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「日本初のバスケットボールチーム発足」は京都YMCA。

日本初のバスケットチーム発足は「京都YMCA」



1891年(明治24年)バスケットボールは,アメリカ・マサチューセッツ州スプリングフィールドの国際YMCAトレーニングスクールでジェームズ・ネイスミスが考え出したといわれている。

日本にバスケットボールが伝わったのは 1908(明治41)年で,米YMCAでトレーニングを受けた大森兵蔵氏が東京YMCAで紹介したといわれている。1913(大正2)年には米YMCAから派遣されたF.H.ブラウン氏が京阪神や東京で競技指導に当り普及していった。

『日本初のバスケットチーム発足』は、1915(大正4)年には旧制京都一中(現 京都府立洛北高校)教諭の佐藤金一氏が京都YMCAで日本初のチームを作っている。

日本初のバスケットボールチーム発足からちょうど100年目に当たる 2014(平成26)年,京都YMCA敷地の角に黒御影石の石柱の上に バスケットボールを模した球体を載せたモニュメントが建立された。


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この項 <完>





# by mo-taku3 | 2020-01-24 15:38 | 京都発の初物 | Comments(2)

月読神社(松尾大社摂社)20200122

月読神社(松尾大社摂社)20200122



月読神社は現在、松尾大社の摂社となっており、「松尾七社」の一社です。正式には「月讀神社」と書きます。また「松尾大社」、「月讀神社」と嵐山渡月橋の西詰の近くにある「櫟谷宗像神社(いちたにむなかたじんじゃ)」を合わせて「松尾三社」とも呼びます。祭神は月読尊。

月読神社の起源は不詳であるが、顕宗天皇3年(487年)にはすでに存在していたと伝わっているようだ。古事記・日本書紀年代は全く宛てにならないが、松尾大社よりも前には鎮座していたようだ。

ご利益は、暦・潮の干満など月にまつわる全ての行いとあり、

・生命の誕生(安産、健康、病気平癒)

・漁業の繁栄(航海安全、大漁)

・農業の誕生(自然界では旧暦の暦と共にある)

・商売繁盛

をうたっている。

古事記によれば、「イザナギの命が黄泉の国から帰られた時、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原において、禊祓いされ左目を洗われた時に天照大神、右目を洗われた時に月読命、鼻を洗われた時にスサノオがお生まれになった。」と書かれている。更に、

「顕宗天皇3年(487年)阿閉臣事代という官吏が天皇の命を受けて朝鮮半島の任那に使いにでる。
その際に人に月の神が神がかりしまして「土地を月の神に奉納せよ、そうすればよい事があろう」という託宣があった。それを朝廷に奏したところ、これを受けた朝廷は壱岐の県主の押見宿禰に命じて壱岐の月読神社から分霊させ京都に祀らせた。」とある。

その昔、神功皇后が月神の教えによりお産を延ばされたことで有名な「月延べ石」と名づけられたその石は今伊都の鎮懐石八幡宮と壱岐の月読神社にあると言われていた。

舒明天皇二年壱岐の公乙等を筑紫の伊都に遣わし神石を求め、一つを京都の月読神社に納めたと伝わっている。

この神石が境内にあるこの「願掛け陰陽石」だろうか、二つの石が並んでいる。

境内には、「願掛け陰陽石」といって、左右の2つの石を撫でて願い事をすると願い事が叶うという。

左が陽で、右が陰ですね。寄り添っているように見える。

しかしよく考えて見ると天照大神、素戔男尊、月読尊の三きょうだいといわれながら、月読尊だけは扱いが余りよろしくないと感じている。



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この項 <完>





# by mo-taku3 | 2020-01-22 12:20 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(2)

松尾大社(平安京西の守り「白虎」)20200122

松尾大社(平安京西の守り「白虎」)20200122



松尾大社は大宝元年(701)に建立されています。

酒づくりの神社としても有名で、境内に山のように積まれた酒樽は、各地の酒造業者が奉納したものです。お酒と結びついた理由は、境内の「亀の井の湧き水」でお酒を醸造すれば腐らないという言い伝えからきているそうです。

