の日である」「道真は牛に乗り大宰府へ下った」「牛が刺客から道真を守った」「道真の墓所(太宰府天満宮)の位置は牛が決めた」など多くの伝承があり、どれが真実なのか、それとも全て伝承に過ぎないのかは今となっては良くわからないものの、それらの伝承にちなみ北野天満宮には神使とされる臥牛の像が多数置かれている。伝承のうち「牛が刺客から道真を守った」というのは和気清麻呂を祭神とする護王神社や和気神社の猪の伝承との関連性が強く認められる。

訪れたのは、1月25日で“お初天神”の日だった。
このように出店が出て、人のでも凄かった。

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参道の正面の楼門には大きな絵馬が掲げられている。鳥居からここまではぎっしり出店が並んでいる。

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出店で、こんなかわいい竹細工を見つけてパチリ。

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あい変わらず社殿の前には沢山の人が並んでいた。
また社務所の前にも受験生らしき若い子達も沢山うろうろしていた。

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ここは梅で有名なところであるが、未だチョットはやいようだ。
でも、蠟梅は満開だった。

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皆さんになぜられて変色気味の牛さん。

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その横には境内の図があった。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2013-01-25 16:55 | Comments(0)