カテゴリ:(寺社)京都の神社仏閣( 280 )

京都嵯峨野「印空寺」20190213

京都嵯峨野「印空寺」20190213


京都の山越というところに西山浄土宗のこのお寺があります。このお寺は1688年(元禄元年)に印空上人(いんくうしょうにん)が霊元天皇の第2皇子で、仁和寺第23世門跡・覚観法親王(覚隆・覚恕)から土地を寄進されて創建したのが起源です。その後僧・了海(りょうかい)が中興したが、明治維新後の廃仏毀釈によって荒廃しましたが、1991年(平成3年)に本堂・山門・庫裡などの伽藍が整備され、北山杉・梅・桜・紅葉などの植物が枯山水式庭園を囲むように植えられました。

印空寺には「山越の阿弥陀」とも言われる本尊・阿弥陀如来を安置しています。

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この項 <完>





by mo-taku3 | 2019-02-13 12:50 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(2)

東寺の伽藍風景20190209

東寺の伽藍風景20190209



当寺は久し振りだ。とはいいながらよく見るのでしょっちゅう来ている感じで親しみ深い。今日はこれといった特別の拝観があるわけではないが、やはり、中国の春節の影響か多くの中国人らしき団体が沢山訪れていた。
今日は時間も遅くなったので有料エリアには入らなかったが、ここの仏像は圧巻だ。次は逃さず見てみたいと思う。

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この項 <完>






by mo-taku3 | 2019-02-09 16:25 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(2)

節分前日の「八坂神社」20190201

節分前日の「八坂神社」20190201



この日は2月1日、線分行事の前の日に当たりますが、すでに賑わいを見せていました。出店や忠盛灯篭、祇園3社(祇園社・大国主命社・北向蛭子社)参りなどの他、節分用の特別のお守りなどの準備も万端の様でした。

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この項 <完>






by mo-taku3 | 2019-02-01 16:13 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(2)

粟田神社と(摂社)鍛冶神社20190201

粟田神社と(摂社)鍛冶神社20190201



粟田神社の末社に鍛冶神社というのがあるが、この神社は天目一箇神(製鉄・鍛冶の神)を祀っている。というのもこの粟田口は京の町の出入り口の一つで、三条大橋に繋がっている。その街道の守り神となっているが、この鍛冶神社(粟田神社)の参道には刀工が集まり、平安時代には「三条小鍛冶宗近」、鎌倉時代には「粟田口藤四郎吉光」という名工が出現している。
祇園祭の「長刀鉾の長刀」は
三条小鍛冶宗近が作って奉納したとある。
時代的には八坂神社の方が古いように伝わっているが、粟田口も古代京都士族の「八坂氏」の勢力圏内に存在しているようなので、祇園祭の八坂神社の元社(疫神社)ではないかと推測できる。(現在の八坂神社には疫神社がないのが不思議で、神紋は疫神社の神紋でもある)
最近、「刀剣女子」のブームになっているようで、この日も若い女性が沢山参詣に来ていたのにはびっくりだった。



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朝倉氏から毛利氏、そして豊臣氏から徳川家、さらには皇室へと伝わった名刀「一期一振」をはじめ数々の国宝を手掛けた天下の三名工と呼ばれたのが、粟田口吉光(粟田口藤四郎吉光)である。
三条宗近(三条小鍛冶宗近)は、天下五剣と呼ばれる名刀のうち、最も美しいといわれる国宝「三日月宗近」を手掛けている。











この項 <完>





by mo-taku3 | 2019-02-01 15:09 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(0)

豪華な「平安神宮」20190201

豪華な「平安神宮」20190201



京都が誇る赤備えの一つ、「平安神宮」に行ってきました。
平安神宮の歴史は浅く明治28年の京都万博で造られた「大極殿の縮小版」(本物の1/8)を本殿に平安神宮が作られました。この本殿の8倍というと途方もない大きさだったんでしょうね。
平安神宮は建物が朱であることから、伏見稲荷大社と並んで外国人観光客には人気があります。また、本殿の広大な裏庭は四季を通じて素晴らしく、特に桜の季節は圧巻です。レイアウト・ディスプレイ共に素晴らしく、見事な景観です。

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この項 <完>






by mo-taku3 | 2019-02-01 14:01 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(0)

白雲神社(京都御苑)20190130

白雲神社(京都御苑)20190130


京都御苑の御所の南に位置しています。
この神社は、旧西園寺家の鎮守社で、祭神は市杵島姫命、妙音弁財天を祀り、また音楽の神様としても信仰されているようです。
1224年(元仁1)、西園寺公経が北山殿(現在の金閣寺の地)造営の際に建立した妙音堂に由来するとされています。その後幾多の変転を経て、近代には赤八幡京極寺にもしばらく鎮座され、1769年(明和6)、西園寺邸の移転と共に現在地に移り再興され、禁裏御祈祷所と定められ、また庶人の信仰も集めるようになった。
西園寺家は東京へ移った後、妙音堂は廃祀の危機に合うが地元有志の尽力により存続され、1878年(明治11)かつての鎮座地名をとり現社名に改められたようです。

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この項 <完>






by mo-taku3 | 2019-01-30 15:50 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(2)