渡来人秦氏が一族の氏神として信仰した古い社だそうです。大山咋神・市杵島姫命を祀っています。

松尾大社本殿の背後にある松尾山は、太古の昔から、山頂近くに神が降臨するという磐座(いわくら)があり、この地に住む人々が山の神として崇め、いぜんから信仰してきました。

さて、阪急松尾大社駅の前にある、「一の鳥居(大鳥居)」をくぐると表参道が境内へと続き、その奥に「二の鳥居」あります。この「二の鳥居」には、脇勧請と呼ばれる「榊(さかき)の束」がぶら下げられています。穢を祓う力があると云われているものです。

ちなみに、原始の神社では「榊(さかき)の束」を境内の大木に吊り下げることによって、神域と人の結界としているとのことで、それが鳥居の始まりになったといわれています。

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この項 <完>





# by mo-taku3 | 2020-01-22 12:00 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(2)

松尾大社の神使(鯉と亀)20200122

松尾大社の神使(鯉と亀)20200122



京都松尾大社の神使は「亀と鯉」だそうです。「
神使の庭」には亀と鯉の滝登りが拵えてあります。鯉は珍しいように思いますね。また、「撫で亀さん」や、手水舎にも亀がしつらえてありました。

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この項 <完>





# by mo-taku3 | 2020-01-22 11:50 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(2)

松尾大社(お酒の資料館)20200122

松尾大社(お酒の資料館)20200122



「日本第一醸造神」お酒の神様で、全国的に有名のようだ。ここでは日本酒の歴史にふれることができる。
「お酒の資料館」なるものがあり、酒ができるまでの行程をわかりやすく解説している。ここでは古くから伝わる酒造道具・醸造手法、お酒の種類等が展示してあり、それをビデオで解説している。また現代陶芸家によるさまざまな窯の酒器なども展示している。

境内には全国の酒造メーカーから送られた、お酒の菰樽が積み上げられており、また、酒樽を的にした弓矢の樽占いもある。

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この項 <完>





# by mo-taku3 | 2020-01-22 11:40 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(2)

仁和寺の仁王門20200122

仁和寺の仁王門20200122


仁和寺の境内南側にある仁王門が仁和寺の正門にあたる。

二王門という名称は左右に金剛力士を安置していることに由来しているという。
「二王門」は徳川家光の寄進により寛永の再興時に建造されたといわれており、京都の三大門の一つ(知恩院の三門(山門)・南禅寺の三門・仁和寺の二王門)とされ、重要文化財に指定されている。左右の金剛力士は大きさといい豪快さといい素晴らしい。京都の寺院の門の数ある中でも三大門にあげられるだけのことはある。


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この項 <完>





# by mo-taku3 | 2020-01-22 11:30 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(2)

仁和寺の五重塔20200122

仁和寺の五重塔20200122



参道が少し坂道になっており、突き当たって階段を上ったところが中門である。「中門」を過ぎて「金堂」に至るまでの参道の東側に五重塔が建っている。

「五重塔」の高さは36m余りで、寛永21(1644)の造営とされている。一般的に言って五重塔の屋根の大きさは上層のものほど小さくなっているが、仁和寺の「五重塔」は各層の屋根の大きさに大差がなく、江戸時代の特徴を示しているという。
「五重塔」は重要文化財に指定されている。


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この項 <完>





# by mo-taku3 | 2020-01-22 11:10 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(2)

仁和寺の金堂伽藍模様20200122

仁和寺の金堂伽藍模様20200122



仁和寺の金堂は本堂にあたるとしている。
慶長18(1613)に建てられた御所の紫宸殿を移築し、寛永の再建時に屋根を葺く材料を檜皮から寺院風の瓦にするなどの改修を加え、完成したといわれている。

