カテゴリ:(寺社)全国の神社仏閣( 20 )

浅草神社と名士碑20181112

浅草神社と名士碑20181112



皆さんは「浅草神社」というのをご存知だろうか。
実は私も今回初めてお参りしてみました。いつも浅草寺に行ったときは、雷門から入って、お参りした後、「花やしき」の方に抜けるのがいつものルートですが本堂から右にそれていくと、この神社がありました。
ここは三社祭の神社だったんですね。お祭りばかりが気になっていてこの神社のお祭りだったことを失念していました。 それで「浅草神社 三社様」とあるのが理解できた次第です。

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この項 <完>






by mo-taku3 | 2019-02-16 14:22 | (寺社)全国の神社仏閣 | Comments(2)

築地本願寺20181218

築地本願寺20181218



東京築地にある築地本願寺は浄土真宗本願寺派(西本願寺)の寺院で、住職は総本山西本願寺(京都)の門主が兼ねています。
写真にあるようにコンクリート造りの近代的というか、日本のお寺とは思えない造りになっている気がします。
本堂は参拝自由で、非常に開放的な寺院という感じです。
歴史的がものは境内の入口付近にいくつか置かれていますが、すっきりとした境内です。

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この項 <完>






by mo-taku3 | 2019-02-16 13:40 | (寺社)全国の神社仏閣 | Comments(2)

東京「水天宮」(平氏の関係)20190121

東京「水天宮」(平氏の関係)20190121



『水天宮』は文政元年(1818)港区赤羽に在った有馬藩邸に当時の藩主有馬頼徳公が領地(福岡県久留米市)の水天宮の分霊し藩邸内に分社を祀ったのがはじめです。

有馬公の領地にある久留米の水天宮は、壇ノ浦の戦で敗れた平家の女官の一人が源氏の目を逃れ久留米付近に落ちのび、一門と共に入水された安徳天皇、建礼門院(徳子:安徳天皇の母)、二位の尼(時子:清盛の妻、徳子の母)の御霊をささやかな祠をたててお祀りしたのがはじめとされており「尼御前大明神」と呼ばれていたようです。

安産にご利益があるとされ、謂れは「参拝の妊婦の方が鈴乃緒(鈴を鳴らす晒しの鈴紐)のおさがりを頂いて腹帯として安産を祈願したところ非常に安産だった」ことから人伝てにこの御利益が広まったようです。

また、その当時有馬家邸内にあった水天宮を開放したことから、水天宮の賑いを表す流行り言葉に "なさけありまの水天宮" という洒落言葉があったようです。

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この項 <完>





by mo-taku3 | 2019-01-21 14:00 | (寺社)全国の神社仏閣 | Comments(2)

相変わらず賑わう「浅草寺」境内20181112

相変わらず賑わう「浅草寺」境内20181112



浅草寺は東京で一番、観光客で混むところではないかと思う。
東京だから歴史は浅いと思ったが意外と古く、全国的にも古いお寺の一つの様だ。
浅草寺に行くと誰もが最初に行くのは「雷門」だろう。実は私もかならず詳細に眺めてくるようにしている。というのも、実は京都に住んでいる関係で古いものはよく目にするが、この提灯の作成・メンテは京都の家の近所のT提灯屋さんでやっているのがわかったからだ。この日も下からよく眺めてきた。

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この項 <完>






by mo-taku3 | 2018-12-08 15:48 | (寺社)全国の神社仏閣 | Comments(0)

