カテゴリ:(巡礼)四国八十八ヶ所( 24 )

四国八十八ヶ所23番札所「薬王寺」20170502

四国八十八ヶ所23番札所「薬王寺」20170502



宗 派:高野山真言宗

本 尊:厄除薬師如来

開 基:行 基

創 建:神亀3年(726

「発心の道場」といわれる阿波最後の霊場で高野山真言宗の別格本山でもある。

厄除けの寺院としては全国的に有名で、「やくよけばし」を渡って本堂に向かう最初の石段は、「女厄坂」(33段)という。続く急勾配の石段「男厄坂」(42段)で、さらに本堂から「瑜祇塔」までは男女の「還暦厄坂」(61段)と呼ばれるからなっている。

各石段の下には『薬師本願経』の経文が書かれた小石が埋め込まれており、参拝者は1段ごとにお賽銭をあげながら登る光景が見られる。

縁起によると、聖武天皇(在位72449)の勅願によって行基が開創したとされている。

弘仁6年(815)弘法大師が42歳のとき自分と衆生の厄除けを祈願して一刀三礼し、厄除薬師如来坐像を彫造して本尊とされ、厄除けの根本祈願寺とした。大師は、この厄除け本尊の功徳を平城天皇、嵯峨天皇、淳和天皇の3代に相次いで奏上したところ、各天皇は厚く帰依し、厄除けの勅使を下して官寺とされている。

文治四年(1188)、火災で諸堂を焼失しているが、このとき厄除け本尊は、光を放ちながら飛び去り、奥の院・玉厨子山に自ら避難した。のちに後嵯峨天皇が伽藍を再建して新しい薬師如来像を開眼供養すると、避難していた本尊が再び光を放って戻り、後ろ向きに厨子に入られたと伝えられる。以来、「後ろ向き薬師」として秘仏にされている。

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この項 <完>





by mo-taku3 | 2018-01-01 02:30 | (巡礼)四国八十八ヶ所 | Comments(0)

四国八十八ヶ所22番札所「平等寺」20170502

四国八十八ヶ所22番札所「平等寺」20170502



宗 派:高野山真言宗

本 尊:薬師如来

開 基:弘法大師

創 建:弘仁5年(814

弘法大師がこの地でご修行のみぎり空中に5色の霊雲がたなびき、その中に黄金の梵字が現れ、大師が歓喜して加持されると薬師如来の尊像が現れて光明が四方に輝いた。

大師がさっそく加持水を求め杖で井戸を掘られたところ、乳のごとき白い水が湧き溢れました。その霊水で身を清められた大師は100日の修行の後に薬師如来像を刻み本尊として安置し、人々が平等に救済されるようにとの願いをこめて山号を白水山、寺号を平等寺と定められた。

以後、寺は大規模に栄えたが天正年間に長宗我部の兵火によって焼失し、江戸時代中期に再興され現在に至っている。

大師が杖で掘られた霊水は男坂の左下にあり、どんな日照りにも枯れることなくこんこんと湧き出ている。現在は無色透明で、万病にきく「弘法の霊水」として全国に知られている。容器代200円で持ち帰ることもできる。

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この項 <完>





by mo-taku3 | 2018-01-01 02:25 | (巡礼)四国八十八ヶ所 | Comments(0)

四国八十八ヶ所21番札所「太龍寺」20170502

四国八十八ヶ所21番札所「太龍寺」20170502



宗 派:高野山真言宗

本 尊:延命地蔵菩薩

開 基:行 基

創 建:天平19年(747

四国山脈の東南端、標高618メートルの太龍寺山の山頂近くにある太龍寺は「西の高野」とも称される。樹齢数百年余の老杉の並木が天空にそびえ、境内には荘厳な古刹の姿を漂わせている。

弘法大師が19歳のころ、この境内から南西約600メートルの「舎心嶽」という岩上で、100日間の虚空蔵求聞持法を修行されたという伝え(大師の座像が建てられている)は、大師が24歳のときの著作『三教指帰』に記されている。

虚空蔵求聞持法は、真言を百万遍となえる最も難行とされる修法で、大師青年期の思想形成に大きな影響を及ぼしている。

縁起によると延暦12年、桓武天皇(在位78186)の勅願により堂塔が建立され、弘法大師が本尊の虚空蔵菩薩像をはじめ諸尊を造像して安置し、開創したとある。山号は修行地の舎心嶽から、また寺名は修行中の大師を守護した大龍(龍神)にちなんでいるようだ。

