●台湾旅行総集編

●台湾旅行総集編


2月26日~29で台北に行ってきた。
話せば長くなるので、なるべく簡単に前置きをすると、実はぎりぎりまで出かける否か、迷っていた。
というのも、出発の10数日前に、家内がぎっくり腰をやってしまい、なかなかよくならず、行くことが決まったのは前日で、結局荷物を一つにまとめ、ゆっくり歩くことで出かけることにした。
JR「はるか」京都7:00発8:46関西空港着で9:00にJTB前集合ができた。

11:00キャセーパシフィック航空で無事出発ができた。
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乗客の殆どが日本人だったにもかかわらず、日本語が殆ど通じない状態で、サービスの悪さはあったが、
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食事がよかったので、文句なし。
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飛行場に無事ついて、直ぐマイクロバスでキューフン(九份)に向かいました。
行く前は知らなかったが、25~28日は4連休とのことで、何処へ行っても混雑状態だった。
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ここは中国茶(高山ウーロン茶)の試飲がある有名なところ。
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台北での初めての食事は、日本の高島屋にも入っている、鼎泰豊(ディンタイフォン)の小龍包だった。
とにかくめちゃくちゃ混んでいて、店の前には30数人が待っていた。
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トリュフ入り小龍包はいい味していた。
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食事の後、夜市(士林)に行ってきた。
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食べ物の市場は地下街が作られそこに入っていた。
凄い匂いが漂っていた。
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翌日、朝から忠烈祠(日本の靖国神社の相当)の衛兵交代の儀式を見学してきた。
ここも結構な人だかりであった。
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中正記念堂。ここは蒋介石の記念堂となっている。立派に作られている。
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故宮博物館。ここは国民党が台湾に亡命した時、本土の故宮のお宝を根こそぎ持ってきたとのこと。
中国本土の人たちもかなり興味があって見学者も多いとのこと。
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龍山寺。ここは、仏教・道教とものお寺となっている。
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旧正月の飾りがまだまだあでやかに飾っていた。
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京劇(臺戯北棚)。この京劇は個人経営だそうだ。
動きが軽快で、しかも声が高いこと、高いこと。また、衣装が派手できれいだった。
飽きずに見られて、結構楽しかった。
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台北101。ここは、509.2mの高いビルディングだった。
よくもまあ、こんな高いものを作ったなぁ、という感じだった。
雨が多かった旅行だったが、この日はうまい具合に展望台から晴れてきれいに見ることができた。
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タイヤル族(烏來;高砂族)の踊りの見学。
舞台に上げられ皆で踊り、写真を写していただいた。
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泊まったホテル、圓山大飯店(グランドホテル)。
このホテルは、宋美齢(蒋介石の奥方)が迎賓館として建てたもので、現在ホテルとして使われているもので、外見、内容ともに申し分ないものだった。
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帰りは来た時と同じキャセイパシフィック航空機で帰国に途についた。
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台北の皆さんの温かい心情に触れ、是非また訪れたいと思っている。





この項 <完>

by mo-taku3 | 2012-03-11 18:57 | (旅行)海外旅行全般 | Comments(4)

⑧圓山大飯店(ホテル)

圓山大飯店(ホテル)