金前寺(敦賀)と芭蕉の碑20160416

金前寺(敦賀)と芭蕉の碑20160416



福井県敦賀市にある金前寺(こんぜんじ)は奈良時代創建の古刹で、天平6年(736年)に聖武天皇の勅命によって泰澄大師が十一面観世音菩薩座像を刻み、寺を建立して本尊として祀ったことに始まる。
金前寺の名称は、天皇から下賜された金光明経を金櫃に納めて山に埋めたことにちなんで金ヶ崎山・金前寺と名付けられたという説と、本尊の「十一面観音菩薩」が金光を発することから名付けたとも言われている。
また記録には、古くは氣比神宮の奥の院として一帯に伽藍十二坊を有するほど荘厳であり、平安時代の弘仁2年(811年)には弘法大師(空海)が訪れたという記録もある。
中世の南北朝時代には延元元年~2年(13361337年)にわたる金ヶ崎の戦いの本宮となり、南朝方の新田義貞が後醍醐天皇の皇子・恒良親王と尊良親王を奉じて北朝方と戦い、敗走した新田義貞の長男の義顕は当山の観音堂にて尊良親王と共に自害したとされる(親王の慰霊碑あった)。
また、戦国時代にも再び兵乱の舞台となり、織田信長の天筒山攻めの兵火によって堂宇を全焼したものの、本尊の十一面観世音菩薩像は焼失を免れている。
その後、江戸時代の寛文2年(1662年)に打宅宗貞らが現在地に観音堂を再建し、元禄12年(1689年)に俳聖・松尾芭蕉が「月いづこ 鐘は沈る 海の底」と詠み、宝暦11年(1761年)に鐘塚を建立したとされる。
近代以降は、昭和20年(1945年)712日の敦賀空襲によって一切を焼失したが、昭和63年(1988年)に信徒の浄財によって本堂を再建して現在に至る。


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この項 <完>

by mo-taku3 | 2018-08-29 21:46 | (寺社)全国の神社仏閣 | Comments(2)

土佐神社(土佐一宮)と鴨社(高鴨神)とは?20171213

土佐神社(土佐一宮)と鴨社(高鴨神)とは?20171213



四国霊場30番札所である「善楽寺」に参拝した折、隣にこの土佐神社があった。
この神社は古事記にも続日本紀にも登場登場しており、しかも内容が異なる記述となっているミステリアスな神社のように思えてくる。
しかし共通しているのは、鴨社の総本宮である奈良御所市にある「高鴨神社」と深い関係があるようだ。
土佐神社のホームページの由緒には、
土佐神社の創祀については、明らかでありませんが、境内東北方の礫石と呼ばれる自然石を磐座として祭祀したものと考えられ、古代に遡ると言われています。
延喜の制が布告された平安時代、醍醐天皇の御代には式内大社に列せられ都佐坐神社と称され、特に皇室の崇敬あつく勅使の参向もしばしばあり、朱雀天皇の御代天慶三
(940)年には、神階を正一位に進ませられています。
鎌倉時代初頭には神仏習合時代に入り、土佐国総鎮守一宮とされました。当社・神宮寺・善楽寺にて一宮を形成、土佐高賀茂大明神と称えられました。
室町時代には、武門の崇敬あつく、正親天皇の御代元亀元
(1570)年には、長宗我部元親が、本殿、幣殿、拝殿を再興、安土桃山時代後陽成天皇の御代、慶長六(1601)年には、山内一豊が封をこの地に享けると共に以前の社領を免許し、二代忠義に至って摂社、末社を始め、鳥居、楼門、鼓楼を増築して、土佐の国最上の祈願所としました。
明治元年、神仏分離令により、永年続いた神仏習合時代が終わり、明治四年には土佐神社と改称、社格を国幣中社に列しました。戦後、昭和二十一
(1946)年官国幣社の制度が廃止され、現在では神社本庁の別表神社とされています。」とあります。

ここには載っていないが、雄略天皇の時代葛城氏との確執があったのか、葛城一族と目される鴨氏を土佐に流したのではないかとも思われる。この時鴨氏の一派は大和を追われ、京都・上賀茂に鴨社を建てたのではないかと、勝手に想像してみた。
また御所市に残った鴨族は厳しい環境下にあったように想像する…。
(調査は今後も進めてみたいと思っている。)

祭神は味鋤高彦根神と一言主神とあるが、鴨氏により古来より大和葛城の里にて祀られる神である。

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この項 <完>





by mo-taku3 | 2017-12-13 10:30 | (寺社)全国の神社仏閣 | Comments(2)

