カテゴリ:(歴史)関西史( 67 )

百濟寺の「天下の遠望台」20160423

百濟寺の「天下の遠望台」20160423


百濟寺(ひゃくさいじ)の中腹には、「天下の遠望台」があります。
西方の借景は琵琶湖をかすめて、55km先の比叡山で、広大なパノラマ展望を望めます。
さらに西方、880km先には、往時の「百済国」がありました。
百済からの渡来人が母国を偲ぶ気持ちで「遠望台」に立つ時、両国の深い交流関係が蘇ってきます。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2018-08-29 21:52 | (歴史)関西史 | Comments(2)

平城京(奈良)の夕日20180808

平城京(奈良)の夕日20180808



時間ができたので近鉄奈良西大寺で下車し、平城京を一回りしました。
復元ができている、「朱雀門」、「大極殿」などですが夕暮れになると大極殿に架かる夕陽を見ることができ雌伏のひと時をいただきました。
もう少し暗くなると街のツバメがねぐらを求めて集団で平城京の上を通り森へ飛んでいく姿がみえました。思いがけずいいものを見た感じです。

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この項 <完>






by mo-taku3 | 2018-08-08 19:15 | (歴史)関西史 | Comments(2)

平城京「東院庭園」20180808

平城京「東院庭園」20180808



平城宮は他の日本古代都城の宮殿地区には例のない東の張出し部を持ちます。この南半は皇太子の宮殿があった場所で、「東宮」あるいは「東院」と呼ばれていました。(今も東宮御所には皇太子がおられます。)その南東端に東西60m、南北60mの池があり、これを中心に構成されている区画が東院庭園です。
時間的に中に入ることができませんでしたが、詳しくは以下のURLをご覧ください。
https://www.nabunken.go.jp/heijo/museum/page/toin.html


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この項 <完>





by mo-taku3 | 2018-08-08 19:00 | (歴史)関西史 | Comments(2)

平城京(奈良)の現在の様子20180808

平城京(奈良)の現在の様子20180808



奈良「平城京」に行ってきました。
平城京の復元は徐々に行われており、「朱雀門」をはじめとして「大極殿」が復元され、東院庭園・宮内省なども出来上がっております。
現在は「朝堂院」の復元工事がおこなわれていました。
これからこの平城京をどのように復元していくのか楽しみなところでありますが、広大な敷地の中に点在する建物のつながりが希薄なことや交通の便が良くないのが折角の史跡を持ちながら、あまり訪れる人が少ない要因ではないかと思います。
もっともっと平城京を知ってもらう工夫ができるのではないかと思うが・・・。

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この項 <完>






by mo-taku3 | 2018-08-08 16:05 | (歴史)関西史 | Comments(2)

丹波古刹「慧日寺」の内陣・庭園20180711

丹波古刹「慧日寺」の内陣・庭園20180711



杉の木に囲まれた長い参道を抜けるとぽっかり明るい場所があらわれ山門に突き当たる。そこが慧日寺であるが一見静かななかに鳥の鳴き声が響き、茅葺のお堂が幾つか目に入る。
お寺の縁起は別にお紹介するが、ご朱印をいただくときに内陣・庭園を後でご案内しますと言われたので、お言葉に甘えて伺ってみた。
さすがに古刹だけあって庭園があり、そびえる様な石を配置した借景があり、本堂と庫離を結ぶ渡りとその横に坪庭があり、内陣にはいくつかのお宝らしきものがあった。丁寧な説明を受け貴重な時間をいただけた感じがした。

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この項 <完>






by mo-taku3 | 2018-07-18 13:10 | (歴史)関西史 | Comments(2)

恐竜化石発見の地「丹波市」20180711

恐竜化石発見の地(丹波市)20180711



200687日に丹波市山南町で同市在住の村上茂・足立洌の両氏により発見された大型のティタノサウルス形類恐竜化石は、長年の発掘調査及び研究の結果、20148月に新属新種の恐竜、タンバティタニス・アミキティアエと命名された。

「タンバティタニス・アミキティアエ」とは、「発見地のタンバ(丹波)と、ギリシャ神話の巨人ティタニス、発見者2人の「友情」のラテン語のアミキティアエを組み合わせたものである。」

