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2014年 06月 27日 ( 1 )

京都伏見の【御香宮】20140627

京都伏見の【御香宮】20140627


日本第一安産守護之大神として広く崇められている神功皇后を主祭神として、仲哀天皇、応神天皇他六柱の神を祀っている。
初めは「御諸神社」と称したが、平安時代貞観四年(862)九月九日に、この境内から「香」の良い水が湧き出たので、清和天皇よりその奇瑞によって「御香宮」の名を賜った。
豊臣秀吉は天正一八年(1590)願文と太刀(重要文化財)を献じてその成功を祈り、やがて伏見築城に際して、城中に鬼門除けの神として勧請し、 その後、徳川家康は慶長十年(1605)に、元の地に本殿を造営し献じた。
また、慶応四年(1868)正月、伏見鳥羽の戦いには、伏見奉行所に幕軍が據り、当社は官軍(薩摩藩)の屯所となったが、幸にして戦火は免れた。

10月1日から9日までの神幸祭は(年によって日がかわります)伏見九郷の総鎮守の祭礼とされ、古来「伏見祭」と称せられ、今も洛南随一の大祭として聞こえている。


表門(伏見城大手門)
元和八年(一六二二)、徳川頼房(水戸黄門の父)が伏見城の大手門を拝領して寄進した。
どっしりと落ち着いた豪壮な構えは伏見城の大手門たる貫禄を示している。


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本殿
慶長十年(一六〇五)、徳川家康の命により京都所司代坂倉勝重を普請奉行として着手建立された。(本殿墨書銘による) 大型の五間社流造で屋根は桧皮葺正面の頭貫木鼻や蟇股、向拝の手挟に彫刻を施し、全て極彩色で飾っている。
また背面の板面の板壁には五間全体にわたって柳と梅の絵を描いている。 全体の造り、細部の装飾ともに豪壮華麗でよく時代の特色をあらわし桃山時代の大型社殿として価値が高く、昭和六十年五月十八日重要文化財として指定された。
現社殿造営以降、江戸時代社殿修復に関しては、そのつど伏見奉行に出願し、それらの費用は、紀伊、尾張、水戸の徳川三家の御寄進金と氏子一般の浄財でもって行われた。
大修理時には、神主自ら江戸に下って寺社奉行に出願して徳川幕府直接の御寄進を仰いだ例も少なくなかった。 平成二年より着手された修理により約390年ぶりに極彩色が復元された。

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御香水
当社の名の由来となった清泉で「石井の御香水」として、伏見の七名水の一つで、徳川頼宣、義直の各公は、この水を産湯として使われた。
明治以降、涸れていたのを昭和57年復元、昭和60年1月、環境庁より京の名水の代表として「名水百選」に認定された。

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伏見城跡の残石がここに運び込まれており、今後これらが石垣などに利用されるようだ。

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竹田街道の車石・車道。
荷車の轍(わだち)の跡。(車が通ったあとに残る車輪のあと)

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御香宮門前町の史跡としての説明板があった。

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古いキリスト教会の小学校?のようだ。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2014-06-27 18:39 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(0)