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カテゴリ:(寺社)京都の神社仏閣( 309 )

京都「名刹阿彌陀寺」(大原古知谷)20190614

京都「名刹阿彌陀寺」(大原古知谷)20190614



京都大原の本道から西側(左側)に外れたところに「古知谷」という地区があり、ここに「阿彌陀寺」(あみだじ)というお寺があります。
私がこのお寺に行くのは今回が初めてでしたが、不思議なお寺でした。
開山は1609年と比較的新しい。しかし、現在も有栖川宮・閑院宮祈願所となっており、以前から皇族との縁が深く東久邇宮・高松宮のご参拝があり、昭和の終わりには文仁親王(秋篠宮)もご参拝しています。
開基の弾誓(たんぜい)上人は、寺内にある岩窟にある石龕(せきがん)に生きながら入られ「ミイラ佛」となっているそうで、現在は石廟の石棺にミイラ佛のまま収められています。
色々とご紹介しましたが、ここは山門がまずあり、その横を2km弱山に登っていきますが、車で行くと細い苔むした道を慎重に上がっていく。その道の両側は古刹というにふさわしい参道でした。心が騒ぐ素晴らしいお寺でした。

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この項 <完>






by mo-taku3 | 2019-06-14 13:36 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(0)

善峯寺「けいしょう殿と奥の院(薬師堂)」20190612

善峯寺「けいしょう殿と奥の院(薬師堂)」20190612



徳川綱吉の実母の「桂昌院」は、善峯寺を再興した中興の祖と言っていい位大檀那として善峯寺の復興に勤めた。
応仁の乱で殆ど焼失したままだった多くの伽藍を桂昌院は再興している。
桂昌院はこの寺に廟所を持ち、「けいしょう殿」が建てられ犬と一緒の座像がおかれている。また、けいしょう殿の隣には自らが再興した薬師堂(奥の院)復興され「薬師如来像」が安置されている。ここからの眺めも素晴らしい。

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この項 <完>






by mo-taku3 | 2019-06-12 13:20 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(0)

景観に馴染む善峯寺の伽藍(西国札所)20190611

景観に馴染む『善峯寺の伽藍(西国札所)20190611



善峯寺は西国三十三ヶ所の第20番札所としても有名であるが、もう一つはここに「天然記念物の日本一の松」がある。この松(遊龍の松)は、樹齢600年以上と云われ、五葉松である。(別項で説明)
由緒は平安遷都の後、藤原氏が平安京に地盤を造るために、西山に目をつけ幾つかの寺社を整備した一つである(平安中期1029年創建)。その後、室町時代には僧坊52に及んだと言われているが、応仁の乱に大半が焼失している。江戸時はいり、徳川綱吉の実母である「桂昌院」が帰依し見違えるように伽藍が充実して今の姿になったと言われている。そのためか一つ一つの建物が整備された形で今に伝えられている。
境内は西山の高台にあり、京都市内を見下ろす眺望は素晴らしい。


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この項 <完>





by mo-taku3 | 2019-06-12 12:19 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(0)

アジサイの苑(善峯寺)20190611

広大なアジサイの苑(善峯寺20190611



善峯寺があるのは京都西山である。
ここは平安遷都依頼藤原氏の地盤だった奈良の春日大社や興福寺などに対し、平安京に地盤を造るために、西山に目をつけ幾つかの寺社を整備している。その後、徳川綱吉の実母である「桂昌院」が帰依し見違えるように伽藍が充実したと言われている。
その後も色々と手を加えられ、広大なアジサイの庭園が造られてきている。少し早かったが満開を想像していただくと見事な庭園であることがお分かりいただけると思う。

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この項 <完>






by mo-taku3 | 2019-06-12 11:36 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(0)

檀王法林寺(だん王さん)20190530

檀王法林寺(だん王さん)20190530



檀王法林寺は三条大橋東詰にある浄土宗のお寺です。その歴史は望西楼了恵(ぼうせいろうりょうえ)上人(1243-1322)の悟真寺(ごしんじ)創建にはじまります。了恵上人は浄土宗三条派の派祖となり、文永9年(1272)に悟真寺をここ三条の地に建立しました。しかし、その後、悟真寺は応仁の乱をはじめ、度重なる天災人災の被害を受け、永禄年間(155869)に焼失したと伝えられています。

この悟真寺の縁地に新しく檀王法林寺を築いたのが袋中(たいちゅう)上人です。慶長16年(1611)了恵上人が開いた念仏道場の縁地(悟真寺)に草庵を建立し、「朝陽山 栴檀王院 無上法林寺」と名づけました。

そのあとを継いだ團王(だんおう)上人は寺院興隆に尽力され、恵心僧都作と伝えられる阿弥陀如来立像を本尊(現在の御本尊)として阿弥陀堂(本堂)を建立し、寺域も現在の広さにまで拡大させていきました。また、土地の人たちとの交流から親しみを持って「だん王さん」と今も呼ばれています。

十二世住職に就いた良妙上人の代に、霊元帝の養母であった東福門院の御位牌がまつられるようになり菩提所となりました。この東福門院は徳川二代将軍秀忠の娘(五女和子)であったので、この頃より当山と皇室・徳川家との関係が一層深まり、寺内に皇室の菊御紋、徳川家の三葉葵紋の調度が許されるようになったと伝えられています。

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この項 <完>





by mo-taku3 | 2019-06-03 13:22 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(0)