皇室や武家の尊信が厚く、平安時代の後期には子院12ヶ寺をもつほどに栄えていたが、「天正(157392)の兵火」からは逃れられなかった。また、江戸時代になっても幾度か罹災し、荒廃の途を余儀なくされているが、その都度ときの藩主の保護をうけ再建されている。

仁王門は鎌倉時代の建立で、他の堂塔は江戸時代以降に復興している。四国巡礼者にとって、屈指の難所であったこの山岳寺院に平成4年ロープウエーが開通したため便利になったが、それまでは中腹の駐車場から坂道を登るのに30分も要していた。

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この項 <完>





by mo-taku3 | 2018-01-01 02:20 | (巡礼)四国八十八ヶ所 | Comments(0)

四国八十八ヶ所20番札所「鶴林寺」20170502

四国八十八ヶ所20番札所「鶴林寺」20170502



宗 派:高野山真言宗

本 尊:地蔵菩薩

開 基:弘法大師

創 建:延暦17年(798

標高550メートルの鷲が尾の山頂にあり、遠く紀州や淡路の山峰、遙かに太平洋を眺望できる風光明媚な地を登っていくとこの鶴林寺がある。

檜や松の巨木の参道を登っていくと隆盛時の面影をしのばせる。

寺伝によると延暦17年、桓武天皇の勅願により、延暦17年(798)弘法大師によって開創された。

大師がこの山で修行していたとき、雌雄2羽の白鶴がかわるがわる翼をひろげて老杉のこずえに舞い降り、小さな黄金のお地蔵さんを守護していた。この情景を見て歓喜した大師は、近くにあった霊木で高さ90センチほどの地蔵菩薩像を彫造、その胎内に5.5センチぐらいの黄金の地蔵さんを納めて本尊とし、寺名を鶴林寺にしたといわれる。

以来、平城天皇、嵯峨天皇、淳和天皇と歴代天皇の帰依が篤く、また源頼朝や義経、三好長治、蜂須賀家政などの武将にも深く信仰されて、七堂伽藍の修築や寺領の寄進をうけるなど寺運は大きく栄えた。

阿波一帯の寺が兵火に遭遇した「天正の兵火」にも、山頂の難所にあるためか難を免れている。

「お鶴」「お鶴さん」などと親しまれ、山鳥が舞う大自然そのままの寺である。

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この項 <完>





by mo-taku3 | 2018-01-01 02:15 | (巡礼)四国八十八ヶ所 | Comments(0)

四国八十八ヶ所19番札所「立江寺」20170502

四国八十八ヶ所19番札所「立江寺」20170502



宗 派:高野山真言宗

本 尊:延命地蔵菩薩

開 基:行基菩薩

創 建:天平19年(747

立江寺は高野山真言宗の別格本山である。

「四国の総関所」として四国八十八ヶ所の根本道場といわれ、また「阿波の関所」としても知られる。

縁起によると、聖武天皇(在位72449)の勅願で行基によって創建された。

勅命により行基が光明皇后の安産を祈るため、念持仏として5.5センチほどの小さな黄金の「子安の地蔵さん」を彫造した。これを「延命地蔵菩薩」と名づけて本尊にし、堂塔を建立したと伝えられる。

弘仁6年(815)、弘法大師が当寺を訪れ、このご本尊を拝したが、あまりに小さなご本尊なので、後世になって失われる恐れがあると、自ら一刀三礼をして新たに像高1.9メートルもある大きな延命地蔵像を彫造され、その胎内に行基菩薩が彫ったご本尊を納められた。

当時は現在地より西へ400メートルほど山寄りの景勝地に寺があって、七堂伽藍を備えた巨刹であったといわれる。このときに寺名を「立江寺」と号した。

「天正の兵火」(157585)では立江寺も逃れられず、壊滅的な打撃を受けたが本尊だけは奇しくも難を免れている。

その後、阿波初代藩主・蜂須賀家政公の篤い帰依をうけ、現在の地に移って再建された。

昭和52年に再建された本堂の格天井画(286枚)は、東京芸術大学の教授等により花鳥風月などが描かれており、観音堂の絵天井とともに昭和の日本画を代表する文化財であると高く評価されている。寺伝の「釈迦三尊図」は、国の重要文化財指定品である。 邪悪な心を裁く関所寺の半面、「子安の地蔵尊」「立江の地蔵さん」と親しまれている。

