カテゴリ:(紹介記事)京都( 150 )

醍醐寺「霊宝館:本館・平成館」20181005

醍醐寺「霊宝館:本館・平成館」20181005



醍醐寺霊宝館とは、醍醐寺に伝わる「寺宝の保存と公開」を目的として昭和10年に開館した施設です。昭和541979)年に新収蔵庫3棟が、平成132001)年には本館の裏に平成館が開館しました。

醍醐寺の寺宝の大半(10万点)が、この霊宝館で保管されています。

平成元年(1989)~平成25年(2013)までに、醍醐寺聖教類の54869,378点が国宝に認定され、40,676点が重要文化財に指定されています。醍醐寺は日本最大級の文化財保有数を誇ることになったことも、霊宝館の新築への理由となったようです。
外観は白亜の会館という感じで、お城の御殿のような感じです。

醍醐寺はたびたび戦火に見舞われ、応仁の乱では五重塔を除いて灰塵に帰すなど、一見寺宝も焼失?かと思われますが、一部はしっかり持ち出されていたようです。

平成館には不動明王を中心に、明王五体が展示されています。

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この項 <完>





by mo-taku3 | 2018-10-05 15:00 | (紹介記事)京都 | Comments(1)

醍醐寺「三宝院庭園」20181005

醍醐寺「三宝院庭園」20181005



醍醐寺三宝院の庭園は国の特別史跡・特別名勝となっています。

この庭園は「醍醐の花見」の際に秀吉自らが設計した庭で、室町時代より歴代権力者によって引き継がれてきた「天下の名石・藤戸石」を8年間しか存在しなかった幻の城郭「聚楽第」から運びこませるほどの力の入れようだったようです。
当初は座観式庭園だったようですが、秀吉亡き後も当院では庭師を入れ、秀吉の構想を更に理想的な庭園に仕上げる為に、20数年もの作庭を続け、ようやく池泉回遊式庭園として完成させてきました。


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この項 <完>





by mo-taku3 | 2018-10-05 14:45 | (紹介記事)京都 | Comments(1)

青蓮院門跡・知恩院の「三門と黒門」20181002

青蓮院門跡・知恩院の「三門と黒門」20181002



平安神宮から清水寺まで続く「東山観光ストリート」(仮称)のその一部(青蓮院から知恩院)を散策してきた。
青蓮院では名物の年代物の樟が強風にやられたようで、かなり痛めつけられていた。
この樟は大きな根が沢山露出していて、勿論枝も大きく広げていたが、写真のような状態だった。
続けて知恩院に向かった。知恩院の北側に当たる「黒門」から中に入る。ここは徳川政権が京都守護において、有事の際に対応できるよう城構えとなっている。特にこの黒門から北門への道や三門を抜けて御影堂までの急な階段が象徴的である。
しかし、明治維新の下級武士による日本初の「革命」には意味がなかったようです。

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この項 <完>






by mo-taku3 | 2018-10-02 13:50 | (紹介記事)京都 | Comments(1)

保津川と旅館の送迎(星のや)20180923

保津川と旅館の送迎(星のや)20180923



嵐山は、京都の中でも特に厳しい景観保護規制がある地域ですが、過去・現在、この景観の中、春は桜、夏は鵜飼、秋は紅葉と平安時代から風流な舟あそびを楽しんできた場所です。ここには百人一首にも出てくる小倉山や、保津川下りなどもある。
この保津川下りを可能にしたのは、角倉了以で難工事の末、船の利用を可能にしています。

さて、「星のや」京都は角倉了以が邸宅を構えていた場所に、100年前に建てられた旅館を現代のスタイルにアレンジしたそうです。

お客様の送迎はこれも風流な屋形船で行う趣向を持っており、このが下記の写真です。
ここは秋には全体が真っ赤に染まり見事な景観を見せてくれます。


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(紅葉の保津川渓谷)参考まで。

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この項 <完>





by mo-taku3 | 2018-09-23 16:10 | (紹介記事)京都 | Comments(2)

落柿舎(らくししゃ)と柿の木20180923

落柿舎(らくししゃ)と柿の木20180923



嵐山から嵯峨野に入り竹林を抜けて、トロッコ電車の嵐電「嵐山」駅前を左折して300m程で左手に、常寂光寺があります。それをみぎてにしばらく行くと、この落柿舎が見えてきます。
落柿舎は向井去来の庵と伝えられていますが、何度も拝見しており中には入らずです。
落柿舎は柿が熟して落ちると書きますが、未だ柿は青々としており、ちなみに「青柿舎」というところでした。