高松殿跡に建つ「高松神明社」(京都)20190527

高松殿跡に建つ「高松神明社」(京都)20190527



ここは、源氏と平氏の戦いの幕開けの舞台のところである。
そして、
1155年には後白河天皇がここで即位している。
源高明(みなもとのたかあきら:914982年)の邸内に祀られていた鎮守社高松明神が始まりといわれる。当地は高松殿と称され、平安時代中期、高明の末娘明子が藤原道長と一緒になり、当所にすまいして高松殿と称された。

源高明は醍醐天皇の皇子で、西宮左大臣と呼ばれており、「拾介抄(しゅうがいしょう)」には「姉小路北西洞院東高明親王家」と記されている。
ここは、保元の乱(1156年)では後白河天皇の本拠地となり、源義朝や平清盛らの軍勢がここに参集して、崇徳上皇方の白河北殿へ攻め込んだことは有名である。
その後、平治の乱(1159年)で高松殿は焼失するが、神明社のみが残っている。

境内には、地蔵尊、金比羅神社をはじめとする末社があったが、幕末の蛤御門の変による大火によりことごとく焼失した。
境内には神明地蔵尊「幸村の知恵の地蔵尊」がある。これは、1794年に紀州九度山の伽羅陀山真田庵に安置してあった真田幸村の念持仏を拝領してきたものという。地蔵堂の台石をさすり、子供の頭をなでると知恵が授かると信仰されている。

明治初めまでは寺院と神社が一体で、高松神明宮宝性院という神宮寺であったが、神仏分離令により宝性院は廃寺となり、高松神明神社だけが残り現在に至っている。

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この項 <完>





by mo-taku3 | 2019-05-27 16:23 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(0)

尚徳諏訪神社(京都)20190516

尚徳諏訪神社(京都)20190516



尚徳諏訪神社は京都にある神社です。
由緒は、桓武天皇から蝦夷平定のために征夷大将軍に任命された坂上田村麻呂が、長野の諏訪大明神を深く信仰しており、そのおかげで無事に蝦夷を平定できたことから、延暦20年(801年)に諏訪大社から祭神をここに勧請(かんじょう)したのが始まりです。
祭神は、建御名方神(たけみなかたのかみ)、八重事代主神(やえことしろぬしのかみ)で、
建御名方神は諏訪大明神と同じ出雲の神様です。

その後荒廃するが、文治2年(1186年)に源義経が神域を広げ復興した。 しかし、建武年間(13341336年)に兵火に遭い焼失したが、足利義満が神馬を奉納して復興しています。 また、江戸時代に入ってからも徳川幕府の援助によって、社殿の復興が行われている。元治元年(1864年)の蛤御門の変の際にも焼失したが、孝明天皇から150両と菊の紋入りの提灯一対を賜り、慶応2年(1866年)に再建されている。

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この項 <完>





by mo-taku3 | 2019-05-16 16:53 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(2)

西本願寺とお寺を守る銀杏の木20190516

西本願寺とお寺を守る銀杏の木20190516



大好きな京都西本願寺の「銀杏の大木」の様子を見に行ってきました。 昨年の台風の影響でかなり影響を受けましたが、上手く剪定も出来たせいか葉をつけると青々とした融資を見せていました。
銀杏は火があたると水を吹き出すため、寺社にはこの木が多くみられます。
事実、京都の大火があった時この木のおかげで火事を防げたとの言い伝えがあります。次は秋の紅葉を楽しみにしましょう!

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この項 <完>






by mo-taku3 | 2019-05-16 11:06 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(2)

池坊の寺「六角堂」(頂法寺)20190425

池坊の寺「六角堂」(頂法寺)20190425


六角堂の正式名称は紫雲山頂法寺で、天台系の単立寺院です。

このお寺は一般的には生け花の寺として知られていますが、西国札所18番でも有名です。
本堂の形が六角形であることから、古くより「六角堂」の通称で知られ、聖徳太子が用明天皇2年(587)に創建したと伝えられ、本尊「如意輪観音像」が人々の信仰を集めてきました。華道家元池坊が住職を務め、いけばな発祥の地としても知られています。

淡路島に漂着した如意輪観音像を念持仏としていた聖徳太子は、用明天皇2年(587)、四天王寺建立の材木を求め、京都盆地を訪れました。太子が池で身を清めるにあたり、念持仏を木に掛けたところ動かなくなり、この地にとどまって人々を救いたいと太子に告げたため、六角形の御堂を建てて安置したといわれています。
正式な寺号は頂法寺ですが、御堂の形から「六角堂」「六角さん」と呼ばれ、親しまれています。

また、門前を東西に走る道も六角通りといいます。
以前は広い寺域を占めていたようで、測角通りを挟んで向かい側に鐘楼があり、往時の隆盛の一角が伺えます。



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この項 <完>





by mo-taku3 | 2019-05-04 17:27 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(2)

緑に包まれた「高台寺・霊山観音」20190503

緑に包まれた「高台寺・霊山観音」20190503



ねねさんのお寺「高台寺」は味のあるお寺です。緑あり、紅葉あり、内容のある伽藍あり、竹林あり、お茶庵ありと条件がそろっており、ねねさんの人柄が伝わってくるようです。そこを垣間見させていただきました。

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この項 <完>






by mo-taku3 | 2019-05-03 09:59 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(2)