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醍醐寺三宝院の素晴らしい「障壁画」20181005

醍醐寺三宝院の素晴らしい「障壁画」20181005



醍醐寺は広い境内と見るところが多く、今まで三宝院には入ったことはない。今回不幸中の幸いというか、三宝院しか入れないということで折角来たので拝観してきた。
実はここの庭園が有名なのだが、それ庭園の項に回すとして、ここでは三宝院が誇る障壁画を一部紹介する。
醍醐寺には72面の障壁画ある。
これらは、長谷川等伯、狩野秀信、
石田幽汀、山本探川、山口素岳らによって描かれている。
貴重な体験をさせてもらった。


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この項 <完>





by mo-taku3 | 2018-10-05 14:39 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(1)

醍醐寺の拝観不可の境内20181005

醍醐寺の拝観不可の境内20181005



醍醐寺には紅葉の季節が来る前にと思い出かけてみたところ、台風の影響でかなりダメージがあり拝観ができませんでした。
醍醐寺には伽藍エリア、三宝館エリア、霊宝館エリアの3つのエリアがありますが、金堂や五重塔などがある伽藍エリアの拝観ができず、せっかくなので残り2つのエリアを拝観してきました。醍醐寺は上醍醐と下醍醐があるが、延喜7年(907)醍醐天皇はこの寺を勅願寺とし、下醍醐に伽藍(がらん)を造営して発展してきた。

しかし、応仁の乱により、やました下醍醐は五重塔をのこしてすべて焼失したが、桃山時代、義演(ぎえん)が豊臣秀吉の帰依をうけて復興したという。
上醍醐准胝堂は西国11番の札所、また五大力尊に対する一般庶民の信仰もさかんで、真言宗醍醐派の修験道山伏も当寺の統轄するところです。

五重塔(国宝)は天暦6年(953)に完成した京都最古の建物で、総高37メートル、相輪も大きく、五重塔の古式を示し、内部は、華やかに彩色されている。
秋も深まったら出直そうと思っています。



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この項 <完>





by mo-taku3 | 2018-10-05 14:10 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(1)

日本唯一の恵方社の災難(神泉苑)20181003

日本唯一の恵方社の災難(神泉苑)20181003


「神泉苑」というのは平安京の禁裏の一部にあった大きな神社ですが、ここには日本で唯一の恵方社「歳徳神」が置かれています。
その恵方社は、台風21号によってダルマ落とし状態となったようです。
自然災害が続いているのも関係があるのでしょうか?
最後に被害前の恵方社の写真を載せています。

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この項 <完>






by mo-taku3 | 2018-10-03 10:16 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(2)

観光客も少なく静かな「平安神宮」20181002

観光客も少なく静かな「平安神宮」20181002



平安神宮のあるところは「岡崎」といいますが、この平安神宮がここに建てられたのは明治28年に行われた京都万国博覧会に平安京の大極殿の1/8の大きさのものを作ったのがきっかけでした。この大極殿模型が平安神宮の本殿になったわけです。
実は明治に建てられた大きな神社として、「樫原神宮」、「明治神宮」があります。
平安神宮で好評なのは「神苑」です。桜の季節が特に訪れる人が多く、中でもふんだんにちりばめられた、「しだれ桜」は見事と言っていいと思います。神苑には大きな池があり、そこに架かる「泰平閣」は和風の憩いの場所となっています。

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この項 <完>






by mo-taku3 | 2018-10-02 13:16 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(3)

嵯峨野「野宮神社」20180923

嵯峨野「野宮神社」20180923



野宮神社と書いて「ののみや」と読みます。
京都市右京区さがのにある比較的こじんまりとした神社です。
良縁・子宝・学問の神様ということで若い人に人気があり、写真のようにたくさんの参拝者がいつものように並んでいます。
天照大神を祭神とするこの神社は、斎王が伊勢神宮に赴く前に、身を清めるために
建てられたと言われています。

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この項 <完>





by mo-taku3 | 2018-09-23 17:06 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(2)

嵯峨野「苔庭の祇王寺」20180923

嵯峨野「苔庭の祇王寺」20180923



祇王寺は昔の往生院(往生院は法然上人の門弟良鎮によって創建された)の境内にあったと伝えられています。広い寺域を占めていた往生院も後年は荒廃し、小さな尼寺として残り、後に祇王寺と呼ばれるようになったようです。
祇王寺は明治初年に廃寺となりましたが、残された墓と仏像は旧地頭の大覚寺によって保管されました。
その関係から祇王寺は真言宗大覚寺派の寺院で、旧嵯峨御所大覚寺の塔頭寺院ともなっています。
祇王寺は今も竹林と楓に囲まれた草庵で、『平家物語』にも登場し、平清盛の寵愛を受けた白拍子の祇王が清盛の心変わりにより都を追われるようにして去り、母と妹とともに出家、入寺した悲恋の尼寺として知られております。
境内の片隅には、平清盛の慰霊塔と並んで祇王母子のお墓があります。
ここは嵯峨野の寺院としては苔庭に囲まれた紅葉の名所として全国に知られていますが、最近は外国人の観光客も多いようです。


