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カテゴリ:(寺社)全国の神社仏閣( 26 )

金毘羅宮*奥社(嚴魂神社)への道20190509

金毘羅宮*奥社(嚴魂神社への道20190509



本宮をお参りして本宮からの素晴らしい眺めを見て一服すると、何人かが奥社の方に上がっていくのに刺激されて、よし!行こうかということになり、家内と一緒に又山登りを始めました。
奥社(奥の院)は階段で600段弱あることがわかりこれまたビックリ。初めてのトライとなりました。途中で何人かの方たちとも声を掛け合い、今度はしっかり休みながら登り切りました。
途中白峰神社があり、これは崇徳上皇がここに登ったことからつくられたようで、この他、菅原神社や常盤神社などもありました。
奥社は「巖魂神社」といいます。ここからの眺めもまた、素晴らしいものがあり、上ってきたかいがありました。また、横の岸壁には、天狗や烏天狗が岩に祀られておりました。金比羅さんを十分堪能させていただきました。
ありがとうございました。

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この項 <完>






by mo-taku3 | 2019-05-09 12:32 | (寺社)全国の神社仏閣 | Comments(0)

金毘羅宮*晴れて本宮参拝20190509

金毘羅宮*晴れて本宮参拝20190509



長い階段を昇りつめ、やっとの思い?で本宮までたどり着いた感がありました。
本殿は堂々としておりますが、特別何かを表現している感じは無く、淡々と気持ちよくお参りができました。
金毘羅宮の祭神は「大物主命(おおものぬしのみこと)」で、奈良の日本で最も古い神社の一つである「大神神社」の祭神と同じです。大国主命の和魂といわれ、出雲系の神様になります。(天照系と出雲系の色々な葛藤がありますがここでは省きます。)由緒については幾つかの説があるようですが、
大物主命や役小角(神変大菩薩)などが資料の中に出てくることから、歴史はかなり古いと思われます。
本殿の隣に大物主命の奥さんの「美穂津姫社」が並んであります。
金比羅さんは船関係の無事を祈る社として、いつの日からか敬われてきましたが、
美穂津姫社の隣の絵馬殿には沢山の船関係の絵馬などが並んでいます。

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この項 <完>





by mo-taku3 | 2019-05-09 12:00 | (寺社)全国の神社仏閣 | Comments(0)

金毘羅宮*本堂までの諸堂20190509

金毘羅宮*本堂までの諸堂20190509



金比羅さんには沢山のお堂や建物がありますが、その中でいくつか取り上げてみました。
坂の中腹には、祓戸社と云うのがあり、祭神は瀬織津姫といい伊邪那岐神の御子で「新道の神髄、罪穢を祓え清め給う神様で人びとはここで祓えを行い参詣する」とあり、しっかりお参りしていくことが必要のようです。(小さな社なので、疲れで気が付かないことがあるかもしれませんが…。)
また、旭社という大きなお堂が本堂までに近い、628段の所にあります。このお堂は総ヒノキ材で作られているようで、国の重要文化財になっているそうです。この金毘羅さんも神仏分離令の影響を受けており、このお堂は分離前の「象頭山松尾寺金光院時の金堂」だったそうです。森の石松や浪曲などにも登場するお堂です。
その他にも沢山のお堂があり、円山応挙によって描かれた、「襖絵90面」の書院(表・裏書院)などの重要文化財の建物もあります。

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この項 <完>






by mo-taku3 | 2019-05-09 11:15 | (寺社)全国の神社仏閣 | Comments(0)

金毘羅宮*長い階段の参道20190509

金毘羅宮*長い階段の参道20190509



金毘羅宮へのお参りは、長い階段を上ります。
私は2回目の参拝ですが前回(40年前)は本宮までの785段でしたが、今回がさいっごの参拝と思い、奥社までの1368段をのぼってきました。
本宮まで行き、奥社までと少し気軽に考えていきましたが、何とここが最大の難所に感じました。思い残すことなくお参りできたことはうれしいことでした。

