京都嵐電沿線のお寺巡り

京都嵐電沿線のお寺巡り

御室仁和寺(おむろにんなじ)
嵐電の「御室仁和寺駅」を降りると直ぐに、仁王門が見えてくる。

仁和寺(にんなじ)は、真言宗御室派総本山。本尊は阿弥陀如来、開基は宇多天皇である。
「古都京都の文化財」の一つとして、世界遺産にも登録されている。
ここは門跡寺院(皇室とゆかりの深い寺)の一つで、出家後の宇多法皇が住まわれたことから、「御室御所」(おむろごしょ)と称されている。
仁和寺は桜が有名で特に「御室桜(おむろざくら)」といわれている。このあたりは岩盤が固く、深く根を張れないことから、桜の背丈が低い。このことから、「花(鼻)が低い」ということで、「お多福桜」ともいわれている。
この桜の満開は、4月の後半と遅く、桜の名所の多い京都で季節の最後を飾り、沢山の人出で賑わっている。(日本さくら名所100選に選ばれている。)

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仁王門の仁王像が凛々しく、時代の味を出していたので写真におさめてみた。

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妙心寺(みょうしんじ)
嵐電の「妙心寺駅」を降りて300m位で妙心寺北門に達する。

栄西が最初に禅の伝統を日本に伝えたとされている(臨済宗)。
中国では五家七宗がある。
日本では日本禅宗24流と云われ、それぞれの流れが一派をなしており、禅宗の総本山なるものはない。
妙心寺は、臨済宗妙心寺派としての大本山寺院。本尊は釈迦如来。開基は花園天皇。初代住職は関山慧玄(かんざんえげん、無相大師)である。
日本の臨済宗寺院約6,000寺のうち、約3,500寺を妙心寺派で占めている。

写真の配置図にもあるとおり、中心伽藍の周囲には多くの塔頭(たっちゅう)が建ち並んでいる。
室町時代、幕府の庇護と統制下にあった五山十刹(ござんじゅっさつ)に代表される一派と、在野の寺院とがあり、前者を「禅林」または「叢林」(そうりん)、後者を「林下」(りんか)といった。
妙心寺は、大徳寺とともに、「林下」の代表的寺院である。
妙心寺の塔頭は48院に及び、うち山内塔頭38院、境外塔頭は石庭で著名な龍安寺を含め10院を数える。
代表的な山内塔頭としては、
東海庵 - 庭園(方丈前庭)は史跡・名勝に指定。
玉鳳院 - 花園天皇の離宮跡に建つ。庭園は史跡・名勝に指定。
東林院 - 枯山水庭園、水琴窟が見られる。沙羅双樹の花が咲く時期の特別公開で知られる。
桂春院 - 杉苔とツツジの庭園は史跡・名勝に指定。
天球院 - 狩野山楽・山雪らが描いた方丈障壁画150面あまりが重要文化財。
退蔵院 - 日本の初期水墨画の代表作である如拙(じょせつ)筆の国宝「瓢鮎図」(ひょうねんず)を所有する(京都国立博物館に寄託)

常時公開している塔頭は、大心院、桂春院、退蔵院のみとのことである。

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佐久間象山の墓石標を発見した。
佐久間象山遭難之碑は暗殺された場所(木屋町御池上ル)に立派に建立されている。
ここにはお墓があるらしい。

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等持院
嵐電「等持院駅」を降りて、北方向約300mいくと正門に着く。

等持院(とうじいん)は、臨済宗天龍寺(嵐山)派の寺院。足利尊氏の墓所としても有名。
室町幕府創設時(南北朝時代)の色々な逸話が残されているところでもある。
足利尊氏は最初、柳馬場御池付近に等持寺を建立し、その2年後(1343年)、現在の別院北等持寺を建立したとされている。また、異説として暦応元年(1338年)頃に尊氏の弟である足利直義が古先印元を開山として建立したとする説が出されている(どうもこちらの方が信憑性があるようだ)。