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この項 <完>






by mo-taku3 | 2018-09-23 15:39 | (紹介記事)京都 | Comments(2)

台風で欄干が壊れた「嵐山渡月橋」20180923

台風で欄干が壊れた「嵐山渡月橋」20180923



台風20・21号と北大阪地震により9月23日現在未だに大阪府の一部だ停電が続いています。これは台風の強風によるもので大阪は風速50m以上というかってない状態でした。そのため、盛んにTVでも報道されていましたが、タンカーが関西空港連絡橋にぶつかり双方とも大破という前代未聞の状態が発生しました。
また電柱倒壊の被害が大きくこれが電気の全面復旧を妨げているようです。
京都でも古木の倒木の被害が甚大で、それだけでなく観光名所嵐山の渡月橋の下流側欄干が全面的に倒れる被害がありました。
もう2週間以上過ぎているにもかかわらず、復旧がなされていない状態でした。
観光客が増える紅葉の季節に間に合うように復旧が臨まれます。

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この項 <完>






by mo-taku3 | 2018-09-23 14:00 | (紹介記事)京都 | Comments(2)

京都御苑「拾翠亭」の一般開放20180915

京都御苑「拾翠亭」の一般開放20180915



九条家跡は堺町御門と間之町口の間にお茶室と庭園が遺されています。九条家の屋敷は宮家・公家の明治新政府からの東京移住命令により、東京に移築されました。

間之町口を入ってすぐ右に行くと、「拾翠亭(しゅうすいてい)」があります。
拾翠亭は五摂家(
近衛家、九条家、二条家、一条家、鷹司家)の一つであった九條家の現存する唯一の建物で、およそ200年前の江戸時代後期に建てられた、伝統と歴史のある貴重な建物です。

拾翠亭の玄関を入ると畳の茶室があり、その奥にも三畳の茶室があります。

二階には和室があり、欄干で囲われた濡れ縁も有り、二階から見た眺めは見事な庭園を楽しむことが出来ます。

拾翠亭の前面に広がる池は九條池と呼ばれており、1778年(安永7)頃に、東山を借景とし、拾翠亭からの眺めを第一につくられたといわれています。

茶室横には手水鉢があり、池に架かった高倉橋とのバランスも素晴らしい。
橋の石脚は400年前の三条大橋、五条大橋のものが転用されたようです。

庭の中に四阿が作られています。丸窓と角窓の組み合わせの休憩所となっています。

一般公開や貸し切り利用などは、下記をご覧ください。

http://fng.or.jp/kyoto/service/shusui-tei.html



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(五摂家とは)

五摂家とは、藤原北家の流れで、摂政・関白を出す五家(近衛,九条,二条,一条,鷹司の各家)をいう。

平氏政権のもとで近衛基通が摂政に推され、ついで鎌倉幕府によって九条兼実が摂政にあげられ、武士の政治的圧力に左右される状況となり、藤原氏の嫡流は基実(もとざね)の長子基通(近衛)と、兼実(九条)の2流に分かれた。

その後、兼実の孫道家(みちいえ)は朝廷・幕府の間に勢威を振るい、教実(九条)、良実(二条)、実経(一条)と相次いで摂関となった。ついで摂政となった近衛兼経は嗣子(しし)基平が幼少であったので上表して弟兼平(鷹司(たかつかさ))に摂政を譲り、以降はこれら5家によって摂政・関白は回り持ちとなる。

五摂家の確定した時期は、兼平が摂政となった1252年(建長410月とされる。











この項 <完>





by mo-taku3 | 2018-09-15 11:20 | (紹介記事)京都 | Comments(2)

修学院離宮の風景・眺望20180906

修学院離宮の風景・眺望20180906



敷地は上・中・下の離宮(御茶屋)のほか、周囲の山林や水田も含めて545千平方メートルに及んでいます。

上・中・下の離宮の間に広がる、実際に耕作されている水田をも風景に取り入れていると言われており、この水田は新しく昭和39年(1964年)に宮内庁が買い上げ、地元農家と契約を結んで耕作を依頼しているとのことです。稲の刈入れが始まっていました。