「のど元過ぎれば」的な感じはありますが、今考えて見ると階段だけではなく途中途中に平らな長めの道やお参りするお堂などもあり、脊柱管狭窄症の私でも何とか行けましたので、気負わず行きますと意外と誰でも行けるような気がします。

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この項 <完>






by mo-taku3 | 2019-05-09 11:00 | (寺社)全国の神社仏閣 | Comments(0)

源平屋島の戦い「琴弾八幡宮」と「観音寺」20190506

源平屋島の戦い「琴弾八幡宮」と「観音寺」20190506



「琴弾八幡宮」は琴弾公園入口の大鳥居から、381段の石段を上がると本殿があります。

謂れによると、大宝3年(703年)、嵐の過ぎ去った夜に、海岸に一隻の船が現れ、妙なる琴の調べにうっとりした人々が、琴の主を船とともに山頂にひきあげ、神殿を建て、「琴弾八幡宮」を祀ったといわれています。

その後、大同2年(807年)四国を行脚中の空海が参拝し、琴弾八幡の本地仏である阿弥陀如来を描いて安置し、神仏習合の神社となった。その後、四国霊場68番札所に定められ納経は別当の観音寺で行われた。

中世には源氏の崇敬を受け、源頼義は「前九年の役」を前に使いを立てて願文を納め、その子の義家は社殿を造営し、神馬を奉納したという。また、源義経が源平合戦の勝利祈願をしたことでも知られ、今も義経参詣の願文、神馬の奉納などの史実、史跡が残っています。

元々の神仏習合の神社(琴弾神社と観音寺)だったが、明治の神仏分離により、本地・阿弥陀如来画像(絹本著色琴弾八幡本地仏像)は観音寺境内の西金堂に移され、琴弾神社と改名され、観音寺の別当職(神宮寺)は解消された。その後の第二次大戦後、琴弾八幡宮として復称されています。

勝負の神様ともいわれ、受験戦争に勝ちたい学生など、多くの参拝者が訪れます。


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下の2枚の写真は、四国札所68番の「観音寺」の山門と薬師堂ですが、ここに伺う前に琴弾天満宮にいきました。
不思議だったのは、神社の鳥居のすぐ後ろに山門がありました(2枚目の写真)が、きっと神仏習合時の名残ではないかと思っておりました。案の定その通りでしたがこの神社の別当寺(神宮寺)は「観音寺」だったことが、後で調べてわかりました。色んな所で影響が見られますが、廃仏棄却大変なことだったんですね。


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この項 <完>






by mo-taku3 | 2019-05-06 17:30 | (寺社)全国の神社仏閣 | Comments(0)

王子神社(東京・王子)20190328

王子神社(東京・王子)20190328



祭神は伊邪那岐命・伊邪那美命・天照大御神・速玉之男命・事解之男命・の五柱で、総称して「王子大神」と呼び、紀州(和歌山県)熊野三社権現(本宮・那智・新宮)の御子神の呼称で、世界遺産にも登録された熊野古道には多くの王子神が祀られていたといわれます。

源義家の奥州征伐の折、当社の社頭にて慰霊祈願を行い、甲冑を納めた故事も伝えられています。

その後、元亨2年(1322年)、領主豊島氏が紀州熊野三社より王子大神をお迎えして、改めて「若一王子宮」と奉斉し、熊野にならって景観を整えたといわれています。それよりこの地は王子という地名といわれています。
戦国時代、当地の領主となった小田原北条氏も当社を篤く崇敬し、徳川時代に入ると初代家康公は天正19年(1591年)、朱印地二百石を寄進し、将軍家祈願所と定め、それより代々将軍の崇敬篤く、「王子権現」の名称で江戸名所の1つとなります。