足利政権は三代義満の時代に安定するが、そこまでは政権基盤は不安定で、将軍の絶対権限は存在せず、尊氏は内部抗争や南朝軍に悩まれ続けていた。そのとき部下の讒言などにより、弟の足利直義を殺すことになってしまい、直義の逸話も殆ど抹殺されている。
現在の等持院は、もともと足利直義の屋敷の隣にあったことから、先に挙げた“異説”の方が信憑性があるとされている。

しかし、尊氏の死後、別院北等持寺は尊氏の墓所となり、その名前を「等持院」と改称した。その後、応仁の乱で柳馬場の本寺が焼失したため、別院だった現在の等持院が本寺になっている。

霊光殿に安置されている足利歴代将軍木像が安置されている。

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このように訪問した史跡にまつわる逸話などを調べてみると面白いことがわかってくる。
だから、歴史ロマンという言葉が大好きである。

(この項、完)

by mo-taku3 | 2011-09-29 23:07 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(0)

久し振りの京都動物園

久し振りの京都動物園

ニュースで京都市動物園の、ゴリラの生態の紹介された。
それを見ていた、家内が突然行ってみたいと言い出し、早速翌日(23日(祝))散歩がてら出かけてみた。
自宅から、動物園まで約5Kmを徒歩で行き、着いたときはいい加減疲れていたが、一服後園内を徘徊し始めた。
(道草)
「京都市動物園は規模は小さく、動物の種類も60種と少ないが、中には動物広場や乗り物も備えており、子供たちははしゃいており、楽しそうだった。入園料も大人600円の他は無料で、70歳以上も無料でした。」

まずキリンに遭遇。飼育員が白いオウムを連れて。
珍しい黒豚とハムスター。
子供たちはこれらの動物に触れることができはしゃいでいた。
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レッサーパンダが木の上で居眠り。

動物広場には飼育員の肩に乗った白いオウム。
黒豚・ハムスターの大群もいた。

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ペンギンが気持ちよく。
始めてみるタイプのオランウータン。
2種類のキツネザル。
ニホンザルに似た東南アジアに住むサルの群れ。一番上がボス?
お馴染みの像。
フラミンゴ。羽がきれいな艶をしていて、本当にきれいだった。

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ライオン、ヒョウ、トラ。
和歌山アドベンチャーワールドからきたライオンは、かなりお年寄りのようで居眠りが続き全く反応が無かった。

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本日の目当てのゴリラ。このオスは上野動物園からやってきているそうだ。
大幅な年上女房のメスはみもごっているとのこと。
直ぐ下のオスは、木の枝を使って箱の中のエサを取り出すことができるようになっている。
すごいですよ。極自然だった。

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久し振りの動物園で結構楽しく、大人でも十分楽しめる解説なり環境なりが、作られているように思った。

京都市、少ない予算でなかなかやるじゃないですか。
>>>拍手!!!

(この項ー完ー)

by mo-taku3 | 2011-09-23 12:46 | Comments(2)

(第01回)はじめに。邪馬台国探求はロマン!