清正公堂(覚林寺)20170922

清正公堂(東京;覚林寺)20170922


覚林寺は、小湊誕生寺十八世可観院日延が開山となり寛永8年(1631)に創建したといいます。可観院日延は、朝鮮の王族出身ですが、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に加藤清正に捕えられ、後小湊誕生寺十八世となり、当地に隠居、当寺を創建したといいます。当寺では加藤清正を祀った清正公堂が著名で、毎年五月四日五日の両日に行われる清正公大祭には人生の苦悩に打ち勝つお守りとして「しょうぶ入り御勝守」が授与されるという他、軍神の毘沙門天を祀っており、山手七福神の一つとなっています。


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この項 <完>





by mo-taku3 | 2017-09-22 16:30 | (寺社)全国の神社仏閣 | Comments(2)

泉岳寺と赤穂浪士20170922

泉岳寺と赤穂浪士20170922



赤穂浪士の泉岳寺に行ってきました。
30年位前の印象とかなり違って、きれいに整備されたせいか、かなり広く感じました。平日でもかなりの人で、外人さんも多くみられました。

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この項 <完>






by mo-taku3 | 2017-09-22 15:30 | (寺社)全国の神社仏閣 | Comments(2)

寅さんの柴又帝釈天20170528

寅さんの柴又帝釈天20170528


寛永年間(1629年)の開山とされ、柴又七福神の一つ毘沙門天としても有名。安永8年(1779
年)に、本堂改修中の梁上から日蓮聖人作とされる帝釈天のご本尊が発見された。その日が庚申(かのえさる)であったことから、庚申の結縁の始まりとされ、庚申の日には縁日が行われ、現在も「庚申まいり」には大勢の人出で賑わっている。

それよりもこの帝釈天を有名にしたのは何といっても寅さんの「男はつらいよ」でしょう。

ロングランの映画で、渥美清の寅さんと一作ごとのマドンナ。それと妹さくらの倍賞千恵子などが繰り広げる悲喜劇。

ロケも実際のこの帝釈天と参道のお店(現存の高木屋老舗)とフル活用されている。

その帝釈天に行ってきた。

京成上野駅から京成高砂で3駅しかない京成金町線に乗り換え柴又駅に着いた。

柴又駅で昔からの仲間二人と待ち合わせしたが、寅さんとさくらさんが出迎えてくれた。

ちょっと驚いたのはここは日蓮宗のお寺で正式名称は経栄山 題経寺ということだった。

大変な人出であった。


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この項 <完>





by mo-taku3 | 2017-05-28 11:01 | (寺社)全国の神社仏閣 | Comments(1)

阿波一宮「大麻比古神社」20170430

阿波一宮「大麻比古神社」20170430


四国霊場八十八ヶ所の一番札所「霊山寺」を出てすぐにこの神社がある。

大麻比古神社(おおあさひこじんじゃ)は、阿波一宮神社で、通称「大麻さん」とも呼ばれているようだ。
この神社は、以前は阿波国・淡路国両国の総鎮守としてあったが、現在は徳島県の総鎮守として信仰を集めている。
この神社の境内は大麻山県立自然公園に指定されており大きな木々に囲まれ、特に境内のある神木「大楠」は樹齢1000年以上と言われ鳴門市の天然木根物に指定されている。
さて、社伝によれば、
「神武天皇の御代、天太玉命の御孫の天富命が阿波忌部氏の祖を率いて阿波国に移り住み、麻・楮(こうぞ)の種を播殖してこの地を開拓、麻布木綿を生産して殖産興業と国利民福の基礎を築いたことにより祖神の天太玉命(大麻比古神)を阿波国の守護神として祀った。」
のが始まりだと伝えられている。


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この項 <完>





by mo-taku3 | 2017-05-01 10:40 | (寺社)全国の神社仏閣 | Comments(2)