特に八代吉宗公は紀州徳川家の出自で、この地に紀州ゆかりの当社があることを喜び、元文2年(1737年)に飛鳥山を寄進、桜を多く植えて江戸庶民遊楽の地としています。

また、戦前は「太田道灌雨宿りの椎」と伝えられる巨木を始め、多くの樹木が茂っておりましたが、戦災で東京都指定天然記念物の大イチョウを残っただけでした。

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この項 <完





by mo-taku3 | 2019-03-28 11:57 | (寺社)全国の神社仏閣 | Comments(0)

浅草神社と名士碑20181112

浅草神社と名士碑20181112



皆さんは「浅草神社」というのをご存知だろうか。
実は私も今回初めてお参りしてみました。いつも浅草寺に行ったときは、雷門から入って、お参りした後、「花やしき」の方に抜けるのがいつものルートですが本堂から右にそれていくと、この神社がありました。
ここは三社祭の神社だったんですね。お祭りばかりが気になっていてこの神社のお祭りだったことを失念していました。 それで「浅草神社 三社様」とあるのが理解できた次第です。

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この項 <完>






by mo-taku3 | 2019-02-16 14:22 | (寺社)全国の神社仏閣 | Comments(2)

築地本願寺20181218

築地本願寺20181218



東京築地にある築地本願寺は浄土真宗本願寺派(西本願寺)の寺院で、住職は総本山西本願寺(京都)の門主が兼ねています。
写真にあるようにコンクリート造りの近代的というか、日本のお寺とは思えない造りになっている気がします。
本堂は参拝自由で、非常に開放的な寺院という感じです。
歴史的がものは境内の入口付近にいくつか置かれていますが、すっきりとした境内です。

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この項 <完>






by mo-taku3 | 2019-02-16 13:40 | (寺社)全国の神社仏閣 | Comments(2)

東京「水天宮」(平氏の関係)20190121

東京「水天宮」(平氏の関係)20190121



『水天宮』は文政元年(1818)港区赤羽に在った有馬藩邸に当時の藩主有馬頼徳公が領地(福岡県久留米市)の水天宮の分霊し藩邸内に分社を祀ったのがはじめです。

有馬公の領地にある久留米の水天宮は、壇ノ浦の戦で敗れた平家の女官の一人が源氏の目を逃れ久留米付近に落ちのび、一門と共に入水された安徳天皇、建礼門院(徳子:安徳天皇の母)、二位の尼(時子:清盛の妻、徳子の母)の御霊をささやかな祠をたててお祀りしたのがはじめとされており「尼御前大明神」と呼ばれていたようです。

安産にご利益があるとされ、謂れは「参拝の妊婦の方が鈴乃緒(鈴を鳴らす晒しの鈴紐)のおさがりを頂いて腹帯として安産を祈願したところ非常に安産だった」ことから人伝てにこの御利益が広まったようです。

また、その当時有馬家邸内にあった水天宮を開放したことから、水天宮の賑いを表す流行り言葉に "なさけありまの水天宮" という洒落言葉があったようです。

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この項 <完>





by mo-taku3 | 2019-01-21 14:00 | (寺社)全国の神社仏閣 | Comments(2)

相変わらず賑わう「浅草寺」境内20181112

相変わらず賑わう「浅草寺」境内20181112



浅草寺は東京で一番、観光客で混むところではないかと思う。
東京だから歴史は浅いと思ったが意外と古く、全国的にも古いお寺の一つの様だ。
浅草寺に行くと誰もが最初に行くのは「雷門」だろう。実は私もかならず詳細に眺めてくるようにしている。というのも、実は京都に住んでいる関係で古いものはよく目にするが、この提灯の作成・メンテは京都の家の近所のT提灯屋さんでやっているのがわかったからだ。この日も下からよく眺めてきた。

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この項 <完>






by mo-taku3 | 2018-12-08 15:48 | (寺社)全国の神社仏閣 | Comments(0)