これまでに兵庫県篠山市および丹波市内の下部白亜系篠山層群大山下層が分布する4地点においては、恐竜類、有鱗類、哺乳類、無尾類の骨格および卵殻等の脊椎動物化石が報告されてきた。これらに加えて、篠山市内で工事中の川代1号トンネルの岩砕より角竜類の頭骨の一部や竜脚類の歯、ワニ類の歯などの化石が複数発見され、また丹波竜が発見された産地とは異なる丹波市山南町上滝地内の露頭より新たにワニ類の鱗板骨や貝類の化石が発見されており、早くから「丹波恐竜の里」として施設建設・宣伝がなされてきている。

しかし全国には100ヶ所近くのハック例があるようで、この丹波の恐竜はあまり聞こえてこない。

ただ何といっても「新属新種の恐竜」というのが売り物ではないかと思うのだが…。

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この項 <完>





by mo-taku3 | 2018-07-11 12:20 | (歴史)関西史 | Comments(0)

松尾芭蕉「古池や…」と岩間寺史跡20180628

松尾芭蕉「古池や…」と岩間寺史跡20180628



西国12番札所の岩間山 正法寺に松尾芭蕉が訪れ詩を読んでいます。
有名な
  「古池や 蛙飛び込む 水の音」
これは誰もが知っている芭蕉の俳句ですが、このお寺で読んだことはあまり知られていないのではないかと思います。
本堂のすぐ横に小さな池がありますが、「芭蕉池」と言われています。
池をよく見ていると蛙を見つけることができます。
また「白姫龍神」というのがあります。信心すると美人になれるといういいつたえがあり、祭りも行われています。

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by mo-taku3 | 2018-06-28 13:31 | (歴史)関西史 | Comments(2)

円教寺の仏像等宝物(食堂)20180527

書写山円教寺の仏像等宝物(食堂:じきどう)20180527



書写山円教寺の食堂(じきどう)の2階に仏像が展示してありました。写真がOKでしたので写してきました。撮影禁止が殆どの所が多いですがありがたい話です。
またそこに武蔵坊弁慶に関する逸話がありました。
三条大橋の千本太刀の狼藉の背景が載っていました。
弁慶はここで10年修業したともありました。

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by mo-taku3 | 2018-06-03 01:19 | (歴史)関西史 | Comments(2)

実在?開化天皇陵(奈良市)20180518

実在?開化天皇陵(奈良市)20180518



開化天皇は第9代の天皇とされる。

というのも実在の天皇ではないのではといわれているからである。

このあたりのことは古事記、日本書紀のみにて伝えられているが、第2代(綏靖天皇)~第9代(開化天皇)までの8代は、現代の歴史学では実在せず後世になって創作された存在と考える見解が有力であるようだ。

この8人の天皇の時代を欠史八代(けっしはちだい)言われている。

今回奈良市内にて出会った開化天皇陵は、(個人的な見解だが)位置的にちょっと考え難い気がする。

10代天皇は崇神天皇(開化天皇の子)だが、神武天皇と同一か初代天皇といわれており陵墓は桜井市にある。

奈良市の開化天皇陵はここから大きく離れており、当時殆ど開けていない奈良市の陵墓は考えにくいように思われる。

しかし実在説もあることは確かの様だ。

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by mo-taku3 | 2018-05-18 11:56 | (歴史)関西史 | Comments(2)

百人一首の「逢坂の関(旧跡)」20180504

百人一首の「逢坂の関(旧跡)」20180504



是れやこの 行くも

 かへるも 別れては

知るも

 しらぬも

  逢坂(あふさか)の関 (蝉丸)

私が初めてこの「逢坂の関」を知ったのは上のカルタからでした。
京都から大津に向かって一号線を走ると、左手にこの
「逢坂の関」の石碑が見えてくる。何度も目にしているうちにいつか行きたいと思っていたが、車を停められる雰囲気ではなかったので、電車で行くことにしたのが今回です。
地下鉄東西線で御陵(みささぎ)で京阪に乗り換え、「大谷」で降りると歩いて2・3分のところにありました。行ってみると場所ははっきりしていないようですが、石碑がありそれなりのふんいきがありました。近くには関の蝉丸にちなんで建てられた、「蝉丸神社」も寄ってきました。



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この項 <完>





by mo-taku3 | 2018-05-04 12:08 | (歴史)関西史 | Comments(0)