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カテゴリ:(紹介記事)京都( 276 )

千本釈迦堂「阿亀(おかめさん)伝説」20200318

千本釈迦堂「阿亀(おかめさん)伝説」20200318



ここでいう「阿亀(おかめ)さん」というのはこの本堂を建てた大工の棟梁「長井飛騨匠守高次」の妻で、本土建設で悩んでいた夫を助けた内助の功を称えた銅像です。夫の苦労を自分の命を願掛けした結果、夫の苦悩が解消して、自らの命を絶ったことを悼んで祀られたようです。
それ以降、
阿亀の御幣を祀って建物が造られるようになったようです。またおかめ人形が多く造られ、本堂右手には沢山のおかめ人形が陳列されています。
(*現在は本堂内の写真は禁止されていますが、4枚目以降の写真はかなり以前に移したものを使用しています。)


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この項 <完>





by mo-taku3 | 2020-03-18 11:20 | (紹介記事)京都 | Comments(0)

清水寺への参道「茶わん坂」20200312

清水寺への参道「茶わん坂」20200312



茶わん坂はあまり清水道としては効きなれないかもしれませんが、混まないで清水寺に上がる時や駐車場が混雑しているときは穴場となります。
この辺りで焼き物が始まったのは、一説によると聖武天皇の頃といわれています。随分前からなんですね。これが京焼(清水焼)となったようです。

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清水寺への参道「茶わん坂」20200312_e0237645_17411652.jpg

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この項 <完>






by mo-taku3 | 2020-03-12 14:00 | (紹介記事)京都 | Comments(0)

京都「五条坂のお店2店」紹介20200312

京都「五条坂のお店2店」紹介20200312



「五条坂」というのは鴨川五条から緩やかな坂道が続く、東山大路までのことですが、この辺一帯はは清水焼(京焼)の窯元やお店が並んでいるところで、人気があるらしく外人観光客の多い所です。しかし、近頃は観光客向けの食べ物のお店など色々なお店が並んでいます。
その中で目に付いたお店を二軒ご紹介します。
一軒目は全国的にも有名な「五建ういろ」のお店で、ういろ以外にも観光客向けと思われる、スウィーツが並んでいました。
もう一軒は「富田工芸」のギャラリーショップです。ここは元々位牌を造る仏師だったそうですがしゃれたものが並んでました。

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この項 <完>






by mo-taku3 | 2020-03-12 13:00 | (紹介記事)京都 | Comments(2)

京都上京区「三本木通を歩く」20200309

京都上京区「三本木通を歩く」20200309



京都の東三本木通を歩いていると丸太町辺りでこの立命館創設時の仮校舎跡がありました。資料によると、

「1869年、西園寺公望が私塾立命館を創設した。しかし、京都府庁(太政官留守官)の差留命令により1年弱で閉鎖された。西園寺の秘書官であった中川小十郎が西園寺の意志を継ぎ、1900年に向学心を持つ勤労青年のために勉学の機会を与えるとともに、京都帝国大学教員の経済支援を兼ねた夜間学校として京都法政学校を設立。京都市上京区東三本木丸太町にあった料亭「清輝楼」(「吉田屋」の近隣にあった)を仮の校舎とした。下の写真がそれである。

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頼山陽書斎山紫水明處」跡

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木戸孝允旧邸。現在は観光旅館となっている。

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舎蜜局(セイミキョク)跡。

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この項 <完>





by mo-taku3 | 2020-03-09 14:45 | (紹介記事)京都 | Comments(2)

鴨川の「鴨川公園と亀石」20200309

鴨川の「鴨川公園と亀石」20200309



京阪電車の今日の終点は「出町柳駅」ですが、出町柳から今出川通というのが西に延びています。それより少し下に賀茂川と高野川の合流地点があり、そこから下流が「鴨川」となります。その合流地点の所の突端を「鴨川公園」といいますが、昔はこの合流地点は洪水に悩まされていたところで、そのため数々の治水工事が行われてきました。その工事の一つに、この段差の少ない場所に水流を減少させるため大きな石が、賀茂川・高野川それぞれを横断する形で水中に設置されています。その石が亀の形をしており、水流の少ない時には、亀石の上を渡っている姿が見られます。我々も今回チャレンジしてみました。

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鴨川の「鴨川公園と亀石」20200309_e0237645_21100369.jpg


ここは景色の良い所で、遠くの山は比叡山です。ここには写っていませんが、下の写真の右手の方に、大文字山があります。毎年8月16日の夜は大文字の送り火があり、鴨川公園を始めこの辺一帯は大勢の人で埋まります。


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この項 <完>






by mo-taku3 | 2020-03-09 14:00 | (紹介記事)京都 | Comments(2)