邪馬台国の比定地
(第01回)はじめに「邪馬台国探求はロマン!」


昨今、奈良・纏向(まきむく)古墳の発掘が進むにつれ、卑弥呼の墳墓ではないかという報道が、近畿説者の期待値をこめてなされている。
そもそも、邪馬台国という名称は、中国古代史(特に「魏志倭人伝」が有名)の中で使われているもので、そこに卑弥呼なる女王がいたことが記されており、場所が曖昧なため(というより、解釈如何によってはどのようにでも取れるため)、比定地が種々雑多なものが出現しているのが現状である。
しかし、大きくは“北九州説”、“近畿奈良説”が主流となっている。
e0237645_15202040.jpgさて、色々な説の方の資料を読むと、どれもこれも“なるほど”と思うようになってしまう。それは、どれもこれも主張が正しく思えるからである
何故このように思えるのかと疑問に思いつつ、色々な主張を比較してみると、根拠となっている資料・物象や、論理の組立にはそれぞれぞれ独自の手法を用いられていることが少しずつ見えてくるから面白い。少し、厳しい見方をする見ると、“身勝手な解釈”と言っても過言では無いといえる。
しかし、ひょっとしたら、それが事実かもしれない。その事実が分からないままに、どうにでも描けることが、ロマンそのものといえるようだ。
e0237645_1521947.jpg現在も新しい説がどんどん出されている。新しい説(本)を出すと色んな人の批判も受けるし、また賛同もいただけるという、楽しみがついてくる。
それに対する研究が更に進み、1人ではなく大所帯の研究会なるものができている事実がある(古田氏、安本氏など)。そこからまた研究者が出てくることもある。歴史好き私にとっては、この研究をやられている方は、本当に羨ましくなってくる。

しかし楽しいことばかりではないらしい。
というのは、大学の研究室に居るまたは居た方たちだ。
私は理系であったから余りしばりはきつくなかったが、講座に入ると教授からテーマが与えられる。
分からないまま研究が始まるわけであるが、先輩の残した研究成果を前提にして、これを脈々と引き継いでいくのが役割となっているようだ。
ここで研究成果に対する批判・否定をするようなことがあると、大変なことになるらしい。このようなことが、江戸・明治から延々と続いているようだ。
余り言いたくはないが、もう少し客観的なものの見方を持ってもらえたら、もっともっと史実の解明が進むのではないかと思うのだが。
このような声は、当事者が個人の立場になったときに、チラホラ聞こえてくるのは私だけではないようだ。
e0237645_15241175.jpgこのようなきつーい話はさておき、私が歴史好きになった結果、勝手な主張でできあがった、ロマンの産物(説)に興味を引かれ、「邪馬台国」と名のついた本が出たら直ぐ買う癖がつき、今や何冊持っていることやら。
私は子供の頃、戦前の尋常小学校の教科書で、絵本化された日本史の本を見て、“昔はこんな英雄が居たんだ”と思ったものだ。カラー刷りのきれいな本だったような気がする。
その本と“のらくろの本”を何度も何度も見ていたようだ。
これがきっかけで歴史は面白いというのが頭に焼きついたみたいだ。
更に時代が過ぎて自分の教科書を読んで、自分が知っていた事実とちがう事実に遭遇すると、更に詳しい情報を求めるようになり、それが高じて今の歴史好き人間になったようだ。
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なかなかできなかった趣味の歴史に首を突っ込むことがやっとこの歳(67歳)になってできるようになったことは本当にしあわせに思っている。

興味のある方とは楽しいやり取りをしていければと思っている。
(第01回)完

<次回>は(第02回)「邪馬台国」のロマン説による比定地一覧
比定とは;同質のものがない場合、他の類似のものとくらべて、そのものがどういうものであるかを推定すること。

by mo-taku3 | 2011-09-21 14:56 | (歴史)全国史 | Comments(3)

今年の祇園祭に密着!5日間

今年(2011)の祇園祭に密着!5日間


今年の祇園祭は天候に恵まれてすごい人手だったようです。
私は、買ったばかりのカメラ(Nikkon D5100;初心者用。これを買ったいきさつは別途)を大事に携えて、5日間歩き回り、撮りまくりました(約2000枚)。少ない???。