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この項 <完>





by mo-taku3 | 2018-01-01 02:10 | (巡礼)四国八十八ヶ所 | Comments(0)

四国八十八ヶ所18番札所「恩山寺」20170502

四国八十八ヶ所18番札所「恩山寺」20170502



宗 派:高野山真言宗

本 尊:薬師如来

開 基:行基菩薩

創 建:天平年間(729749

恩山寺は、小松島市郊外の小高い山の樹林が心地よい、県指定の風致地区にある。

縁起をたどると、創建は聖武天皇(在位72449)の勅願により、行基が草創して「大日山福生院密厳寺」と号した。

本尊には行基が薬師如来像を彫造して安置し、災厄悪疫を救う女人禁制の道場であった。

十九番霊場に向かって下る「花折り坂」という坂から上には、女性が入ることは許されていなかった。

延暦年間(782806)になって、弘法大師がこの寺で修行をしていたころ、大師の生母・玉依御前が讃岐の善通寺から訪ねてきたが、寺は女人禁制のため入山ができなかった。そこで大師は山門近くの瀧にうたれて17日間の修業し、女人解禁の祈願を成就して母君を迎えることができたという。

やがて母君は剃髪をして、その髪を奉納されたので、大師は山号寺名を「母養山恩山寺」と改め、自像を彫造して安置され「我が願いは末世薄福の衆生の難厄を除かん」と誓われたのが、弘仁5年(814)ころのことと伝えられる。
寺は「天正の兵火」で焼失しているが、江戸時代になって阿波藩主の庇護をうけて繁栄し、現在の本堂や大師堂は文化、文政年間(180430)ころに建立された由緒ある建造物である。

境内には玉依御前を祀る小堂があり、母君に孝養をつくして、大師が植樹した「びらんじゅ」は、県の天然記念物にもなっている。母君を慕いつくした大師の気持ちが、いまも宿っているように感じる寺である。

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この項 <完>





by mo-taku3 | 2018-01-01 02:05 | (巡礼)四国八十八ヶ所 | Comments(0)

四国八十八ヶ所17番札所「井戸寺」20170502

四国八十八ヶ所17番札所「井戸寺」20170502



宗 派:真言宗善通寺派

本 尊:七仏薬師如来

開 基:天武天皇

創 建:白鳳2年(673

7世紀後半の白鳳時代は、阿波の国にも国司がおかれた。

ここに、天武天皇(在位67386)が勅願道場として建立したのが井戸寺であり、当時の寺名は「妙照寺」であったという。寺域は広く、ここに七堂伽藍のほか末寺十二坊を誇る壮大な寺院があり、隆盛を極めたと伝えられている。

本尊は、薬師瑠璃光如来を主尊とする七仏の薬師如来坐像で、聖徳太子の作と伝えられ、また、脇仏の日光・月光菩薩像は行基菩薩の彫造と伝えられる。のち弘仁6年(815)に弘法大師がこれらの尊像を拝むために訪れたとき、檜に像高約1.9メートルの十一面観音像を彫って安置されている。

この像は、右手に錫杖、左手に蓮華を挿した水瓶をもった姿形で、現在、国の重要文化財に指定されている。大師はまた、この村が水不足や濁り水に悩んでいるのを哀れみ、自らの錫杖で井戸を掘ったところ、一夜にして清水が湧き出した。そこで付近を「井戸村」と名付け、寺名も「井戸寺」に改めたという。

ただその後、貞治元年(1362)、細川頼之の兵乱で堂宇を焼失し、次いで天正10年(1582)には三好存保と長宗我部元親との戦いでも罹災している。

しかし、江戸時代(万治4年(1661))に本堂が再建された。

また、七仏薬師如来は全国でも珍しく、七難即滅、七福即生などの開運に信仰が多い

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この項 <完>





by mo-taku3 | 2018-01-01 02:00 | (巡礼)四国八十八ヶ所 | Comments(0)

四国八十八ヶ所16番札所「観音寺」20170101

四国八十八ヶ所16番札所「観音寺20170101



光耀山 千手院 観音寺(こうようざん せんじゅいん かんのんじ)