この圓山大飯店は、蒋介石の奥方、宋美齢さんのお声がかりで建てられたもので、当初は外交などで各国の賓客を招待するときにも使われており、迎賓館として使われていた、由緒正しいホテルとのことであった。このことは解説にはあまり載っていないが、台湾では周知に事実とのことであった。
1952年に台湾大飯店として開業。
1968年アメリカ合衆国の雑誌より世界10大ホテルに選定される。
1973年14階の中国宮殿式メインホールが落成。
1995年屋根改修工事の際に失火、12階以上全焼したが、 1998年頂層の12~14階を修復後、営業再開している。
圓山大飯店は日本統治時代ここ剣潭山に建立されていた台湾神宮の跡地を利用して建設された。
建設に際しては龍の彫刻を多用し(24万個)、龍宮との異称がある。また龍以外にも石獅、梅花をふんだんに用い、中国建築の特徴を全面に出した装飾となっている。
またこのホテルでは地下道の存在も有名である。過去において圓山大飯店が政治色が強いホテルであったため、蒋介石総統時代、長さ180mの地下道が建設された。1963年の改築の際には東西2本の地下道が設けられ、滑り台も設置された。地下道はホテルから剣潭公園と北安公園に連絡しているが、現在一般公開はされていない。
開業当初は世界に冠たる中華民国一のホテルという方針で日本語はおろか英語によるサービスすらしようとしなかったが、現在は経済発展によるビジネス主義への転向と国内外の政情の変化により英語、日本語によるサービスは当たり前になっている。(現在は100%日本語で通じる)
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ホテルにはゲートがあり、24時間検問がある。
ホテル側から見る庭園が非常に美しい。
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また、ホテルの直ぐ下の前庭には、開業60周年の花壇が設置されている。
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庭園には、旧正月の大きな龍の飾りが残っており、ライトアップされて見事であった。
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部屋は改装したようで、広くてきれいな状態。セミダブルのベットが二つ置かれていた。
日本のホテルでいうデラックスルーム以上のような気がする。
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ベランダはご覧のごとく広くて豪華なつくりであり、ベランダは自由に出入りができる状態であった。
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ホテルは高台にあり、ベランダからは市街がかなり先まで見ることが出きる。
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雨模様だったが、遠くに台北101がかすかに見ることができた。
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朝食はバイキングとなっており、特別良いわけではない。
日本の良いホテルのバイキングに比べると味はかなり落ちる。
台湾では未だにバイキングは慣れていないらしい。
このホテルでは、周りを見ても中国人(本土)はあまり見かけない。(うるさいから直ぐ分かる。また、こんな高いホテルには殆ど泊まらないという。ガイド曰く)
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最初の説明にもあるとおり、ロビーは広い。
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ロビーには旧正月の飾りがいっぱい。その一部はこんな状況だ。まだまだたくさん展示している。
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ホテルの旧館には建設当時のいきさつや、国賓の写真などが展示されており、ここもやはり金龍の飾りがあった。
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金龍は、噴水になっており、金龍の口からは少量の水を噴き出していた。
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とにかく良いホテルで満足している是非皆さんにご推奨したい






この項 <完>

by mo-taku3 | 2012-03-06 15:22 | (旅行)海外旅行全般 | Comments(2)

⑦高砂族(タイヤル族)の烏來(ウーライ)の民族芸能

⑦高砂族(タイヤル族)の烏來(ウーライ)の民族芸能



最終日の午前中、台北郊外の山奥に住む(といっても市内から1.5H)タイヤル族の民俗芸能を見学に行った。(ここは残念ながら公演中の写真撮影は不可だった。)
会場の画面には、ストーリーの解説は日本語、英語が映し出され意味が繋がっていた。
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大きなホテルがあり、この中で芸能が行われていた。
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そのホテルのロビーには、タイヤル民族の民芸品などがたくさん置いてあった。
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玄関では出迎えの歌が歌われていた。
この中に黒人が一人いたが、聞いて見ると母親がタイヤル族出身とのことであった。
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踊りが始まる前に、タイヤル族の衣装を全員に着せられた。
この意味は後で分かったが、全員で出演者と一緒に踊りを踊り、記念写真を撮って跡で販売するのが目的であった。やっぱり、旅の思い出として、我々も購入してきた。
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このウーライには80mを越す滝がありその滝の置くには憩いの場所があるらしく、台湾国内からの数多くの観光客が訪れるという。
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これがその滝だ。
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この滝の上に行くロープウェイが敷かれていた。
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踊り子たちはみんな明るく、気持ちのいい雰囲気であり、みやげ物売り場もしつこく着きまとうこともなかった。
この後、一路空港へ!
このツアーは我々2人だけだったが、ベンツのセダンで案内及び空港までの送りをやっていただいた。
ー満足ー!



