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カテゴリ:(歴史)京都史( 128 )

京都木屋町・河原町通りを散策20190530

京都木屋町・河原町通り激動を散策20190530



この辺りは、土佐藩邸があったり、勤王の志士がたくさん跋扈していた場所です。
それより以前になりますが、三条通木屋町下ってすぐに「瑞泉寺」というお寺があります。ここはあまり知られておりませんが、豊臣秀吉の甥の「関白豊臣秀次一家」のお墓があります。秀次は高野山で切腹になり、続いて幼児・妻妾ら39人が三条河原で殺されました。三条河原に近いこのお寺に秀次はじめ殉死した家臣を含め、49柱が整然と弔われています。
この三条通の先には、幕末の新選組による「池田屋」騒動の池田屋があります(今は居酒屋)。更に河原町通りを南に下ると、坂本龍馬・中岡慎太郎が殺害された「近江屋」跡があります。
生臭い話ばかりなので、今はやりのスウィーツの店も紹介します。

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この項 <完>






by mo-taku3 | 2019-05-30 17:23 | (歴史)京都史 | Comments(0)

六波羅(六原)と六道珍皇寺20190501

六波羅(六原)と六道珍皇寺20190501



京都に松原通というのがある。あまり知られていなことだが、この道は元々は清水寺の主参道であった。そして、鴨川に架かる橋も「旧五条大橋」だった。豊臣秀吉の時代、京都の街を区割りをし直しすっかり変えてしまったと言っていい。実はこの松原通が元の五条通りだったのである。
ということもあり、この通りには歴史に纏わる建物などが沢山存在する。
この日も、松原(五条)大橋で鴨川を渡り、六波羅蜜寺、六原市場、幽霊「子育飴」、西福寺、冥界の役人の「小野篁の六道珍皇寺」などを巡ってきました。

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この項 <完>






by mo-taku3 | 2019-05-01 11:44 | (歴史)京都史 | Comments(2)

京都御苑「明治天皇生誕地(中山家)」20190311

京都御苑「明治天皇生誕地(中山家)」20190311



何度か載せたことがありますが、明治天皇は京都御苑の北にある公家の「中山家」で生まれ、そこは今も保存されその中には産湯として使った「祐井(さちのい)」
明治天皇は孝明天皇の第二皇子ですが、母方が中山忠能の娘であった関係上、幼少期は
祐宮として中山家で育てられました。

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この項 <完>





by mo-taku3 | 2019-03-11 15:55 | (歴史)京都史 | Comments(0)

京都二条城祉の賑わい20190305

京都二条城祉の賑わい20190305



家康が建て、家光が二の丸御殿を建て、慶喜が大政奉還をした二条城。
徳川政権で、京都の押さえの城として君臨していました。
このお城は戦を想定したものだけではなく、政治折衝の場に使われた意味合いが強い。天皇を招くこともありました。
そのためか、立派な唐門があり、立派な造りとなっています。二の丸御殿もその意味合いを持った内部構造が見事です。
城内は四季の花木がちりばめてあり、春は梅・桜、桜は特に枝垂桜と巨古木のソメイヨシノがあり、見る価値は大きいと思います。

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この項 <完>






by mo-taku3 | 2019-03-05 15:50 | (歴史)京都史 | Comments(2)

明治天皇生誕地と京都御苑20181115

明治天皇生誕地と京都御苑20181115



この写真は昨年11月のものです。
京都御苑の北、「今出川御門」を入ると静かな雰囲気を漂わせる風景はある。元京都御所の一角には見えない、普通の公園といった感じです。
御門を入って200m位で左に行くと、「中山邸跡」という立て札がある、中を覗くと「明治天皇生誕の地」という標識が立っており、また産湯の「祐井(さちのい)」とあります。
明治天皇の母親(中山慶子(側室))は中山家の出で、ここが祐宮(明治天皇)の出生地とのことです。
明治天皇の皇后は九条出身の九条夙子(後の英照皇太后)であったが、子として富貴宮が生まれましたが1歳で早世しています。それで養子女の
祐宮(明治天皇)が後を継いでいます。
この頃はまだ側室が持てる時代だったんでしょうね。今は不便ですね。跡取り問題で苦労してますね?

