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家康のお声がかりで作られた【東本願寺】

家康のお声がかりで作られた【東本願寺】


東本願寺は具体的に取り上げていなかったのでここで改めて簡単に歴史を述べる。
東本願寺は、京都市にある真宗大谷派の本山としての礼拝施設の通称である。正式名称は、「真宗本廟」である。
堀川七条に位置する「西本願寺」(正式名称「本願寺」)の東に位置するため、「東本願寺」と通称される。また、真宗大谷派(以降、大谷派)としても、「東本願寺」の通称を公式ホームページ・出版物などに用い、正式名称「真宗本廟」と併用している。他に、「お東」、「お東さん」とも通称される。
東本願寺(真宗本廟)は、宗教法人格を有していない。大谷派が所有する礼拝施設等(伽藍)の総称であり、宗教法人法による寺院ではない。

「本能寺の変」で信長が没した後、本願寺は大坂・天満を経て、京都・堀川に移る。
しかし、その直後、顕如上人が亡くなられ、長男の教如上人が跡を継いだが、翌年には豊臣秀吉の裁定で、弟の准如(じゅんにょ)上人に職を譲(ゆず)り、隠居(いんきょ)させられる。
しかし1602(慶長七)年、教如上人は徳川家康から烏丸(からすま)六条の土地を寄進され、本願寺を別立し、教団も二分されることになる。この時から東西分派し2つの本願寺が存在する。
その後も東西の勢力の均衡を保つ意味で、徳川幕府は東の後押しを続けている。
徳川家康は特定の宗教勢力の没頭を防ぐ意味で、寺町作り、大徳寺に大名の寺院を集めたり、それまで勢力の弱かった浄土宗3本山設立と城作りの寺構え、智積院の設立等々、勢力の分散化に力を入れた宗教政策を徹底している。

私は、真宗の信者ではないが、こよなく東本願寺のハスの花を楽しみにしている一人である。

さて、東本願寺の前からは化粧直しをした京都タワーがよく見える。

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東本願寺の駒札。先程載せた内容が書かれている。

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ハスの花である。お寺の南側の堀沿いにある。
毎年夏なると訪れている。

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また北側にはスイレンがさいていた。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2013-06-28 11:00 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(2)

元は西本願寺の脇門跡【興正寺】は真宗興正寺派の本山

元は西本願寺の脇門跡【興正寺】は真宗興正寺派の本山


興正寺(こうしょうじ)は、京都府京都市下京区にある浄土真宗の寺院で、西本願寺の南隣に位置する。
歴史を見ると、承元元年(1205年)専修念仏は停止され、浄土真宗の宗祖である親鸞は越後に配流されたが、建暦元年(1211年)に赦免された。
寺伝によると、親鸞は赦免された翌年の建暦2年(1212年)に京都に帰り、山城国山科郷に一宇を創建し「興正寺」と名づけたとし、その後、親鸞はこの寺を弟子の真仏上人(第2世)にまかせ、阿弥陀仏の本願をひろめるため関東に旅立ったとされる。
順徳天皇から聖徳太子にまつわる「興隆正法」の勅願を賜り、これより寺号を「興正寺」とし真宗念仏宣布の根本法城としたという。
しかし、真仏は親鸞が関東教化に遊行した際に下野国(現在の栃木県)に建てた専修寺を任されているなど、親鸞が山科に興正寺を建てたとするには根拠に乏しく、一般的には越後より直接関東方面へ旅立ったとする説が有力である。
興正寺の寺伝では、第7世了源によって事実上創建されたとみなされるが、実際には、京都の五条西洞院にあった親鸞の住坊を元亨元年(1321年)頃に、了源が移転するなどして寺院として開いたのではないかと言われている。

その後、永禄12年(1569年)、興正寺に本願寺顕如の次男顕尊が入寺し、石山本願寺の脇門跡に任ぜられる。
天正13年(1585年)、天台宗の寺があった大阪天満の地に、広大な堂舎を配した天満本願寺と共に真宗興正寺として法燈をかかげた。
天正19年(1591年)第17世顕尊の時に、豊臣秀吉による都市計画の一環で、本願寺と共に寺基を再び洛中の七条堀川に移す。

