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カテゴリ:(歴史)関西史( 73 )

奈良「東大寺大仏殿」20200112

奈良「東大寺大仏殿」20200112



東大寺の大仏殿に5年ぶりに行ってきた。いつも近くまで行って気付くのだが、大仏での前に建った時の大きさにはいつも驚く。それほどデカイ!
さて、大仏殿とは、天平15年(7431015日に発せられた「大仏造顕の詔」から紆余曲折の中、行基が重要な役割を果たし、天平勝宝四年(751)に大仏殿が完成し、翌年4月に「大仏開眼供養会」が盛大に催された。その後、1181年と1567年の戦火で2度にわたり焼失したが、1709年に再建され、現在の建物(大仏殿)が落慶している。

東大寺については、741年(天平13年)聖武天皇の勅願によって国ごとに国分寺と国分尼寺が置かれ、東大寺を総国分寺、法華寺を総国分尼寺とした。

東大寺は国分寺として建立されたので、国家の安寧と国民の幸福を祈る道場であったが、同時に仏教の教理を研究し、学僧を養成する役目もあって、華厳をはじめ奈良時代の六宗(華厳・三論・倶舎・成実・法相・律)、さらに平安時代の天台・真言も加えた各研究所が設けられ、八宗兼学の学問寺となった。

そんな中、「廬舎那仏(東大寺大仏)」が東大寺の本尊として祀られている。


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この項 <完>





by mo-taku3 | 2020-01-12 14:45 | (歴史)関西史 | Comments(2)

国宝『彦根城』20191203

国宝『彦根城』20191203



遠路友達が寒い北海道から訪ねて来てくれたので、3日間しっかりアテンドしました。未だ腰が完治していなかったが、休み休み各所を回ってきた。
ゆっくり話も出来楽しい時間だった。
それでもこの彦根城は初めてだったようで大変喜んでいただいた。
彦根城は紅葉も終わりに近づいていたが、まだまだいい色の葉が残っていたのと、紅葉の絨毯も各所に見られました。

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by mo-taku3 | 2019-12-03 10:27 | (歴史)関西史 | Comments(2)

亀山城址と明智光秀像(亀岡)20191113

亀山城址と明智光秀像(亀岡)20191113



明智光秀の”丹波平定・統治”は信長政権下で信長の信頼を得る大きな業績となりました。その時の拠点がこの「亀山城」で京都府亀岡市にあります。「本能寺の変」の際に、光秀が出陣したのもこの城でした。

現在は史跡として残っているだけですが南郷公園に光秀の銅像が建てられていました。

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by mo-taku3 | 2019-11-13 12:22 | (歴史)関西史 | Comments(0)

聖武天皇と紫香楽宮跡(しがらきぐう)0190910

聖武天皇と紫香楽宮跡(しがらきぐう)0190910



紫香楽宮跡は、松林に覆われた丘陵地に残る、国指定の史跡です。

聖武天皇は奈良の平城京で政治を行っていましたが、天平12740)年10月末に奈良を離れ、年末には奈良の北(木津川市加茂町)とその周辺に新しい都を造り始めました。

恭仁京(くにきょう)の建設が進められている間、恭仁京から甲賀郡紫香楽村に通じる道(恭仁東北道)が開通し、天皇は紫香楽村に離宮を造り、後にこの地を都としています。そして、三つ目の宮である難波宮(今の大阪市森ノ宮周辺)を都にする準備を進め、同年2月末には正式に難波を都とする宣言をしました。

聖武天皇が遷都を考えた理由には色々な説がありますが、有力と思われるのは中国の複数都制があったのではないかということです。恭仁京は物流、難波京は外交・貿易、そして紫香楽宮は仏都(廬舎那仏の建立)ということのようです。

その仏都として造られた『紫香楽宮跡』は、緑の松林に囲まれた緩い坂の参道をたどると、金堂跡があり、背後を囲むように僧坊跡・経堂跡・鐘楼跡・塔院跡などの礎石(そせき)が並び、東大寺とよく似た伽藍配置の寺院跡であることがわかります。この寺院は、聖武天皇が紫香楽宮で大仏造立をはじめた甲賀寺跡だと考えられています。
東西90m・南北110mにわたる広い丘陵地には、建造当時の335個の礎石が残り、はるか天平時代の雅やかな雰囲気が偲ばれます。


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この項 <完>





by mo-taku3 | 2019-09-10 14:30 | (歴史)関西史 | Comments(2)