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この項 <完>





by mo-taku3 | 2019-01-09 19:50 | (歴史)京都史 | Comments(2)

京都歴史ある「三条大橋」の様子20181101

京都歴史ある「三条大橋」の様子20181101



全国的には五条大橋が有名と思う。また五条大橋は秀吉の時代に違う場所に建て替えられており今も歴史的価値としてしっかり残っているのは「三条大橋」である。
この三条大橋や近くには色々な歴史的価値が残されている。まず、橋の擬宝珠(ぎぼし)の二か所には池田屋事件の関係での刀傷があり、桃山時代に建て替えられた時の石柱のサンプル、人通りが多いと見えて「高札場」があったこと、写真には写っていないが駅伝発祥のモニュメントなどがある。また、弥次さん喜多さん像などもある。
現在の三条通をを見ると平安神宮から折れて三条通に入り、大橋を渡ると賑やかになり、ずっーと魅力ある商店が並んでおり、沢山の人出が長く続いている。

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この項 <完>






by mo-taku3 | 2018-11-01 21:25 | (歴史)京都史 | Comments(0)

明治天皇生誕地(中山旧邸)20180903

明治天皇生誕地(中山旧邸)20180903



京都御苑の今出川口から入り右手に明治天皇生誕地の中山旧邸がある。
明治天皇は孝明天皇の第2皇子で、母がこの中山忠能(権大納言)の娘で、ここ中山邸で出産し5年この地で過ごしたようです。
また、中山家には京都御苑の三大名水の一つ「祐井(さちのい)」があり、産湯の井戸となっています。

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この項 <完>






by mo-taku3 | 2018-09-03 09:15 | (歴史)京都史 | Comments(2)

河合神社と『鴨長明』20180820

河合神社と『鴨長明』20180820



河合神社については以前から何度か載せており、詳しくは、
https://moutaku3.exblog.jp/20764792/
をご覧いただければと思います。
ここでは鴨氏の系図と似顔絵的なイラストが載っていましたのでご紹介します。
多分知らない人が多いと思いますが、鴨長明の紹介ブースが向かって左奥にあります(無料です)。

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この項 <完>






by mo-taku3 | 2018-08-20 10:50 | (歴史)京都史 | Comments(4)

東本願寺の初代「慶長撞鐘」20180703

東本願寺の初代「慶長鐘」20180703



東本が寺を訪ねると「
慶長撞鐘」という釣り鐘が境内にてんじされていました。
調べてみますと、これは1604年に家康の許可を得て「東本願寺」が立てられるわけですがその時に鋳造されたものとのことで、2010年11月に新調された釣り鐘が、
突き初めされたが、それまで架かっていた初代の鐘がこれだそうです。
この鐘は2010年に外した後は阿弥陀堂に置かれていたといいます。
この貴重な鐘を身近に見れて歴史を感じさせてくれました。
2010年当時のニュースによると、
「新たな鐘は、高さ2m65、口径は約1m60、重量4.5tで、初代の鐘同様鳳凰(ほうおう)や飛天(ひてん)が描かれており、滋賀県東近江市の鋳物師から寄贈された。初代の鐘は1604年に製造されたが、度重なる火災で御影堂などが焼失する中、この鐘は創建当時から伝わる遺品の一つで、毎日厳かな音色を響かせていた。交換後は、阿弥陀堂で展示されている。」と伝えておりました。


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※「東本願寺撞鐘(梵鐘)」と記した説明文(初代の鐘)。

「東本願寺の境内地南東の鐘楼に懸かっていた撞鐘(梵鐘)。
 慶長7年(1603)、徳川家康から京都烏丸六条の寺地の寄進を得た教如聖人が、
 同9年(16049月の御影堂の造営に合わせて鋳造したもの。
 鋳造  慶長9年(1604528
 吊下  慶長9年(160466
 撞初  慶長9年(160467
 製作  鋳物師大工浄徳
 仕様  総高 256cm
 口径  156cm
 総重量 3800kg
 絵柄・銘文  左向鳳凰(上部) 本願寺(下部)
        右向飛天(上部) 信淨院(下部) 信淨院=教如上人
        右向鳳凰(上部) 慶長九甲辰暦(下部)
        左向飛天(上部) 五月廿八日(下部)
        縦帯下部     大工大坂淨徳
        鐘身内部     慶長九甲辰年 大坂大工淨徳 五月廿八日 」











この項 <完>





by mo-taku3 | 2018-07-03 15:10 | (歴史)京都史 | Comments(2)

高台寺・ねねの道・三面大黒天20180619

高台寺・ねねの道・三面大黒天20180619



なんでもそうだが、ちょっと見ぬ間にとか未だ同じか、ということがあると思う。
ねねの道を歩くとお店や建物が見る間に変わっていくことで気になるのは、歴史的建造物と思っているものがイメージが変わるくらい変化していることがある。
又最近増えてきているのは外国人向けの看板が多くなっていることである。これは観光都市京都ということでいいことだと思うがもう少し美観を考えてほしい気がしている。
外国人旅行者と言えば、マナーの悪い方がかなり多かったが、ここ一年位は急速に改善されてきているように思えるのはうれしいことである。

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この項 <完>






by mo-taku3 | 2018-06-19 17:06 | (歴史)京都史 | Comments(2)