蓮教以来、興正寺は本願寺と行を共にしていたが、明治9年(1876年)、第27世本寂(華園摂信)は興隆正法の実を挙げるべく、真宗興正派として独立した。
ただし本願寺派に残留した興正寺末寺も少なくなかった。
本堂は起工から128年の年数をかけ、日光東照宮の本廟・知恩院の三門とともに、日本三建築の一つと称せられた壮大華麗な大伽藍であったが、明治35年(1902年)11月、不慮の火災により、本堂その他ほとんどを灰燼に帰している。
第28世本常(華園沢称)は直ちに再建の工を起こし、明治45年(1912年)、現在の両堂大伽藍が同寺地に完成した。

三門と云うが、真宗にしては珍しいのではないか。

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手水舎。

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手前が「御影堂」で奥が阿弥陀堂である。

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阿弥陀堂の全景。

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鐘楼。1774年に皇室から寄進を受けて建てられた。

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みかげ石の欄干をめぐらした「経堂」

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脇門跡について。
宇多天皇が出家して仁和寺に入室し御室御所と称し、御室門跡となったのが始まりである。鎌倉時代初期頃からは皇族や摂家等の子弟が特定の寺院に出家するようになる。子弟らは荘園を所有しておりその経済力を背景とした政治力をもって、受け入れた寺院内の支配権を掌握するようになり、各門流を継承するようになった。これらが慣例化してやがて、「門跡」自体が「貴族」出身者によって継承される特定の院家・寺院を指す称号へと変化した。

そして室町時代になると、寺格としての「門跡」が確立し、室町幕府には、門跡寺院に関する政務を執る門跡奉行が置かれた。さらに江戸幕府では、宮門跡・摂家門跡・清華門跡・公方門跡(武家門跡)・准門跡(脇門跡)などに区分して制度化した。




この項 <完>

by mo-taku3 | 2013-06-28 10:40 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(2)

堂々たる構えの【西本願寺】には歴史がある

堂々たる構えの【西本願寺】には歴史がある


西本願寺(にしほんがんじ)は、京都市下京区にある仏教寺院。浄土真宗本願寺派の本山である。
西本願寺は通称であり、正式名称は「龍谷山 本願寺」、宗教法人としての名称は「本願寺」である。
京都市民からは「お西さん」の愛称でも親しまれている。
真宗大谷派の本山である「東本願寺」(正式名称「真宗本廟」・下京区)と区別するため、両派の本山は通称で呼ばれることが多い。
文永7年(1272)、親鸞の廟堂として京都東山の吉水の地に創建されたがその後比叡山延暦寺から迫害を受けるなど場所は転々とし、現在地には天正19年(1591)、豊臣秀吉の寄進により大坂天満から移転した。

この門は「御影堂門」といい、日光方式を取り入れたのか、立派な飾りのある門である。

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これは、唐門であり、日本3大唐門(豊国神社、大徳寺の唐門、ここ西本願寺)の一つである。

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低く横に伸ばしたイチョウの木かある。
(真っ直ぐ上に伸ばした大きなイチョウ木が2本シンボルとしてある。

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この日は団体で奉仕活動をしている姿が見られた。

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西本願寺には、一般公開しない『飛雲閣』がある。
これは、金閣、銀閣と並んで、日本3大閣の一つで、聚楽第を移設したものと言われている。
また鐘楼も見事な装飾を施しており、他に例をみない。
鐘楼が見えたので近づいて見て、その立派さに圧倒。
説明の駒札もあった。

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聚楽第の名前を聞いて、遺跡があったことで当時の面影を垣間見ることができた。
また、この飛雲閣は、4月に特別公開されるとのことである。



この項 <完>

by mo-taku3 | 2013-06-28 10:31 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(4)