この項 <完>

by mo-taku3 | 2012-03-06 15:20 | (旅行)海外旅行全般 | Comments(3)

⑥台北101

⑥台北101


台北101は、資料によると
中華民国(台湾)台北市信義区にある超高層ビル。高さ509.2mで、地上101階、地下5階からなり、名前は地上101階に由来している。
7年間の工期を経て、2004年時点で世界一の超高層建築物として竣工した。設計は李祖原建築事務所、施工は熊谷組を中心としたJVにより行われ、総工費は約600億元(約1,800億円)といわれている。

2004年12月31日、エントランスでオープンを祝う式典が催され、陳水扁中華民国総統も出席してのテープカットが行われた。
毎年の6月には、サンシャイン60と同様に、このビルの1階から展望デッキのある91階までの2046段の階段を駆け上がる「台北101 階段駆け上がりレース」が開催されている。

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この施設は、
地下5階 - 地下2階: [駐車場]
地下1階 - 5階: ショッピングモール・レストランで2003年11月14日に、ビル完成に先行して開業。5階部に展望台エントランス
9階 - 84階: おもに、金融関連・IT企業などのオフィス
35階、85階-86階: レストラン
88階: 綺麗珠寶会社の珊瑚と宝石の展示及び販売エリア、エレベーター乗り場
89階: 屋内展望台、記念品商店と入口
91階: 屋外展望台と101紹介ビデオの放映室
となっている。
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下から見上げるこのように見える。でかい。塔ではなく、ビルだから凄い。
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展望台に繋がるEVへの通路には、このようなマスコットが置かれている。
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2005年12月31日の大晦日にはこのビルのある市政府で、カウントダウンイベントが行われ、台北101から電飾と共に2分強の間、大量の花火が打ち上げられ、毎年の恒例となっている。
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89階の展望台からは下はこのように見える。
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101の説明と色違いのキャラクター。
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このビルを支える、ダンバーの特色の説明。
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どっしりとしたダンバー。このようにダンバーを見せて紹介しているのはほんとに珍しい。
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大きく口を開けて、ハイポーズ!
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台北101の全景。トヨタが宣伝を独占しているらしく、電光掲示板に映し出されている。
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101を背景に2ショット。
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最上階の上には霧舞っていた。それほど高いという印象。
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よくまあこんなものを作ったなぁ・・・問い感じ。
展望台には石の彫刻など展示を兼ねて、販売していた。
サンゴ、ヒスイ、水晶などの彫刻はお手の物で、これに気功を取り入れた物を、免税店などいたるところで販売されていた。





この項 <完>

by mo-taku3 | 2012-03-06 15:18 | (旅行)海外旅行全般 | Comments(2)

⑤京劇(臺戯北棚)

⑤京劇(臺戯北棚)



(臺戯北棚の紹介)
参考資料によると、
「台北戲棚の劇場は中山北路二段の「台泥大樓(台湾セメントビル)」の中にある。大理石がふんだんに使われた豪華な建物である。
このビルにある台灣水泥公司(台湾セメント)は日本統治時代から京劇など中国伝統芸術の劇場運営や劇団の主宰を行ってきた辜氏一族が経営する企業で、経営者の辜振甫氏が2004年に京劇を広めるために「辜公亮文教基金会(The Koo Foundation)」を設立して、この台泥大樓内に臺北戲棚を開設し、伝統芸術が観賞できる場所として公開している。」
演劇中は言葉の壁を少しでも低くするため、日本語、英語、中国語の字幕が表示されます。劇場スタッフも日本語や英語に精通した担当者が揃っていて親切に対応してくれます。
建物の中に入ると、「臺戯北棚」のデザインが目に入る。
なかなか洒落た作りをしており、ディスプレイも色々考えられている。
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建物の前もこのような四角柱の広告塔がいくつも並んでいる。
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舞台は終始このままで、大道具の変化は全く無かった。
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ここは一般的な劇場と違って上演の前後や休憩時にも舞台の外でも上演中とは違った姿を見せてくれているとのこと。
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休憩時にも舞台の外でメイクをする様子など、役者さんの上演中とは違った姿を見せてくれる。
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開演前に主役とツーショット。(主役とは知らなかったが。)
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舞台上の展開を暫く見ていただきたい。
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このように、フラッシュさえたかなければ写真が写せるというのは最高である。
最後に主役を挟んで3ショット。ミーハーをやってしまいました。
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2時間振る出演で、しかもアクロバット雑技の動きをした後でも、このように嫌な顔をせずに応対してくれたのは、どこかの国の舞台俳優とはかなり違う。
また、故宮以外は全て写真がOKということも、台湾いいとこ!