上・中・下の離宮の間を結ぶ松並木の道は、元々はあぜ道であり後水尾上皇はそれを歩いておられたといわれています。しかし、明治18年(1885年)の中離宮併合後(中離宮は、離宮造営と同じころ後水尾上皇の皇女の御所として造営されたもの)は、明治天皇の行幸に備えて拡幅整備し、松を植栽して今の形になったそうです。

離宮は高低差を上手く取り入れ、素晴らしい眺望を見せてくれています。

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この項 <完>





by mo-taku3 | 2018-09-06 14:10 | (紹介記事)京都 | Comments(2)

修学院離宮の施設20180906

修学院離宮の施設20180906



下離宮には池泉観賞式庭園のなかに、後水尾院の御座所となった「寿月観」が建ち、後水尾上皇行幸時の御座所となった建物です。
当初の建物は岩倉殿(顕子内親王)の山荘から移築したものであったが、享保年間(18世紀前半)に失われ、文政7年(1824年)に再建ています。
棚の上の天袋小襖には鶴、下の地袋小襖には岩に蘭が描かれています。西側の二の間境には岸駒筆の「虎渓三笑」の襖絵があります。

中離宮は、後水尾上皇の第8皇女・光子内親王のために1668年(寛文8年)造営された朱宮(あけのみや)御所が前身です。

「楽只軒」は前述の朱宮御所の一部で、1668年(寛文8年)頃の造営です。書院造の客殿は一ノ間の「霞棚」は、「桂離宮の桂棚」、「醍醐寺三法院の醍醐棚」とともに「天下三棚」として知られています。

上離宮は、巨大な人工池の浴龍池(よくりゅうち)と大刈込を中心とした壮大な庭園で、杮葺の御成門から石段を上った所に「隣雲亭」が建っています。ここは離宮内の一番の高台でここまで登ると眼下に「浴龍池」、遠方に借景の山々を望む壮大で見事な風景が広がっています。

浴竜池には中央の中島のほか、2つの島があり、北側に三保島、南側には万松塢(ばんしょうう)です。中島には東岸から楓橋、北岸から土橋が架り、ともに木橋である。中島と万松塢の間には石橋の千歳橋が架かっており、宝形造屋根の頂部には金銅の鳳凰が立っている。

「隣雲亭」は、池を眺望するための簡素な建物で、床(とこ)、棚などの座敷飾りはなく、装飾は欄間の花菱文と釘隠にみられる程度です。

「窮邃亭」は唯一、創建当時のものとされている。大きい中島の上に建ち、屋根には切子頭の宝珠を乗せています。軒下の「窮邃」の額は後水尾上皇の筆です。



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この項 <完>





by mo-taku3 | 2018-09-06 14:00 | (紹介記事)京都 | Comments(2)

修学院離宮の見学20180906

修学院離宮の見学20180906



京都の宮内庁管轄の施設の一つ「修学院離宮」に初めて行ってきました。
空きがあれば当日でもOKとのことでしたので聞いてみると台風の後でキャンセルが沢山あったのか、簡単に入ることができました。(ただし身分を証明するものが必要です

ここは広大な敷地を有しておりますが、これは以前からの敷地に加えて景観を崩しそうな場所をで明治
以降買い増しして今の広さになったとのことでした。
感想としてはどうしても以前行った「桂離宮」と比較しますので期待したほどで
もありませんでしたが、それを言っては贅沢でしょうね、やはり素晴らしい所でした。

修学院離宮は京都市左京区修学院の比叡山麓にある皇室関連施設で私は「叡山電車:修学院」から20分位行きましたが、坂道なので次の八幡駅の方がいいかもしれません。
造られたのは17世紀中頃で、後水尾上皇の指示で造られた離宮です。
そしてここの造りは、谷川を堰き止めた人工池を中心とした、「下離宮」、「中離宮」、「上離宮」の3つで構成された広大な庭園と建物からなり、更にそれを取り巻く広大な森、山、田畑が美しい景観を作り出していました。
ここは桂離宮・京都御所・仙洞御所とならび、王朝文化の美を示すものといわれています。

現在はネットでの予約も受け付けているようで早めの予約
をお勧めするとのことでした。どうぞお出かけください。


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この項 <完>





by mo-taku3 | 2018-09-06 13:30 | (紹介記事)京都 | Comments(2)