祇園祭とは日本の三大祭の一つに挙げられる祇園祭は、毎年7月1日から31日までの1カ月間、京都市内の中心部や八坂神社(東山区)で行われます。クライマックスとなる山鉾巡行と神幸祭(いずれも17日)をはじめ、多彩な祭事が繰り広げられます。
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平安時代前期の869(貞観11)年、京で疫病が流行した際、広大な庭園だった神泉苑(中京区;二条城の南側にある)に、当時の国の数にちなんで66本の鉾を立て、祇園の神(スサノオノミコトら)を迎えて災厄が取り除かれるよう祈ったことが始まりとされている。
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応仁の乱(1467-77年)で祭りは途絶えましたが、1500(明応9)年に町衆の手で再興されました。以後、中国やペルシャ、ベルギーなどからもたらされたタペストリーなどを各山鉾に飾るようになり、これらの懸装品の豪華さゆえに、山鉾は「動く美術館」とも呼ばれています。江戸時代にも火災に見舞われたが、町衆の力によって祭りの伝統は現代まで守られています。現在、巡行に参加している鉾は9基、山は23基あります。
毎年、各山鉾町では、7月1日の「吉符入り」で幕を開け、2日には山鉾巡行の順番を決める「くじ取り式」が京都市役所で行われます。10日ごろから鉾建てが始まり、12日ごろには鉾の「曳初(ひきぞ)め」があります。15日の宵々山、16日の宵山を経て、17日は、祇園囃子(ばやし)にのって山鉾が京のメーンストリートを巡行。夕方には、八坂神社の祭神を乗せた3基のみこしが四条寺町の御旅所に向かう神幸祭があり、24日にはみこしが御旅所から神社に戻る還幸祭が行われます。



その写真を幾つか紹介します。

①「山鉾の組立」 山鉾は木組みと縄で組み立てます。ここでも伝統を大事にしています。
 組立に当たっては、専門のトビ職がおり、1・2日がかりで組み立てています。
 下記の写真は飾り(前懸、胴掛け)も付けていない状態で、家で言えば躯体だけという状態です。
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②宵宮・・・ 宵宮は宵々々(13日)、宵々(14日)、宵(15日)の三日間があります。
 特に巡行前日の宵宮はものすごい人手でした。
 巡行時の山鉾との見た目の違いはなんだか分かりますか。
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 そうです。宵宮・・・には提灯がありますが、巡行時はありません。
 いつ頃から提灯を点け始めたのかは定かではありませんが、とにかくきれいですね。
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 500m四方がこんな状態です。歩くだけでも大変です。
 写真を写すと必ず人が入ってきます。
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祇園祭の代名詞、“コンチキチン”。これに命をかける人もいる。
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山鉾がある町内の不動産は人気があり、値が張ります。
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また、各山鉾とも、ちまき(厄除けのために玄関に飾る慣わし)や団扇・手拭などを売るのに一生懸命。

③山鉾の飾り(前懸、胴掛け)
これは、歴史的逸話、書物からの引用、シルクロードにヒントを得たもの、等など様々なものがあります。
非常に高価なもので、各山鉾の保存会では、資金の捻出に四苦八苦しているようです。
しかし、京都市は毎年一ヶ所に飾り作成の資金提供をしており、順に支援してますが、32基あるのでそれでは間に合いません。企業や事業主などからの支援など保存会の会長さんは頭を下げてまわるのが仕事になっています。
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このように各山鉾保存会毎に“ご披露”しています。
質問すると丁寧に説明をしていただけます。
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私の好きな船鉾の雄姿です。これだけ特別な感じがする鉾です。
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お店の飾りも、お祭り一色。なかなかセンス良くできていますね。
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鉾に乗って見学ができます(1,000円/人)。大事な収入源。
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④メーンイベント(巡行)
鉾は「スサノオノミコト」が退治した“ヤマタノオロチ”からでてきた「鉾」にちなんで、鉾メインの巡行になっています。
先頭は長刀鉾と決まっておりますが、2番手以降は毎年くじ引きで決められます。
まず、先頭の“長刀鉾”が出発直前。
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船鉾の雄姿。
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稚児さんが本物なのは長刀鉾だけです。後は人形でまかなっています。少子化で稚児さんのなり手が少なくそうなったのでしょう。
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いざ、発信!(かっこうをつけた、運転手さん。扇子と体で指示をだします。)
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巡行に当たって、この順番の“籤改め”が京都市長によって厳かに行われます。
何故こんな面倒くさいことをするのかというと、昔、順番は決まっておらず、順番をめぐって争いごとが絶えなかったといいます。このため、元々の四条通は狭く毎年けが人が出たということで、あらかじめ籤で順番を決めることになったそうです。
その確認を、“籤改め”として格調高くやっているようです。
何故か、市長だけでなく、知事まで登場。
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鉾はカーブが切れません。
竹板を並べてその上で少しずつ回転させていきます。
これを辻回しといっています。(多分、金物を使っていないことと関係があるのでは?)
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(番外)おらが街の「保昌山」
実はおらが街にも山があります。