この項 <完>

by mo-taku3 | 2012-03-06 15:17 | (旅行)海外旅行全般 | Comments(4)

④故宮博物院と龍山寺

④故宮博物館と龍山寺


【故宮博物院】
「国立故宮博物院は、歴史に翻弄されたお宝の数々が並ぶ世界一の中国美術工芸コレクションとして名高い。そして、フランスのルーブル、アメリカのメトロポリタン、ロシアのエルミタージュと並んで世界四大博物館の1つに数えられています。
故宮博物院には、およそ70万点近くの収蔵品があると言われていますが、常時展示している品は、6000~8000点。特に有名な宝物数百点を除いては、3~6カ月おきに、展示品を入れ替えているため、すべてを見るには、10年以上はかかると言われています。
コレクションは、聞くところによると玉器は8000年前のものから、5500年前の新石器時代のヒスイの彫り物、4400年前の陶器、3300年前の青銅器・象形文字、2200年前の秦の始皇帝の時代、日本の古墳時代、さらに隋・唐・宋・元・明・清の歴代宮廷の収蔵文物を継承しており、その内容も数も極めて豊富です。
これらの文物の発展は、近代中国社会の変遷と密接な関係があるのです。
国立故宮博物院はまさに、中国芸術文化の集大成と言えるでしょう。
さて、創設80周年となる2007年2月に、大リニューアルオープンを行った故宮は、去年の2月にまたリニューアルされました。
最新の展示ですが、青銅、玉、陶磁…という風にカテゴリー別で時代順に配置され、よりわかりやすい「開かれた故宮」となっています。」
と解説されています。また、
「中華民国は、建国13年目に清朝を退位した溥儀皇帝を紫禁城から追放し、1925年10月、紫禁城を故宮博物院として正式に設立させました。この時から、歴代皇室と宮廷が所蔵していた世にも稀なる貴重な文物は、中華文化遺産として永く後世に伝えられることとなり、全ての人々が自由に宮廷に出入りし、国の至宝を鑑賞できるようになりました。
また、南京に設立された中央博物院籌備処の文物は、1937年11月、戦火を逃れるため重慶へ移され、1939年には昆明、楽山にそれぞれ運ばれた後、四川省南渓の李荘に安置されました。
が、1945年8月、日本が降伏すると、奥地に移されていた中華文物は、再び全てが南京へ運ばれました。
1948年の秋、国共内戦の形勢が逆転したことで、蒋介石率いる国民党中央政府は、故宮博物院および中央博物院籌備処の優れた文物を台湾へ移すことを決定。同年末、第1陣の文物が南京を出発し、海路により基隆に到着。翌年には第2、第3陣の文物も合わせて、2972箱が台湾に運ばれました。しかし、これらは北京から南遷した文物の22%に過ぎませんでした。また852箱の中央博物院所蔵の文物は、その殆どが逸品で占められていたのです。」
以上は、宝物が台湾へ流れ着いた大まかな歴史となる。

建物はこのように立派なものだった。
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故宮側から見た故宮の庭園。見事なものだった。
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故宮博物院に隣接している「故宮品華」というレストランでまず腹ごしらえ。
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中に入ると、去年の2月にリニューアルオープンしたことで、何もかもきれいだった。
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主な展示物(文献参照)は、
これは、キリギリスとイナゴの細工。
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この屏風は日本から返却されたものでそうです。
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この丸い中に丸いのが何重にも彫られている。
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とにかく高等・高技術・高級・・・見事なお宝だった。



【龍山寺】
1737年に建立された、台湾で最も古い有名なお寺のひとつ。中国南方の宮殿式建築で、本尊をおまつりした正殿を、前殿、東西の鐘楼、鼓楼、そして後殿が囲む「回」の形をした構造となっている。
現在の本堂は第二次世界大戦後の、1947年に再建されたもの。
青空に映える美しい赤い屋根を拝むことができ、この再建修理費用は、日本円で1億円を超えたとのこと。
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ここは日本でいえば、さしずめ門前町か。
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お正月の終わりとあって、外回りはこのような提灯で飾られていた。
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お寺の中の飾りも見事なものだった。
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参拝者が非常に熱心にお参りしていた。
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色んなお供えがあった。しかし、このお供えはお参りした後すべて持って帰るのだそうだ。
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回廊も美麗。
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お帰りはこちら。これも平凡ではない。
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この龍山寺は仏教・道教混合のお寺だった。
日本にも神仏混合という時期があったが、今後であっても特にこだわりはないそうだ。