明智光秀の居城『坂本城址』20151003

明智光秀の居城『坂本城址』20151003



坂本城の遺構は住宅地と化し「行ったけど石碑や石像だけで残念だった」など、城めぐりには向かないという声がある。しかし、想像を広げれば、存分に楽しめる城下町なのだ。
国道161号沿いに、大きな坂本城址の碑が建つ坂本城址公園がある。駐車場は釣りを楽しむ人たちの車がほとんどで、城跡見学者は少ないものの坂本城跡をめぐる代表的な観光スポットでもある。
1582(天正10)年6月2日、本能寺の変により織田信長を討った明智光秀。その後、山崎で秀吉に敗れ坂本城へ戻る途中に命を落とした。坂本城は、いとこの明智左馬助光春が守るも包囲され、本丸に火を放ち光秀の妻子や自身の妻らとともに自害したと伝えられる。
坂本城落城後は、丹羽長秀や浅野長政らが城主となり再建したが、1586(天正14)年に大津城築城にともない廃城となった。


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この項 <完>




by mo-taku3 | 2019-08-29 15:36 | (歴史)関西史 | Comments(2)

明智光秀(次の大河D)の菩提寺「西教寺」20190827

明智光秀(次の大河D)菩提寺「西教寺」20190827



来年のNHK大河ドラマは明智光秀と決まったようです。
明智家の末裔である明智憲三郎氏がついに明かす衝撃の真実として出版した本がきっかけで2020年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」で主人公に選ばれたようです。
さてそれで気になったのがこの明智光秀一族の菩提寺『西教寺』であり、久しぶりに早速出かけてみました。
西教寺は滋賀県
大津市坂本にありますが、この坂本には日吉・日枝神社の総本宮の「日吉大社」もあり、また有名なのは石積みの「穴太衆」の里もあります。
西教寺は天台宗の一派、天台真盛宗の古刹で、聖徳太子の開基という説があります。丁度修行僧の修業にも出会うことができました。
本堂の広場に出る階段を上がると右手に本堂を見て、正面に明智一族のお墓が並んでいます。
また、本堂に入ることができ厳かな雰囲気を味わってきました。立派な本堂でした。


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この項 <完>





by mo-taku3 | 2019-08-27 13:33 | (歴史)関西史 | Comments(2)

百濟寺の「天下の遠望台」20160423

百濟寺の「天下の遠望台」20160423


百濟寺(ひゃくさいじ)の中腹には、「天下の遠望台」があります。
西方の借景は琵琶湖をかすめて、55km先の比叡山で、広大なパノラマ展望を望めます。
さらに西方、880km先には、往時の「百済国」がありました。
百済からの渡来人が母国を偲ぶ気持ちで「遠望台」に立つ時、両国の深い交流関係が蘇ってきます。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2018-08-29 21:52 | (歴史)関西史 | Comments(2)

平城京(奈良)の夕日20180808

平城京(奈良)の夕日20180808



時間ができたので近鉄奈良西大寺で下車し、平城京を一回りしました。
復元ができている、「朱雀門」、「大極殿」などですが夕暮れになると大極殿に架かる夕陽を見ることができ雌伏のひと時をいただきました。
もう少し暗くなると街のツバメがねぐらを求めて集団で平城京の上を通り森へ飛んでいく姿がみえました。思いがけずいいものを見た感じです。

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by mo-taku3 | 2018-08-08 19:15 | (歴史)関西史 | Comments(2)

平城京「東院庭園」20180808

平城京「東院庭園」20180808



平城宮は他の日本古代都城の宮殿地区には例のない東の張出し部を持ちます。この南半は皇太子の宮殿があった場所で、「東宮」あるいは「東院」と呼ばれていました。(今も東宮御所には皇太子がおられます。)その南東端に東西60m、南北60mの池があり、これを中心に構成されている区画が東院庭園です。
時間的に中に入ることができませんでしたが、詳しくは以下のURLをご覧ください。
https://www.nabunken.go.jp/heijo/museum/page/toin.html


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by mo-taku3 | 2018-08-08 19:00 | (歴史)関西史 | Comments(2)

平城京(奈良)の現在の様子20180808

平城京(奈良)の現在の様子20180808



奈良「平城京」に行ってきました。
平城京の復元は徐々に行われており、「朱雀門」をはじめとして「大極殿」が復元され、東院庭園・宮内省なども出来上がっております。
現在は「朝堂院」の復元工事がおこなわれていました。
これからこの平城京をどのように復元していくのか楽しみなところでありますが、広大な敷地の中に点在する建物のつながりが希薄なことや交通の便が良くないのが折角の史跡を持ちながら、あまり訪れる人が少ない要因ではないかと思います。
もっともっと平城京を知ってもらう工夫ができるのではないかと思うが・・・。

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by mo-taku3 | 2018-08-08 16:05 | (歴史)関西史 | Comments(2)