通常、「金堂」の内部は公開されていないが、時期によっては特別拝観として公開されることがある。金堂内陣には運節が寛永21(1644)に造ったといわれている本尊「阿弥陀三尊像」が安置されている。

現在の金堂には西側に庇(ひさし)がありませんが、かつては御所の紫宸殿としての寝殿造りの様式に倣い、庇が据えられていたという。正面出入り口部分には向拝が据えられ、縁が堂舎をまわり、紫宸殿の名ごりとも言える開閉式の蔀戸(しとみど)が見える。また、堂内には道場を設けるために、板壁が据えられ内陣と外陣が構成されている。内陣には須弥壇があり、この須弥壇には阿弥陀三尊像の他、四天王像や梵天像も安置され、須弥壇の背面には極彩色で色鮮やかに彩られた浄土図や観音図が飾られているという。これは特別公開時に拝観することができる。



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この項 <完>





# by mo-taku3 | 2020-01-22 11:00 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(2)

仁和寺の伽藍20200122

仁和寺の伽藍20200122



仁和寺を超有名にしているのは、何といっても”御室桜“となる。しかしこの時期は未だ桜の時期ではない。ではなぜ訪れたのかというと、この時期に訪れたことがないからと言っていい。

さて、仁和寺は仁和2(886)に光孝天皇の勅願により創建に着手したが、天皇は翌年に死去、宇多天皇が遺志を引き継ぎ仁和3年に完工し、仁和4(888)に落慶供養が行われたと伝えられている。宇多天皇は昌泰2(899)に仁和寺で出家し法皇と称したとされているが、これが法皇の称号の最初であるといわれている。法皇は延喜4(904)仁和寺西南の場所に御室を設け、承平元年(931)に没するまでここに住んだという。以後、皇子や上皇の入寺が続き、一時は法界を統括するまでになったらしい。

その後、武家政権や禅宗が勢力を強めたことなどにより衰退し、応仁の乱(146777)により全ての伽藍を焼失し、復興も思うように行うことができなかったといわれている。その後、160年以上も経過した江戸時代、寛永11(1634)に、徳川幕府の援助により覚深法(かくじんほつ)親王が再興に努め、現在の仁和寺の基礎を築いたとされている。
このように皇子や皇孫が寺の門跡となったことから、仁和寺は御室御所と呼ばれるようになったという。現在、仁和寺は真言宗御室派の総本山である。


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この項 <完>





# by mo-taku3 | 2020-01-22 10:40 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(2)

五智不動尊(蓮華寺)20200122

五智不動尊(蓮華寺)20200122



京都「御室仁和寺」の大きな駐車場について山側を眺めると、見事な白塀の上に『五智山蓮華寺』が見えている。この駐車場に近い西参道から中に入ると大きな「五智如来像」等が鎮座しており圧倒されるほど素晴らしい。

この五智山蓮華寺は京都市右京区御室の仁和寺の東隣にあり、真言宗御室派の別格本山です。

本尊は本堂に祀られている「阿弥陀如来」です。また不動堂には五智不動明王が祀られています。

起源は、御冷泉天皇の御願により、天喜5年(1057年)藤原康基は、蓮華寺を建立しています。
その後、1467年応仁の乱の兵火にあい、蓮華寺は鳴滝音戸山の山上に移されるなどして荒廃が続いき、昭和33年(1958年)になってはじめて、音戸山山上・山下に離散していた五智如来を始め、石仏群を収集し修復をして境内に遷座安置されたといいます。

また、蓮華寺は近畿三十六不動尊霊場の十五番目に位置しています。近畿三十六不動尊霊場とは近畿地方の大阪府、京都府、兵庫県、滋賀県、奈良県、和歌山県にある不動尊(不動明王)を祀る三十六ヶ所の霊場で、宗派にとらわれずに一般の人々の立場から霊場寺院が選定され、昭和54年(1979)に発足しました。

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この項 <完>





# by mo-taku3 | 2020-01-22 10:32 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(2)