この項 <完>

by mo-taku3 | 2012-03-06 15:16 | (旅行)海外旅行全般 | Comments(2)

③忠烈祠(衛兵交代式)と中正記念館

③忠烈祠(衛兵交代式)と中正記念館


【忠烈祠(衛兵交代式)】
衛兵交代のデモンストレーションが始まった。
忠烈祠といえば衛兵交代が有名。陸、空、海軍から選ばれた衛兵が、交代で大門と大殿の守護を担当している。青い制服の兵士は空軍、白い制服の兵士は海軍、グリーンの兵士は陸軍にそれぞれ属しているとのこと。任務に就いたら最後、1時間は微動もできず、まばたきも控えるよう指示されるのだとか。そのためお世話係が側に控え、衛兵の汗を拭いたり制服のしわを直したりしてくれるシステムになっているとのこと。
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一日4回行われるデモンストレーションを見るため、朝早くから、バスが20台位、自動車、マイクロバスが多数という状態でかなりの人数が見学していた。
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見ているまん前を通り過ぎていく。
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忠烈祠での交代のセレモニーが終わり、戻りに入る。
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衛兵を背景に写したつもりがアップになり、いい男が写っていたが、
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しかし、更にいい男が写っていた。なかなか凛々しい。
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忠烈祠の衛兵交代式の見学にはかなりの人出であったが、一日4回の衛兵交代式の朝一番の交代式に多くの見学者が居たのには驚きだった。
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【中正記念館】
中正記念館の「中正」とは、蒋介石の本名「蒋中正」からきている。“介石”は号であった。
中正記念館は蒋介石の顕彰施設。中国の伝統的な宮殿陵墓式が採用されている。
AM6:30に儀仗隊が中正紀念堂に入り、9時より交代儀式が行われている。儀仗隊交代式は台湾観光の名物となっている。
儀仗隊の交代儀式は、1日に10時、11時、12時、13時、14時、15時、16時、17時の8回行われている。
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正門を入って記念館の中に入ると、旧正月のかわいい飾りが残っていた。ついついパチリ。
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また、郵便局がそこにあったが、日本の赤のイメージではなく緑色で統一されていた。
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Please be quiet! はこう書くようだ。
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蒋介石の奥さんは宋美齢さんで、お姉さんは、孫文の奥さんの宋慶齢さんになる。
宋美齢さんは国家のお母さんとして人望があり、蒋介石が亡くなった後も国家に影響力を持って活動していたようだ。晩年アメリカに移住し、100歳を超える生涯を送っている。
この写真は美男美女で麗しい写真である。
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蒋介石は台湾及び自身の地位を確立することに専念するため、功罪ともに協力に推し進めていったようである。そして求心力を求める努力を徹底したようである。
これは使用した移動用の籠とある。
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執務室がそっくり再現されており、人物もびっくりするほど本物のように見える。
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丁度桜の季節ということだったが、日本で言う寒桜ぽい桜だった。
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メーンエベントとして、建物の中心に蒋介石の坐像が据えられていた。
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厳粛な建物をもう一度見つめなおしてみた。
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かなりのエネルギーで作られた象徴的な建物だった。



この項 <完>

by mo-taku3 | 2012-03-06 15:15 | (旅行)海外旅行全般 | Comments(3)

