石龕寺(せきがんじ)の縁起 (石龕寺駒札より)は、
寺伝によると、用明天皇の丁未の年(587年)聖徳太子の開基と伝えられ、聖徳太子が深く帰依した毘沙門天を本尊としている。
鎌倉から室町にかけて隆盛、足利尊氏とその子義詮がこの地に身を寄せたことが記されており、当寺が足利氏とゆかりが深い事が伺える。
その後このお寺も他の古刹と同じように、明智光秀の丹波侵攻(16世紀末)の際、山門を除いて伽藍悉く灰儘に帰しており、以来歴代住職・檀家や信徒の尽力により復興されてきた。
寺号の「石龕(せきがん)」とは、仏像などを安置する石窟を意味する。本堂から登ること約800mの先に奥の院があり、その石窟が石龕寺の寺号の由来となっているという。慧日寺は長い杉並木の参道であったが、ここ石龕寺は常勝寺と同じく長い階段の上に本堂がありその左手に薬師堂があった。
ここの本尊は「毘沙門天王」である。














この項 <完>
▲ by mo-taku3 | 2018-07-18 14:37 | (巡礼)その他 | Comments(2)












