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この項 <完>





by mo-taku3 | 2018-09-23 16:30 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(2)

京都「本満寺と山中鹿之助」20180915

京都「本満寺と山中鹿之助」20180915



山中鹿之介幸盛(やまなか しかのすけゆきもり)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての山陰地方の大名である尼子氏の重臣である。

優れた武勇の持ち主で「山陰の麒麟児」の異名を取り、尼子十勇士の筆頭にして、何度も尼子家再興のために力を尽くした忠臣である。

願わくば、我に七難八苦を与えたまえ と三日月に祈った逸話は有名であり、戦前の修身(道徳)の授業には必ずと言っていいほど出てくる人物である。
その人物のお墓がここ本満寺にある。今では殆どお参りに来る人もないが、お寺ではきれいに清掃している。


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尼子氏(あまごし)とは、
京極氏の一族で代々出雲守護代を務めた。
京極氏から室町中期に分かれた家であり、京極尼子家とも呼ばれる。
また、山陰地方で活動し、戦国大名となった一族は出雲尼子氏と呼ばれ最盛期には中国八カ国を領域に起き120万石の広大な領土を支配した大大名である。
余談だが、「八つ墓村」は尼子氏の落人を題材にしていると聞いている。












この項 <完>





by mo-taku3 | 2018-09-15 10:18 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(2)

織田信長の本廟「阿弥陀寺」20180915

織田信長の本廟「阿弥陀寺」20180915



織田信長の亡骸は本能寺では見つかっていないと言われている。しかし豊臣秀吉が阿弥陀寺の住職に信長の遺骨の引き渡しを求め、断られたとあります。真相はわかりませんが、阿弥陀寺には墓があり、定期的に子孫のお参りがつづいているようです。
併せて、信長と一緒に本能寺で亡くなった森蘭丸はじめ3兄弟のお墓などもあります。
この「阿弥陀寺(あみだじ)」(京都市上京区寺町通今出川上る)の住職は「本能寺の変」の時、現地に赴き、信長の遺体をこの寺に運び込んだということが、当時に伝わっているようです。それで「本廟」を名乗っています。
この逸話が信憑性がありそうですね。


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この項 <完>





by mo-taku3 | 2018-09-15 10:00 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(2)

過っては巨大教団だった「仏光寺」20180909

過っては巨大教団だった「仏光寺」20180909



京都の四条通の2筋南に、仏光寺通というのがあります。
このお寺の名前がついた通りです。
境内には秩父宮・高松宮・三笠宮各妃お手植えの「枝垂桜」があり、地区の花まつりが盛大におこなわれています。
仏光寺は浄土真宗の一派ですが、一時は最大教団でしたが、本流の本願寺派の立て直しのために代表が殆どの末寺を連れて移った経緯があり、今はこじんまりとした集団となっています。
初めて入りましたがなかなか立派な本堂でした。

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この項 <完>






by mo-taku3 | 2018-09-09 17:00 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(0)

鷺森神社を参拝20180906

鷺森(さぎのもり)神社を参拝20180906



鷺森神社は貞観年間(859-77)創建と伝えられ、最初は比叡山麓、赤山禅院近辺に祀られていたが応仁の乱で罹災し今の修学院離宮の山林に移された。
しかし、修学院離宮造営のため、霊元天皇により現在の鷺の社に社地を賜り遷座した。祭神としてスサノオノミコトを祀り、修学院、山端地区の産土神である。

境内には触れると夫婦和合や良縁が授かるという「八重垣」の石がある。そこにはスサノウノミコトが読んだ、

 「八雲たつ出雲八重垣 妻籠に八重垣つくる その八重垣を」

の歌碑が彫られている。

また、拝殿の前には「御幸橋」というのがあり、これは修学院離宮の音羽川に架かる橋で、霊元法王、後水尾上皇が渡ったものを下賜されたとある。

この神社に行って不思議なのは、参道と拝殿・本殿が別物のように感じることである。

赤山禅院に行く途中に鷺森神社の石碑と駒札があったが、そこに並んで小さく「千種忠顕」の石碑があった。
千種忠顕は後醍醐天皇の忠臣として建武の新政にも活躍したが粗暴なところがあり問題があったが、それでも足利尊氏挙兵に対し、尊氏の弟直義とこの地で戦い戦死している。


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この項 <完>





by mo-taku3 | 2018-09-06 11:55 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(2)