②鼎泰豊 ディンタイフォン(小龍包)と士林夜市

②鼎泰豊 ディンタイフォン(小龍包)と士林夜市


【鼎泰豊 ディンタイフォン(小龍包)】
ここは世界3大美食に紹介されていることもあり、予約が無ければ2・3時間待ちという状態で、我々ツアー組みも20・30分待ちの状態だった。
特にこの日は、台湾の4連休の初日の日曜日であったため、余計込んでいるとの事であった。
本店ということもあり、店構えも美麗で、
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小龍包のかわいいマスコットも鎮座していた。
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店の前の待ち人は、30人位。寒いためストーブが置いてあり、暖をとることができた。
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呼ばれて中に入るとツアー仲間5人と食事になったが、最初に特別メニューの「トリュフ入り小龍包」がでて、これはなかなか美味だった。他の料理は正直なところ、京都高島屋と余り変わらなかった。
ただ、メニューの幅や雰囲気などは、ちょっと。落ち着いて食べたかった感はある。
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食事が終わって外に出てみると、右手に台北101が見えた。
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【士林夜市】
夜市は韓国・東南アジアなどで紹介されるが、思っていたところとチョット趣が違った。
食べるところ中心のところかと、勝手に創造していたところがあったが、どうも若者中心のショッピングや食事のするところだった。
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時間が30分位しかないので、じっくり見てまわるわけにはいかなかったが、メーンストリートは色んな店があり、韓国系の垢抜けた店が目立った。
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家内と見れるだけ見ようとチョット足を伸ばして、去年?から地下にもぐった「B1美食驅」まで行ってみた。
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そこは、喧騒と匂いのきついところだったが、しかし余り日本では見られない料理があり、どれもおいしそうっだった。
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ここはやはり若者中心だったが、日曜日ということもあるのか、家族連れも多かった。
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外に出てくると天気はまあまあ、結構楽しかった。
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旅行の初日から結構密度の濃い内容のツアーだったが、ホテルについてゆっくりすることができた。
家内のギックリ腰も未だ十分ではないが何とかもったようだ。




この項 <完>

by mo-taku3 | 2012-03-06 15:14 | (旅行)海外旅行全般 | Comments(0)

①雨のキューフン(九份)

①雨のキューフン(九份)


空港から一時間以上かかったか、野っぱらの大きな駐車場に着いたが凄い車の量。
九份の現地には車の乗り入れはできず、そこから路線バスに乗り換え、近道のルートということで途中でバスを降り、雨の中約500m位歩いて現地に着いた。
さすがにスムーズに着くことができたのは、ジモティーのガイドのおかげである。
これは歩いている途中にあった神社だそうだ。珍しかったので パチリ。
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ここは旅行本にも載っているおなじみの場所である。ここを背景にしたスナップを撮る人が多いそうだ。


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お茶をごちそうになった「阿妹茶樓」。
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更に続く坂道。
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キューフンの繁華街は極狭いが、横道にはこのようなお店が並んでいる。
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公衆便所は、このように表現するようだ。
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上から見るとこのように見える。
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坂の登り口にこのような石碑があった。この辺りに、金鉱の坑口があったらしい。
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ここで少し、キューフンについて調査結果を講釈させていただくと、
「キューフンの町はかつて金鉱山の町として栄え、にぎわったが、やがて鉱脈は枯渇して町はさびれた。
しかし、ヴェネチア映画祭でグランプリを受賞した、1998年の台湾映画「悲情城市」の舞台になったことから、今度は一大観光名所として脚光を浴びることになった。
「悲情城市」という映画は、大陸から追われて台湾に逃れてきた中国人が、台湾の人たちを虐殺した1947年のいわゆる2.28事件はずっと台湾近代史のタブーとされてきた。
しかし、台湾生まれの総統が続けて選ばれるような社会の変化を背景に、小説、映画の題材に取り上げられたり、事件の検証がされることとなった。
この映画は太平洋戦争の終結から2.28事件の頃を時代背景にしており、事件に翻弄された家族を描いている。「悲情城市」に「黄金酒家」という名前で登場する店は映画のヒットを受け、「悲情城市」という看板を掲げて営業している。」
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その店のすぐ横にある石段はキューフンの中でも最も有名な場所で、記念写真を撮る人が絶えない。
日本人になじみになったのは、宮崎アニメの『千と千尋の神隠し』の舞台に使われたことがきっかけとなったとのこと。

キューフンには、【昇平戯院】という映画館が昔あったらしい。
それを復元して記念館として無料開放していた。
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格子が入った切符売場や
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昇平再起との看板。
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古い映写機も展示してあった。
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びっくりしたのは、【武士刀】という、宮本武蔵の宣伝広告があったこと。
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売店は「販賣部」となっていた。
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満員御礼はこのように表示するらしい。
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雨のキューフンだったが、上りの時に見えなかった港の景色も帰りに見ることができ、満足している。






この項 <完>

by mo-taku3 | 2012-03-06 15:11 | (旅行)海外旅行全般 | Comments(2)