水の神様「福長神社」(京都)20190130

水の神様「福長神社」(京都)20190130



福長神社の駒札には、

「本社は福井(さくいの)神,綱長井(つながいの)神,稲荷神を祭神として祀る。

社名は,福井,綱長井の二神を合祀することによるが,稲荷神も合祀することから「福(ふく)長稲荷(ながいなり)」とも呼ばれた。

福井神と綱長井神は,平安京大内裏内の神祇官西院(さいいん)(現在の大宮竹屋町辺)に祀られていた延喜式内社,宮中の神の座摩巫(いがずりのみかんなぎの)祭神五座(生井神,福井神,綱長井神,波比伎神,阿須波神)のうちの二座である。

現在の地に遷された経緯については,社伝によると天正年間,豊臣秀吉の聚楽第造営,あるいは廃城の際と伝えられるが,天正2年(1574)に織田信長が上杉謙信に贈ったと伝えられる洛中洛外図屏風(狩野永徳筆)には,すでに現在地に福長神社が描かれている。

天明の大火(1788)で焼失した後は小さな祠となったが,明治時代以降も水の神(屋敷内の井戸や泉の神)として地元の人々から篤く信仰されている。京都市」

とありました。祀られている神様は何れも水神のようです。
また、この神社の近くには「富岡鉄斎」邸跡あった。


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この項 <完>





by mo-taku3 | 2019-01-30 11:20 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(4)

京都『大蓮寺』(走り坊さん)20190128

京都『大蓮寺』(走り坊さん)20190128



「走り坊さん」で有名な『大連寺』は、慶長5年(1600)僧深誉が現在の京都市下京区に創建したのに始まるが、昭和になって五条通の拡幅により、現在の地(京都市左京区東山二条西入一筋目下ル)にあった寺と統合されたという。

18世住職芳井教岸の直弟子籏玄教(はたげんきょう)は、明治から大正にかけて「走り坊さん」の名で知られた。京都の街を走り回った、その奇行や貧困層に対する施しは京都の名物として有名で、大正7年(1918)の新聞紙面で「今一休」とたたえられ、当時の新聞記事には、

「飛ぶが如く走るが如く、洛中洛外を走って走って走り通した大蓮寺の走り坊さん。

雨が降ろうが風が吹こうが彼の走る姿を見ない事はなかった。
大きな坊主頭の法衣姿に汚い頭陀袋を下げて、グッと丹田の辺りに力をこめ乍ら、彼は緩急よろしきを得た一定の速力を以て毎日毎日走り廻った。」

と書かれていたそうです。境内にはハスが咲き、また蝋梅や冬咲くあやめなど花の寺の様である。

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この項 <完>





by mo-taku3 | 2019-01-28 15:00 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(2)

京都「因幡薬師」(平等寺)20190119

京都「因幡薬師」(平等寺)20190119



このお寺の起りは、「因幡堂縁起」(現東京国立博物館蔵)にくわしい。

長徳3年(997)因幡国司橘行平が、任終って帰洛の途中、夢告によって因幡賀留津(いなばかるつ)の海中から一体の薬師如来像をひきあげ、仮堂に安置しておいたが、薬師は行平のあとを追って京都に飛来したといわれ、長保5年(1003)行平は自宅を改造してこれをまつったという。

この霊験談はひろく親しまれ、歴代天皇はじめ一般庶民の深い信仰をうけ、承安元年(1171)には高倉天皇により『平等寺』と命名された。

しかし堂舎はたびたび火災にかかり寺地も次第に小さくなったが、明治初年再建の現本堂には、たび重なる火災にもかかわらずよく伝えられてきた本尊薬師如来立像を安置している。藤原時代、一木作りの優品で重要文化財に指定されている。嵯峨釈迦堂の釈迦如来、信濃善光寺の阿弥陀如来とともに日本三如来の一つ にかぞえられている。

場所は「京都市下京区烏丸松原上る東入因幡堂町」になる。

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この項 <完>





by mo-taku3 | 2019-01-19 13:22 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(2)

京都「松明殿稲荷神社」20190116

京都「松明殿稲荷神社」20190116



松明殿稲荷神社の今は小さい神社であるが、天暦2年(948)に創始され、同10年(956)、勅により燎祭(りょうさい)が行われ、その時「炬火(たいまつ)殿」の号を賜ったことに由来する伝統ある神社と伝えられている。

はじめ、黒門通塩小路下るにあったが、その後、七条東洞院などを経て、宝永8年(1711)現在の地に移ったとされる。

当社は、伏見稲荷大社の境外末社で田中社ともいう。

大己貴命(おおなむちのみこと)、伊弉諾命(いざなぎのみこと)、伊弉冊命(いざなみのみこと)、猿田彦命(さるたひこのみこと)、倉稲魂命(うがのみたまのみこと)を祭神とするが、このほか現在、天智天皇像(木像)、大友皇子像(木像)を安置する。出雲神を主祭神にしていることから、元々は磐座信仰から始まり、時代の波にもまれそれを乗り切ってきたように思える感じを受ける

江戸時代に出された「都名所図会(みやこめいしょずえ)」には、伏見稲荷大社春の稲荷祭のとき、当神社の氏子の人々が松明をともしてその神輿を迎えるのを古例としていたことから「松明殿」の名で呼ばれたと記されている。 また、境内西側には、江戸時代中期の木食正禅養阿の銘のある手洗石及び井戸がある。

場所は、下京区七条大橋西詰稲荷町。

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この項 <完>





by mo-taku3 | 2019-01-16 14:50 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(2)