旧名に「花ぬす人山」という。平井保昌は藤原大納言方の孫で、致方の子で武勇にすぐれ、和歌も堪(たん)能であった。妻は、和泉式部。恋した女官から紫宸殿前の梅を手折ってほしいと頼まれた保昌が首尾よく一枝を得た。しかし北面の武士に発見され、射かけられた矢が頭をかすめ、保昌はほうほうの態で逃げ帰ったという。盗難除け、縁結びのお守りが授与される。
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このようなことが毎年行われています。
興味のあるからは毎年のように来られるようです。




この項 <完>

by mo-taku3 | 2011-09-14 10:39 | Comments(7)

なかなか進まないBLG試運転!

なかなか進まないBLG試運転!



ブログを立ち上げてもう1週間。ずーっと勉強中???
焦らず、徐々に進めていきますので、よろしくね。

さて、「ヒストリアル・シェア」なるブログ名の意味は・・・。

歴史大好き人間の私が、歴史の色々な文献資料を読み漁るうち、ある事象に対して、色々な人が自説を展開しており、どれをとっても“なるほど”と思うような主張をしています。
何故、なるほどと感じるのか?

奇異な感じから何故だろう?で色々調べていくと、まず結論ありき(歴史では「比定」という言葉を使います)から、それに沿う資料を解釈・採用し、ロジックを組み立て、主張していく「手法」をとっていくのが殆どです。

以上、歴史解釈は解釈の違いが渦巻いておりますが、事実がわからないから色々思いを巡らすことで、この解釈がロマンそのものと言えるのではないでしょうか。

このブログではこれらの色々な説を紹介し、つたない解釈も加えられたらと思います。
即ち、歴史の事象を色々な説でシェアしようというのが、そもそものスタートと漠然と思っています。

しかし、身近なところで、私の人生も歴史そのもの。私が関わってきた人達、衣食住、学校、趣味も歴史であり、できるだけ多くの人たちとこのブログをシェアし、交流ができたら「ヒストリアル・シェア」そのものになると思っています。


以上よろしくお願いします。

by mo-taku3 | 2011-09-11 22:29 | 個人関係情報 | Comments(0)

BLG試運転開始。原点の紹介。

BLG試運転開始。原点の紹介。



本腰を入れてブログ開始まで、まだまだ時間はかかりそうであるが
試運転開始 出発進行 。。。


まずは、歴史散歩の写真をいくつかアップしてみることにする

*八坂の塔
まずは、「八坂の塔」ですが、これにまつわる逸話があります。

①この塔は、聖徳太子のお声がかりで建てられた日本最古の宝塔ということです。
②また、「大坂夏の陣」の折、“ねねさん”がこの塔に上って、大坂城の炎上を見て嘆き悲しんだ???と言わ れています。
 ちなみに、ねねさんの高台寺は、この直ぐの高台!にあります。
 また、この路は産寧坂(清水寺へ向かう三年坂)です。

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*高台寺
次に高台寺ですが、
このお寺は、「関ヶ原の戦い」での東軍勝利に功績があった(小早川秀秋の裏切り)ねねさんのために、徳川家康が寄進したものです。
ここの茶室は、伏見城から移築したもので、また庭は春・秋とも美しいことで有名です。特に初夏の竹林ライトアップは見事です。

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これからもどんどん写真を載せていきたいと思います。



よろしく、お付き合いください。

by mo-taku3 | 2011-09-08 00:42 | 個人関係情報 | Comments(0)