軟式野球発祥の地モニュメント20200309

「軟式野球発祥の地」モニュメント20200309



ここに写っている少年の像が「軟式野球発祥の像」です。この同じ像はほかに北の野球場にも設置されてます。もう、これを覚えている方も少なくなったと聞いております。大事に保存したいものですね。

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この項 <完>






by mo-taku3 | 2020-03-09 08:30 | (紹介記事)京都 | Comments(2)

高瀬川舟入と京都ホテル辺りの様子20200302

高瀬川舟入辺りの様子20200302



京都御苑の南側の丸太町通から、鴨川西岸の河原散歩道を南に下って二条大橋に出て右に木屋町通がある。この二条木屋町の角に島津製作所の発祥の地がある。現在は「島津製作所創業記念資料館」となっている。ちょっと寄って行こうと思い正面に回ると、残念ながら新型ウイルス対策として休館となっていた。ここにも影響が出ている。

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方面のすぐ左手一帯は、下の写真の高瀬川を開闢した「角倉了以邸」があったとあり、その西奥は日本銀行京都支店となっている。
ここから桃山時代に造られた高瀬川(運河)が始まっている。

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高瀬川の始まり「一之舟入」跡がある。ここに鴨川の側流として流れている「みささぎ川」の二条大橋近辺から高瀬川に水を引いている。

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上の画は「がんこ二条苑」とあるが、下の説明にあるように元々は角倉了以の別荘だったところで、その後井上馨の手に渡りさらに何人かの手を経て現在は大岩亭の持ち物の様だ。

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舟入は結構広い。

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舟入沿いに風情のあるお店が並んでいる。

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この項 <完>






by mo-taku3 | 2020-03-02 15:15 | (紹介記事)京都 | Comments(2)

京都高瀬川沿いの花木20200224

京都高瀬川沿いの花木20200224



高瀬川沿いは木屋町通となっています。これは、高瀬川の目的は方広寺の資材(主に材木)を運ぶためだったんですが、川沿いに材木問屋が沢山並んでいたことから「木屋町」そして木屋町通となったようです。
川沿いの住人は、高瀬川の掃除や川沿いに木を植えたり、花を植えたりして今でもきれいな川になっています。五条通から下流は以下にあるように、花木が植えられています。尚、五条より上流は京都でも有名な桜並木となっています。

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この項 <完>






by mo-taku3 | 2020-02-24 16:40 | (紹介記事)京都 | Comments(2)

源融の大邸宅 河原院跡(菊浜学区)20200224

源融の大邸宅「河原院跡(菊浜学区)20200224



源氏物語の光源氏のモデルとなったといわれる「源融(みなもとのとおる)」の邸宅『河原院」があったとされるところは、鴨川の五条から七条の河原町通り辺りまで出ではないかといわれています。この大邸宅は、源氏物語の光源氏の邸宅、六条院に比定されているようです。
さて、この辺りは現在高瀬川で、ここは角倉了以が方広寺造営資材運搬のため作った運河で当時は淀川まで繋がっていました。
源融の河原院跡を突っ切るかたちに高瀬川はなっており、丁度この辺りは現在は「菊浜学区(*学区を後述)」にあたり高瀬川の東側は古い建物が多い地区になっています。
菊浜の案内図が載せましたので詳しくはそちらをご覧ください。

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*「菊浜学区」とは
京都の学区(きょうとのがっく)は、日本で最初に創設された64校の番組小学校を起源とし、明治期から戦中まで小学校運営・行政機能の一部を担う地域単位であった学区のことをいう。

明治22年(1889年)4月に京都市制施行され、明治25年(1892年)7月に京都市で学区制度をつくられ、上京区28学区、下京区32学区(菊浜学区はここの一学区)となった。

戦後、小学校の新設や統廃合が進み通学区域も変わってきているため、ここでの学区は通学区域ではない。

しかし現在、学区は直接の行政機能を有していないが、自治連合会、体育振興会や社会福祉協議会、自主防災組織など地域行政・住民自治の単位として機能している。










この項 <完>





by mo-taku3 | 2020-02-24 15:48 | (紹介記事)京都 | Comments(2)

信長が築いた「旧二条城の石垣址」20200223

信長が築いた「旧二条城の石垣址」20200223



二条城の本丸よりも奥(西)に旧二条城の一部の遺跡が残されています。現在の二条城と重なることはありませんが、この二条城は、織田信長が室町15代将軍となっ足利義昭のために築いたものです。

二条城が建てられ場所は、現在の烏丸通沿いの平安女学院中・高校の位置を中心に、東側は現在の京都御苑の一部にかかる位置だったそうです。

信長が、明智光秀に襲われた「本能寺の変」の時には、信長の長男(信忠)がここに500の軍勢とともにいたようですが、信長を助けようと戦い全滅したようです。

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この項 <完>





by mo-taku3 | 2020-02-23 16:35 | (紹介記事)京都 | Comments(2)