所在地:徳島県徳島市国府町観音寺49-2
電話:088-642-2375


本寺に伝わる宝物に『観音寺縁起』一巻がある。この巻末に「享保十乙秋穀旦 南山沙門某甲謹書」の署名があり、享保10年(1725)に高野山の僧が筆写したことがわかる。その冒頭で「南海道阿波国名東郡観音寺邑 光耀山千手院観音寺縁起」と書き出し、観音寺が弘法大師によって創建され、大師自ら千手観音像を彫造して本尊にしたこと、また脇侍像に悪魔を降伏する不動明王像、鎮護国家の毘沙門天像を刻んだことや、徳島藩主の蜂須賀綱矩公が新築・移転に協力したことなどの寺史が詳しく記されている。この『縁起』とは別に、寺伝では聖武天皇(在位72449)が天平13年、全国68ヶ所に国分寺・国分尼に寺を創建したときに、行基菩薩に命じて勅願道場として建立した由緒ある古刹とされている。弘法大師がこの地を訪ねているのは弘仁7年(816)のころで、本尊像などを彫造して再興し、現在の寺名を定めたとされている。

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この項 <完>





by mo-taku3 | 2018-01-01 01:35 | (巡礼)四国八十八ヶ所 | Comments(0)

四国八十八ヶ所15番札所「国分寺」20170101

四国八十八ヶ所15番札所「国分寺20170101



薬王山 金色院 國分寺(やくおうざん こんじきいん こくぶんじ)

所在地:徳島県徳島市国府町矢野718-1
電話:088-642-0525


四国霊場には四県に同じ国分寺というお寺があり、その最初の札所が「阿波國分寺」である。
仏教に篤く帰依した聖武天皇(在位
72449)は、天平13年に国家の安穏や五穀豊穣、政教一致、地方文化の向上などを祈って、勅命により全国68ヶ所に国分寺、国分尼寺を創建した。奈良・東大寺はその総国分寺といわれている。
縁起によると、阿波國分寺には聖武天皇から釈迦如来の尊像と『大般若経』が納められ、本堂には光明皇后のご位牌厨子を奉祀されたと伝えられている。
開基は行基菩薩で、自ら薬師如来を彫造し本尊としている。創建当初は奈良の法隆寺や薬師寺、興福寺と同じ南都の学派に属する法相宗であり、寺領は二町四方で、ここに金堂を中心に七重塔も建つ壮大な七堂伽藍が整っていた。この寺域からは塔の礎石などが発掘されており、徳島県の史跡に指定されている。
弘法大師が弘仁年間(81024)に四国霊場の開創のため巡教された際に、宗派を真言宗に改めているが、寛保元年(1741)に阿波藩郡奉行、速水角五郎によって伽藍が再建されていらい、現在の禅宗・曹洞宗寺院となっている。

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この項 <完>





by mo-taku3 | 2018-01-01 01:30 | (巡礼)四国八十八ヶ所 | Comments(0)

四国八十八ヶ所14番札所「常楽寺」20170101

四国八十八ヶ所14番札所「常楽寺」20170101



盛寿山 延命院 常楽寺(せいじゅざん えんめいいん じょうらくじ)

所在地:徳島県徳島市国府町延命606
電話:088-642-0471


四国霊場のなかで唯一、弥勒菩薩を本尊としている。弥勒菩薩は567千万年の後まで、衆生の救済を考え続けて出現するといわれる未来仏である。とくに京都・広隆寺の国宝で、片膝を立てて頬を右手でささえ考える半跏思惟の弥勒像は、そのやさしいお顔の表情が美しく、お大師さまとともに光明を授けてくれるような仏といえよう。
縁起では、弘法大師が
42歳の厄年のころ、この地で真言の秘法を修行していたときに、多くの菩薩を従えて化身した弥勒さまが来迎されたという。大師はすぐに感得し、そばの霊木にその尊像を彫造し、堂宇を建立して本尊にした。この本尊について大師は、御遺告の一節に「吾れ閉眼の後、兜率天に往生し弥勒慈尊の御前に侍すべし。56億余の後、必ず慈尊と御共に下生し、吾が先跡を問うべし」と触れられていることからも、常楽寺への篤い思いが偲ばれる

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この項 <完>





by mo-taku3 | 2018-01-01 01:25 | (巡礼)四国八十八ヶ所 | Comments(0)